すれ違う親子

「で、花荘院さんの家の前でうろうろしてたところを、自分が見つけたわけだね」木場が話を整理した。

「桃子ちゃんとしては、事件当日に何があったかを花荘院さんから聞くまでは、印籠を返すわけにはいかなかった。だから昨日は一旦帰ったんだね」桃子は頷いた。

「それで、今日花荘院さんには会えたの?」

「うん……。先生、16時くらいに屋敷に帰って来たんだ。あたしがいるのを見てびっくりしてたよ。あたしが印籠を見せて、アイツのことで話がしたいって言ったら、先生、茶室みたいなところにあたしを案内したんだ。小っちゃい頃のあたしは、よくそこで楓と一緒にお庭を見ながら、楓のお母さんが作ってくれたおはぎを食べてたんだ。そういうことを思い出したら、ちょっと泣きそうになっちゃって……」

 木場は頷いた。親友との思い出は、何年経っても色褪せるものではない。

「先生、13年経っても全然変わってなかった。髪は今みたいに白くなかったけど、あの黙ってても怖い感じとか、昔のまんまで……。

 でも先生、あたしにはすごく優しかったんだよ。あたしが屋敷で走り回って、高そうな壺壊しちゃった時も、全然怒らなくて……。だからあたし、信じたくなかったんだ。先生が……事件に関係してるかもしれないなんて……」

 木場は眉を下げた。昨日と今日、桃子はどんな思いであの屋敷に向かったのだろう。父親の無実を信じる気持ちと、親友の父親を疑いたくない思い。あのだんまりの裏で、相容れない感情が激しくせめぎ合っていた。

「あたし……先生に話したんだ。事件の3日前に、先生がアイツと待ち合わせたのを聞いたことから、事件当日にあの公園に行って印籠を拾ったこと、小屋の前で叫び声を聞いたことも、全部……。

 でも先生、話聞いても全然動揺してなかった。だからあたし、ちょっと安心したんだ。先生は、きっと何にも知らなかったんだって。他に予定が出来て、待ち合わせ場所に行かなかったんだろうって……」

 桃子はそこで視線を落とした。机越しでも、膝の上に置いた拳が震えているのがわかる。

「それで……花荘院さんは何て言ったの?」

 木場がゆっくりと尋ねた。桃子は視線を落としたまま、しばらく何かをためらっていた。今もなお、心の内では葛藤が渦巻いているのだろう。

「……先生、しばらく何にも言わなかった」

 やがて桃子が言った。

「急に会いに来て、いろんな話したから、混乱してるんだろうって思った。

 でもあたし、何も言ってくれなくてよかったんだ。あたしの勘違いだった。時間取らせてごめんなさいって言って、そのまま帰ろうとしたんだ。

 でも……あたしが立ち上がって、障子を開けて出て行こうとした時、先生、こう言ったんだよ……」



『あの男は……私の大切な思い出を奪い去った。報いを受けるのは当然のことだ』



 熱せられた地面に水が注がれるように、戦慄がたちまち木場の身体を冷やしていった。自分でさえそうなのだから、彼と差し向かいでその言葉を聞いた桃子の心境はいかほどのものだっただろう。

 花荘院は否定しなかった。自分から思い出を奪った犯人に、その手で制裁を加えたことを認めた。

「あたし……それ聞いた瞬間、わけわかんなくなっちゃって……。気づいたらあの人に掴みかかってた。いろんなこと喚きながら、あの人を引っ掻こうとしてた気がする。

 でも、すぐに弟子の人が駆けつけてきて、あたしはあの人から引き剥がされた。その後で警察に通報されたんだ」

「そう……だったんだ……」

 ようやく事の顛末がわかり、木場は大きくため息をついた。桃子はきっと、最初から誰が犯人であるかに気づいていたのだ。ただ、かつての親友の父親であった頃の面影が、彼が殺人犯であるという事実を認めることを拒ませていた。

「警察にはその話はしたの?」

「したよ。でも全然信じてくれなかった。まぁ当然だよね。向こうは由緒正しい家元で、あたしはそこら辺にいるただの女子高生。しかも聞いたのはあたしだけなんだから」

 木場は腕組みをして考え込んだ。確かに桃子の証言だけでは弱い。しかも花荘院にはアリバイがある。

「ねぇ……あたしさ、これからどうなんのかな?」

 桃子がぽつりと言った。木場は顔を上げて桃子を見た。普段の刺々しさは消え、いつになく弱々しげな表情を浮かべている。まるで5歳の少女に戻ったかのようだ。

「容疑は暴行だけど、別に相手に怪我をさせたわけじゃないんだよね? だったら少し話を聞いたら、すぐに釈放されるんじゃないかな」

「……だといいけど」桃子がため息をついた。「なんか、あたしバカみたいだね。勝手にいろんなこと抱え込んで、1人で突っ走って失敗して……。これじゃアイツとやってること一緒じゃん」

 桃子が自嘲気味な笑みを浮かべた。その表情に木場は居たたまれなくなった。

「……結局、あの人が逮捕されることはないんだよね」桃子が諦めたように言った。「親子揃ってめでたく犯罪者。……母さんが知ったら何て言うんだろ」

 桃子の言葉は、もはや木場には向けられていなかった。木場から視線を外し、壁についた染みをじっと見つめている。この事態を脱するためのヒントが、そこに書かれているかのように。

 木場は言葉を返せなかった。何てことだ。ガマ警部はおろか、自分はこの少女さえ助けることが出来なかった。真犯人の正体は紛れもないのに、彼を追い詰めるだけの証拠がない。

 小宮山の笑顔が脳裏に蘇る。彼は最初から知っていたのだろう。自分がいくら足掻いたところで、事態が覆ることはないことを。

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