少女が見たもの
桃子は木場から視線を外すと、記憶を辿るようにして語り始めた。
「あの晩、あたしはアイツのアパートに行ったんだ。本当は行きたくなかったけど、母さんに言われて仕方なくね。1週間分のお惣菜をスーパーの袋に入れて、自転車でアイツの家まで行ったんだ。
でもアイツ留守だったから、ドアの前に袋ごと置いて帰ろうとしたんだ。そしたら、アパートの階段のとこで、アイツが電話で話してるのが見えた。アイツの部屋は2階にあるんだけど、アパートが古くてエレベーターがないんだ。だから階段使わないと下に降りれなくてさ。でもあたし、アイツと顔会わせたくなかったから、電話が終わるまで待つことにしたんだ。アイツから見えないように隠れてね。周りが静かだから会話の内容も聞こえてきて、アイツ、誰かと待ち合わせの約束してるみたいだった」
「待ち合わせ?」
「うん。アイツにも友達いるんだって思って、ちょっと意外だった。でも変なんだよ。アイツ、3日後に会う約束してたんだけど、待ち合わせの時間を22時って言ったんだ。普通そんな時間に待ち合わせしないよね?」
「それは……確かに変だね」
「だろ? だからあたし、もうちょっとよく会話を聞こうとしたんだ。アイツ、それから急に声のトーン落としたから、聞くの大変だったんだけどさ。でも、公園って単語が聞こえて、それから駅の名前が聞こえたから、あの自然公園だってすぐにわかったんだ」
「ちょっと待って。それ、もしかして、事件があったあの公園のこと?」
「そうだよ。駅の近くの公園はあそこしかないから」
つまり、ガマ警部はやはり誰かに呼び出されていたのだ。となると、その電話の相手が重要になってくる。
「あたし、電話してるアイツの顔を見たんだけど、かなり緊張してたよ。いっつも偉そうな顔してるくせに、その時は電話の相手にビビってるみたいだった。そんな顔、今まで見たことなかったんだけど……」
「それで……誰だったの? 電話の相手は」
木場が恐る恐る尋ねた。桃子は少し逡巡したが、すぐに言った。
「……アイツはその相手と5分くらい喋ってた。それで……切る直前にこう言ったんだ。『では、3日後にな……総十郎』……って」
木場は全身から力が抜けていく気がした。予想はしていたが、いざその名前を聞くと、途端に戦慄が内から湧き上がってくる。
「『総十郎』って誰のことか、あたし最初わかんなかったけど、しばらくして思い出したんだ。楓のお父さんの名前だって……。
アイツの様子がおかしかったから、何かヤバい話なんじゃないかってことは想像ついた。でも、気づいたらアイツはもう自分の部屋に戻ってて、それ以上詳しいことは聞き出せなかったたんだ。はっきりしたこと何にもわかんないから、母さんにも言いづらくて……。とりあえず、時間と場所だけはわかってたから、あたし、自分の目で確かめに行こうと思ったんだ」
「それで事件当日公園に?」
「うん。その日あたし、塾に行く予定だったんだけど、体調悪いから行けないって携帯から連絡しといんだ。塾行くことにしとけば、夜から出掛けても母さんにも怪しまれないしね。
でもあたし、待ち合わせの時間を21時と勘違いしててさ。しかも意外と行くの時間かかんなかったから、公園に着いたのは20時半くらいだったと思う。あたし、1時間くらいうろうろしてたんだけど、誰もいないから諦めて帰ろうとしたんだ」
木場は頷いた。大沼が桃子を目撃したのはその時のことだろう。
「地図で現在地見たら西門の方が近かったから、そっちから出ようとしたんだ。で、あの小屋の前を通った時、地面に何かが落ちてるのが見えた。そこで拾ったのが先生の印籠だよ」
「公園の近くの道路じゃなかったの?」木場が目を丸くした。
「うん……。あの時は、先生が事件と関係あるかどうかわかんなかったから、大っぴらにしたくなかったんだ。ごめん」桃子が項垂れた。
「わかった。それで、印籠を拾ってそのまま帰ったの?」
木場が気を取り直して尋ねた。だが、そこで桃子の様子がおかしいことに気づいた。肩を震わせ、顔が青ざめている。
「桃子ちゃん、大丈夫?」
木場が心配そうに声をかけた。桃子がはっとして顔を上げる。
「あ……うん、ごめん。思い出したら、ちょっと気分悪くなっちゃって」
「もしかして、帰る前に何かを見たの?」
「うん……。見たっていうか、聞いたっていうか……」
桃子が言葉を濁した。木場は固唾を呑んで言葉の続きを待った。
「印籠を拾った後……小屋の中から、男の人の叫び声が聞こえたんだ」桃子が沈んだ声で言った。
「すごい声だった。なんかもう、地獄から叫んでるみたいな。あたし、それ聞いて怖くなって……。急いで小屋から離れようと思って、公園の入口まで走って行ったんだ」
「小屋の中から、男の人の叫び声が聞こえたんだね?」木場が慎重に確認した。
「うん……。その日の夢にも出てきたくらいで、本当に怖かったんだ……。公園出てからもまだ心臓バクバクしてて、あたし、自分が誰かに追っかけられてるんじゃないかって思って、何回も後ろ振り返ったんだよ。電車乗ってからやっとほっとしたけど、あの小屋で何があったんだろうってずっと気になってた。それで、昨日あの事件のニュースを聞いて……」
何があったか悟った、というわけだ。桃子が叫び声を聞いたのは21時半頃。被害者の死亡推定時刻とも一致する。
「それで昨日、事件のことが気になって公園まで来てたんだね?」
「うん……。でも、警官がいっぱいて中には入れなさそうだったから、入口から見てたんだ」
なるほど、自分はその時の桃子を目撃したのだ。少しずつ点がつながり、線を形成していくのがわかる。
「それで、その後はどうしたの?」
木場が優しく尋ねた。桃子は視線を落とし、苦い表情になって続けた。
「ニュースで……アイツが逮捕されたって聞いて……。あたし、信じられなくて……。だってアイツは、先生と待ち合わせするためにあの公園に行ったんだよ!? 小屋で殺人なんてするわけない。
でもニュースじゃ、先生のことは何にも言ってなかった。だからあたし、おかしいと思って、とりあえず先生に話聞きに行こうと思って。一回家に帰って、アイツの部屋調べたら住所が出てきたから、行き方調べて行ったんだ」
「先生とはどれくらい会ってなかったの?」
「さぁ……楓がいなくなってからだから、もう13年になるのかな。迷わないで行けるかちょっと心配だったんだけど、駅降りたらすぐ思い出したよ。小っちゃい頃は、しょっちゅう遊びに行ってたから……」桃子が寂しげにため息をついた。
「でも、いざ中に入ろうと思ったら緊張しちゃってさ。会うのも13年ぶりだし、何から聞けばいいのかもよくわかんないし。っていうか先生、あたしのこと怒ってるんじゃないかと思って……」
「怒ってる? どうして?」
「あの日、楓と2人だけで遊ぼうって言い出したのあたしなんだよ。母さん達は心配だから一緒にいるって言ったんだけど、あたしが大丈夫だって言い張って。あたしがあんなこと言わなかったら、楓は死ななかったかもしれないのに……」
桃子が小刻みに肩を震わせた。木場は返す言葉がなかった。桃子の無邪気な誘いが、楓の運命を大きく狂わせることになってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます