恩情
「ふうん……。この僕に説得を試みるとは、見かけによらず大胆不敵なんだね」
小宮山が綺麗に剃られた顎鬚を擦りながら言った。そのまま手の動きを止め、探るような視線で木場を見回す。木場は懸命にその視線に耐えた。
「……まぁ、いいだろう」
小宮山が顎から手を外して言った。木場がはっとして小宮山を見返す。
「本当は今日のうちに送検するつもりだったけど、いいよ。新米刑事……いや、探偵君がどこまで足掻けるものか、僕も見てみたくなった。
「あ……ありがとうございます!」
木場は勢いよく頭を下げた。最初に小宮山に遭遇した時はどうなることかと思ったが、意外と話がわかる人間だったようだ。
「それで? 名探偵君はこれからどうするつもりだい?」小宮山が茶化すように尋ねてきた。
「あ、そうだ。実は警部の娘さんに話を聞きたかったんですが、彼女が暴行容疑で逮捕されたって聞いて……」
「あぁ、あの目つきの悪い子ね。ついさっきここに連れて来られたよ。今は別室に行ってるみたいだけどね」
小宮山が廊下の端に視線をやった。ガマ警部が昨日取り調べを受けていたのと反対側の部屋だ。おそらく、あそこで桃子の取り調べが行われていたのだろう。
「彼女は殺人事件に関して、何か重要なことを知っているかもしれません。話を聞かせてもらうことは出来ませんか?」
「君も要求が多いねぇ。まぁ、今日が最後の花だと思えば、付き合ってあげるのも一興かもしれないけどね」
顎を擦りながら小宮山がそう言った時、桃子の取り調べ室とは反対側の廊下から影がさし、次いで婦人警官2人に付き添われた桃子が現れた。顔をうつむけ、唇を引き結び、足を引き摺るようにしてのろのろと歩いている。前方に木場がいるのに気づくと桃子は顔を上げ、はっと息を呑んで足を止めた。
「桃子ちゃん……」
桃子を見つめながら木場が呟く。彼女は昨日と同じジーパンとスニーカー姿だった。ダウンジャケットは脱ぎ、痩せた身体の上にシンプルな水色のセーターを着ている。その手にはめられた手錠がなければ、どこにでもいる高校生にしか見えなかった。
「あー、君達、ちょっと席を外してもらえるかな?」
不意に小宮山が言った。木場は最初、自分に向かって言っているのかと思ったが、その視線は桃子の後ろにいる婦人警官2人に向けられていた。2人が困惑した顔で視線を交わす。
「この新米刑事君がね、そこのお嬢さんに話を聞きたいそうなんだ。なるべく手短に終わらせるから、協力してもらえないかな?」
小宮山の表情は相変わらずにこやかだったが、その口調には有無を言わせないものがあった。
婦人警官2人はなおも顔も見合わせていたが、やがて渋々頷くと、2人して威圧するような視線を木場の方に視線を寄こした。早く済ませろということなのだろう。
「本当は僕も立ち合いたいところだけど、そろそろ本部に戻る時間だから、この辺で失礼させてもらうよ。たった1日で何が出来るか知らないけれど、せいぜい有終の美を飾ることだね、新米刑事君」
そう言って小宮山はひらひらと手を振ると、両手を背中の後ろで組み、ゆったりとした足取りで廊下を去って行った。まったく掴みどころのない人だ。だが今は、小宮山がくれたこのチャンスを何としてでも生かさなくてはいけない。
「桃子ちゃん、ちょっといいかな?」
木場が声をかけると、桃子がびくりとして肩を上げた。上目遣いに、探るような視線を向けてくる。
「事件のことで話を聞きたいんだ。桃子ちゃんが逮捕された件と、ガマさんの事件について。情報を繋ぎ合わせれば、真相に辿り着けるかもしれない」
桃子がかすかに目を見開いた。まじまじと木場の顔を見返した後、再び視線を落とし、逡巡した表情になる。
だが、迷いは数秒のことだった。桃子は顔を上げると、木場の顔をまっすぐに見つめて頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます