蒲田家へ
久恵との電話はすぐに通じた。久恵によれば、桃子は外出中であるが、夕方には帰宅するとのことだった。
時刻はすでに14時半を回っている。久恵の家までは車で約30分。桃子が帰るまでの間、久恵から話を聞かせてもらうこととし、木場は久恵の家に車を走らせた。
「桃子ちゃん、ひょっとしたら花荘院さんとこに行ってるのかもね。ほら、昨日花荘院さんが出掛けるのを見た時、明日また来るって言ってたでしょ?」
「自分達と入れ違いになったってことか?」木場が助手席の茉奈香を見る。
「うん、久恵さんも、出掛けたのはお昼からだって言ってたから」
「じゃあ、花荘院さんが帰ってくるまでは、桃子ちゃんも帰って来ないってことかな?」
「かもね。ガマ警部さんのことで話するつもりなら、若宮さんに印籠だけ預けてさよなら、ってわけにはいかないだろうし」
「……となると、桃子ちゃんが帰って来るのは17時を回るかもしれないな」木場がため息混じりに呟いた。
「渕川さんの話じゃあ、ガマさんはいつ送検されてもおかしくないってことだった。それまでに、桃子ちゃんから何か情報を聞き出せるといいんだけど……」
「送検しちゃったら警察は出る幕ないもんね。後は検事が起訴するか決めるだけだし」
「うん。でも、起訴されたらガマさんは間違いなく有罪になる。凶器の指紋に、死体と一緒に倒れていたという状況、おまけに動機まであるわけだからね」
「だよねぇ。しかも現職の刑事が被告人なんだから世間の注目度も高いし……。あ、これはひょっとして、あたしが検事として華麗にデビューするチャンスかも!?」茉奈香がぱちんと両手を打ち鳴らした。
「お前はまだ検事じゃないだろ。っていうかどっちの味方なんだよ!」
「うーん、強いて言うなら、正義と真実の味方?」
茉奈香が澄ました顔でベレー帽に二本指を当ててポーズを取る。ダメだこりゃ、木場はハンドルに突っ伏したくなった。
久恵の家は二階建ての一軒家だった。建てられてからまだ時間が経っていないのか、白い壁は綺麗なままで、赤茶色の切妻屋根も鮮やかな色を保っている。車庫には白い軽自動車が停まっている。久恵が買い物に行く時にでも乗るのだろう。玄関脇には小ぶりな花の咲いた植木鉢が控え目に並べられ、住民の趣味の良さを感じさせた。
木場がチャイムを鳴らすと、すぐに久恵が応じる声がして、間もなく本人が扉を開けて姿を現した。今日は着物ではなく洋服姿だったが、藤色のセーターにベージュのロングスカートを合わせ、髪を綺麗に結わえたスタイルは昨日と変わらず品がいい。
「遠いところをお越しくださいまして、ありがとうございます」久恵が深々と頭を下げた。「もう少し早く御連絡をいただきましたら、桃子を引き留めておくことも出来たのですが、あいにく午後から出掛けてしまいまして……」
「いえ、こちらこそ急に押しかけてすみません」木場も頭を下げた。「桃子ちゃんが戻るまで、中で待たせてもらってもいいですか?」
「もちろんでございます。お茶の用意も出来ておりますので、どうぞ中へ」
久恵が扉を開けて木場達を中へ招き入れた。木場は何度も恐縮しながら、植木鉢の並んだ玄関道を通って行った。
リビング一歩に足を踏み入れると、掃除の行き届いた居心地のよさそうな空間が目に飛び込んできた。磨き抜かれた茶色のフローリングの上にアイボリーの絨毯が敷かれ、シックなテーブルや棚が行儀よく配置されている。大きな薄型テレビの向かいにはオリーブ色のソファーが置かれ、同じオリーブ色のカーテンが使われた窓からは明るい光が差し込んでいる。棚の上には額に入れられた写真や、久恵の手作りなのか、毛糸で出来たくまのぬいぐるみが飾られている。インテリアの雑誌に載せても違和感がなさそうなその部屋を、木場は感心しながら見渡した。
「今、お茶を入れますから、そちらのテーブルでお待ちくださいませ」
久恵はテーブルを手で指し示すと、自分はキッチンに引っ込んで手際よくお茶の準備を始めた。木場はそわそわしながらその様子を見守った。
「お兄ちゃん、もうちょっと落ち着きなさいって」隣に座る茉奈香が見かねて言った。
「いや……何か、あまりにもお上品過ぎて、逆に居心地悪くてさ。自分のアパートなんか、この家と比べたら物置みたいなもんだし」
「でもさ、昔はガマ警部さんもこの家に住んでたわけだよね。ここじゃお風呂上りにタオル一丁でうろうろしたり、冷蔵庫から缶ビール飲んだり出来なさそうだし、確かに男の人には居心地悪いのかも。バスローブでも着てたら違和感なさそうだけどね」
ガマ警部が洗い立てのバスローブに身を包み、オリーブ色のソファーに腰掛け、葉巻を優雅に燻らせながらテレビを観ている光景を木場は想像しようとした。――が、やはり上手くいかなかった。
そのうちに台所からケトルが鳴る音がして、久恵がぱたぱたと走って行った。ガスの火を止め、ケトルからドリップポットに湯を注ぐと、たちまちほろ苦い香りが辺りに漂う。
「主人が紅茶を好みませんもので……コーヒーしかお出しできませんが、よろしいですか?」
「あ、何でも構いませんよ」
木場は答えながら、そう言えば数か月前にも、ガマ警部と2人で紅茶を味わったことがあったな、と懐かしい気持ちで思い返していた。
2、3分経った後、久恵がコーヒーと共にクッキーを運んできた。木場と茉奈香の前にコーヒーとクッキーを置き、自分は向かいに腰掛けた。これだけ見ると午後の優雅なひと時そのものだが、今からする話は決して談笑しながらする内容ではない。
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