黒き正体
法定速度ギリギリで車を飛ばしたが、道路は思ったより混んでおり、木場が警視庁に到着した時にはすでに18時15分を回っていた。シートベルトを外すのももどかしく、扉を開けて転がるようにして正面玄関まで突っ走る。警察に追われた指名手配犯のような形相で走る木場を、すれ違う警官達が怪訝そうな顔で振り返る。だが、木場は周囲の様子になど構っていられなかった。一目散に渕川と待ち合わせた場所へと向かう。
渕川から電話で誘拐事件の話を聞いた後、木場はより詳しい話が聞きたいと言った。だが、渕川もすぐに納得してくれたわけではなかった。これから捜査会議に出なければならないし、捜査から外されている木場に情報を漏らしたとわかれば、渕川まで首が飛ぶことになる。
それでも木場は頼み込んだ。誘拐事件の詳細を知れば、ガマ警部が沈黙を守る理由もわかるかもしれないと思ったのだ。
渕川はしばし逡巡するように黙っていたが、間もなく承知して、木場に警視庁内の資料室まで来るように言った。最初に木場に知らせた時点で、ある程度覚悟はできていたのだろう。
ちょうど駅の近くまで来ていたので、茉奈香には事情を説明して車から降りてもらった。事の切迫性を感じ取ったのか、茉奈香もこの時ばかりは引き下がって来なかった。その代わり、明日も捜査に連れて行くことを条件に出され、木場は渋々承諾した。昔の事件が絡んでくるとなると、事件は当初よりも深刻な様相を帯びてくる。部外者である妹をこれ以上巻き込みたくはなかったが、言ったところで聞く性格ではない。
警視庁内の廊下を、木場は狂ったように走り続けた。もう捜査会議が始まっているのか、廊下に人通りは少ない。目と鼻の先で事件についての情報が交わされているというのに、そこに自分が参加できないことが木場はもどかしかった。
そうして走り続けた後、木場はようやく目的地である資料室に辿り着いた。資料室は警視庁の地下にある倉庫のような場所で、主に昔の事件の記録が保管されている。言わば事件の墓場だ。棚には分厚いファイルやら段ボールやらが詰め込まれ、歩くたびに埃が舞い上がって木場は何度も咳込んだ。
室内の一番奥まった通路に渕川はいた。ハンカチを手に、シンクの頑固な汚れを落とそうとする主婦のような形相で眼鏡を拭っている。木場の足音に気づくと、ハンカチを動かす手を止めて顔を上げた。
「……木場巡査殿」
渕川がため息まじりに言って眼鏡をかけた。ただでさえも冴えない顔が、今日は通夜に出ている人のようにいっそう悲愴さを滲ませている。
「渕川さん、どういうことですか!? 被害者が誘拐事件の犯人だって!?」
木場は急き込んで尋ねたが、渕川は慌てて人差し指を口に当てた。
「……あまり大きな声を出さないでください。捜査会議中とは言え、誰かがここに来ないとも限りませんから」
「あ、すみません……」木場は声のトーンを落とした。「すみません。渕川さんも本当は会議に出るはずだったんですよね。なのに急に呼び出しちゃって……」
「構いませんよ。自分はいてもいなくても同じようなものですから」
渕川は自嘲気味に笑った。彼の警察内での立ち位置を示すような、悲哀の漂う笑みだった。
「それで……ええと、被害者はどこの誰だったんですか?」木場が尋ねた。
「はい、被害者の名前は
「それで、どうして被害者の身元がわかったんですか? 確かデータベースで探したって言ってましたよね」
「はい、最初のうちは周辺の住民に聞き込みをしていたのですが、誰も被害者の身元を知っている者はいませんでした。ただ、捜査を進めるうちに、捜査員の1人が被害者の顔に見覚えがあると言い出したのです。
そこで庁内の前科者データベースを検索したところ、13年前の事件と人相が一致したのです。さすがに13年も経っていましたから、肉眼で判別するのは困難でしたが」
「それで……どんな事件だったんですか? その誘拐事件って?」
「自分も当時はまだ任官していませんでしたから、資料を読み、当時の捜査員から聞いた話でしか知りません。ですが、とても痛ましい事件だったようです……」
渕川は眉を顰め、自分が被害者の親になったように沈痛な面持ちを浮かべて話し始めた。
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