過去からの影

 結局花荘院に声をかけることはなく、木場はそのまま花荘院邸を後にすることにした。桃子はここまで電車で来たらしく、木場は家まで送って行こうとしたが、固辞された。

 桃子は挨拶もそこそこに、逃げるように車の扉を開けて出て行ってしまった。薄暮の中に消えていく後ろ姿を眺めながら、木場はなおも釈然としない気持ちでいた。

「桃子ちゃん、何かいろいろ秘密がありそうだったね」

 桃子に代わって助手席に乗り込んだ茉奈香が呟いた。

「警部さんのことは目の敵にして、花荘院さんとも何か訳ありっぽいし。うーん、最近の女子高生の考えることは謎だなぁ」

「お前もちょっと前まで高校生だっただろ。何かわからないのか?」

「あたしはあぁいうミステリアスなキャラじゃなかったからねぇ。でも、ちょっとくらい秘密があった方が女探偵としても魅力的だよね。あたしも何か作ろうかな、秘密」

「公言してる時点でもう秘密じゃないだろ」

 木場は呆れてハンドルを握った。桃子と話している間にいつの間にか17時半を回ってしまった。もはや公園の捜索は絶望的と言っていい。

「それで、お兄ちゃんはこれからどうするわけ?」

 車を発進させて10分ほど経ったところで茉奈香が尋ねてきた。

「そうだなぁ……。一度署に戻ろうかな。上手くいけば捜査会議に紛れ込めるかもしれないし」

 現場の捜査が一通り終わり、捜査会議が始まるのがおそらく18時頃。ここから警視庁までは車を飛ばせば約30分、ギリギリ飛び込める時間だ。後ろの方に紛れておけばしばらくは気づかれずに済むかもしれない。茉奈香は車で待たせておくか、署に着いてから電車で帰らせればいいだろう。

「またあのオジサンに怒られない? あのゴミ山とかいう人」

 茉奈香が尋ねた。ゴミ山。おそらく小宮山刑事部長のことだろう。単に聞き違えたのか、それともわざと間違えているのか。

「たぶん、刑事部長が会議に出てくることはないんじゃないかな。1つの事件にいつまでも関わってる暇はないと思うし……」

 木場がそう呟いた時だった。スーツのポケットに入れた携帯電話が鳴り出して、木場は慌ててポケットに手を入れた。茉奈香の帰りが遅くなったことで、雅子が連絡してきたのだろうか。木場はそう思いながら携帯電話を取り出し、画面に表示された名前を見たが、そこには意外な人物の名前があった。

「渕川さん?」

 茉奈香も意外そうな視線を向けてきた。渕川は正式な捜査員として、今頃は捜査会議の準備を進めているはずだ。そんな渕川が自分に何の用だろう。

 木場は急いで車を脇に停車させると、通話ボタンを押した。

「もしもし、渕川さん?」

『木場巡査殿! 大変であります!』

 渕川の大声に耳が割れそうになり、木場は慌てて携帯電話の音量を下げた。

「ど、どうしたんですか渕川さん? これから捜査会議じゃあ……」

『その捜査会議の前に、とんでもない事実が明らかになったのであります!』

 渕川が興奮した口調でまくし立てた。気忙しげに眼鏡を上げ下げしている光景が目に浮かぶ。

「とんでもない事実?」

『はい、被害者の身元がわかったのであります!』

「なんですって!?」

 木場も思わず大声になった。茉奈香がびくりとして身を引く。

「そ……それで誰だったんですか被害者は!? ガマさんと関係のある人ですか!?」

 木場は怒鳴った。だが、そこで急に切断されたような沈黙が通話口から漂った。

「渕川さん? どうしたんですか?」

 木場が訝しげに尋ねた。渕川はしばらく黙っていたが、やがて海の底まで沈み込むほどの深いため息が聞こえてきた。

 木場は嫌な予感がした。渕川がここまでためらうからには、ガマ警部にとっていいニュースであるはずがない。

『……被害者の人相を庁内のデータベースで入力したところ、ある事件の関係者とヒットしました」

 渕川が死人のような声で言った。木場は携帯電話を握る手に力を込めた。

『それは、今から13年前に起こった誘拐事件でした。その犯人である男の人相と、被害者の人相が一致したのです』

「誘拐事件?」

『はい……。当時5歳の少女が誘拐された、痛ましい事件でした』

 木場は記憶を反芻したが、そんな事件に覚えはなかった。何しろ13年も前のことだ。当時の木場はまだ小学6年生。記憶になくても無理はないだろう。

 だが――何かが木場の頭に引っかかっていた。13年前の誘拐事件。当時5歳だった被害者の少女。

 その時、ようやく渕川が言わんとすることがわかり、たちまち悪寒が木場の背筋を貫いた。そんな木場の心境を読み取ったように、渕川が重々しい声で言った。

『誘拐事件の被害者は、警部殿の娘さんでした。つまり警部殿には、被害者を殺害する動機があったことになるのですよ』

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