桃色の翳り

「じゃあさ、話を戻すけど、何で花荘院さんのとこにいたの?」茉奈香が気を取り直すように尋ねた。

「花荘院さんて、警部さんのお友達なんだよね。桃子ちゃんも知り合いなの?」


「あぁ……うん。先生のことは前から知ってる。小さい頃は、この家にも時々遊びに来てたから」


 桃子がダウンジャケットから顔を上げ、目を細めて花荘院邸を見つめる。昔を思い出しているのか、その表情は少し寂しげだ。


「それで、何でまたこの家に? まさか遊びに来たわけじゃないよね?」木場が尋ねた。


「違うよ。先生の落とし物見つけたから、届けようと思ったんだ」


「落とし物?」


「うん、これ」


 桃子はそう言ってダウンジャケットのポケットを探ると、何か小さな物を取り出して木場に見せた。それは時代劇でよく見るような印籠で、黒い本体に紫色の紐がついている。中央には花を模った金色の家紋が彫られている。


「この家紋、花荘院さんが着てた紋付についてたのと同じやつだね」


 茉奈香が言った。あの茶室を去る直前、楓の茂る庭を1人見つめていた花荘院の背中を木場も思い出す。


「うん。先生のあの着物、あたしも何回か見てたから、それで思い出したんだ」桃子が頷いた。


「そうなんだ。ちなみにこれ、どこで拾ったの?」


 茉奈香が尋ねた。一瞬桃子の目が泳ぐ。


「……あの、公園の近くの道路で」


 桃子が視線を逸らせながら言った。木場と茉奈香は思わず顔を見合わせ、それを見て桃子が慌てて取りなした。


「あ、でも、事件とは全然関係ないと思う。ほら、公園の近くにうちの高校があるって言っただろ? うちの高校私立でさ、たまに外部の講師呼んで講演とかやってるから、たぶん先生も呼ばれたんだ。その時に落としたんだよ、きっと」


 桃子が弁護するように早口で言ったが、木場は釈然としない気持ちでいた。


「どう思う? お兄ちゃん」


「まぁ……花荘院さんの印籠が公園の近くに落ちてたとしても、事件と関係あるとは限らないしな。桃子ちゃんの言うように、講演の帰りにたまたま落としたのかもしれないし」


 木場が自分に言い聞かせるように言った。桃子が目に見えてほっとしたのがわかる。


「まぁ、印籠だけじゃ結びつきとしては弱いよね」茉奈香も認めた。

「もう一回花荘院さんに話聞いてみる? どうせ印籠も返さないといけないし」


「そうだな。……あ、ちょっと待って、誰か出てきたぞ」


 木場が前方を指差し、茉奈香と桃子もつられて視線をやった。漆塗りの門から車のヘッドライトが差し込み、次いで黒っぽい車体が姿を現した。長い車体が見るからに高級車の体を成している。

 目を凝らして見ると、運転席に髪の長い男が座っているのが見えた。おそらく若宮だろう。後部座席に視線を向けると、コートを着込んだ白髪の男が座っているのが見えた。こちらは間違いなく花荘院だ。車はゆっくりと角を曲がり、木場の車とは反対方向へ発進していく。これからどこかに出掛けるのだろうか。


「あ、花荘院さん行っちゃう! どうしよう、引き留める?」


 言いながら、茉奈香が早くも扉に手をかけようとした。木場は隣に座る桃子の方を見たが、何故か桃子は強張った表情をしていた。


「桃子ちゃん?」


 木場が訝しげに尋ねると、桃子はびくりと肩を上げたが、すぐに我に帰ったように木場の方を見た。


「桃子ちゃん、花荘院さん行っちゃうけど、いいの?」


「……あ、うん、今日はもういいよ。今から出掛けるみたいだし」


「せっかくここまで来たのに。印籠を渡すだけなんだろ?」


「いいよ。また明日来ればいいから。……それに、先生と話したいこともあるし」


 そう言って視線を落とした桃子は、どこか思い詰めた表情をしていた。


 どうしたのだろう。さっきから桃子の態度はどうにも不自然だ。ガマ警部に対する敵意もそうだが、花荘院との間にも、何かのっぴきならない事情があるように思える。この蒲田桃子という少女の裏側には、何か大きな闇があるような気がしてならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る