浮浪者は見た
「じゃ、気を取り直して」茉奈香は大沼の方に向き直った。「平さんは昨日の夜もここにいたの?」
「おうよ。どうせ行くとこもねぇし、新聞紙にくるまってあの辺で寝てたよ」
大沼はそう言って池から離れた茂みの方を見やった。さっき木場が調査した辺りだ。木場は急に気分が悪くなってきた。
「ここにいたのは何時くらいから?」
「そうだなぁ。はっきりとは覚えてねぇけど、たぶん7時か8時くらいじゃねぇかな。俺、大体6時くらいになったら近くのコンビニに飯漁りに行くんだ。その時間がちょうど廃棄の時間だからよ。上手くいきゃあ結構なご馳走にありつけるんだぜ」大沼は黄ばんだ歯を見せて笑った。
「そ……それで、7時か8時に帰って来た時に、公園には誰かいたんですか?」木場がたじろぎながら尋ねた。
「いや、見なかったな。この時期は7時にもなったらもう真っ暗だからな。ただでさえも寒いのに、好き好んで公園に来る馬鹿はいねぇよ」
「まぁ、そうかもしれませんね……」
木場はため息をついた。話を聞き始めた時点ではあるいは、と思ったが、やはり無駄足だったようだ。
「平さん、よく思い出して!」茉奈香が熱心に言った。「ホントに何も見なかったの!? その時間じゃなくても、もっと遅い時間に誰か来てなかった!?」
大沼は首を僅かに傾け、上を向いてうんうん唸り始めた。そうしていると狸の置物そっくりだ。
「あ、そういやぁ……」
大沼が思い出したように口を開いた。茉奈香がすかさず身を乗り出す。
「何、どうしたの!?」
「あ、いや……俺、公園に帰ってきた後そのまま寝ちまったんだけどさ。途中で小便行きたくなって目ぇ覚ましたんだよ。俺も年だし、どうしても便所が近くなっちまってな」
大沼がぼりぼりと頭を掻いた。肉眼でも白いふけが落ちたのが見える。
「で、その便所がまた遠くてなぁ……。正門のとこに1箇所しかないんだよ。まぁでも、さすがにその辺でしちまうわけにもいかないから、しょうがなく歩いて行ったんだよ。その時にさ……池の方で、誰かが話してる声がしたんだよ」
「本当ですか!?」木場も思わず身を乗り出した。
「あぁ、俺もこんな時間に珍しいなと思って、ちらっと池の方を見たんだよ。そしたら、男が2人でベンチに座ってるのが見えた。何か訳ありな感じで、ぼそぼそ喋ってたぜ。
俺もちょっと気になったけど、それより小便の方が大事だから、さっさと正門の方に行ったんだ。帰って来た時には2人ともいなくなってたぜ」
木場は茉奈香と顔を見合わせた。大沼が見た2人の男。状況からして、犯人と被害者である可能性が高い。
「それ、何時くらいのことですか?」木場が慌てて手帳を取り出した。
「さあなぁ、覚えてねぇよ。時計を見たわけじゃねぇからな」
「じゃあ、トイレに行って帰って来るまでにはどれくらい時間がかかったの?」茉奈香が尋ねた。
「そうだなぁ、たぶん15分くらいじゃねぇか。せっかくいい気持ちで寝てたのに、歩いたせいですっかり目ぇ覚めちまってよ。もうちょっとホームレスに親切な設計にしてくれりゃあいいのにな」
大沼は勝手なことを言っている。木場は大沼の話を手帳に書きつけながら情報を整理しようとした。
「大沼さんが池の傍を離れた直後に被害者は犯人に襲われた……。そして大沼さんがトイレに行っている間に、犯人は死体を小屋まで運んだ……。池から小屋までの時間は約10分。出来なくはないね」
「でもさ、それだとおかしな点があるよ」茉奈香が口を挟んだ。「被害者は刺殺だったんでしょ? もしここで殺されたのなら、血痕がないのは不自然じゃない?」
木場はペンを動かす手を止めた。確かにそうだ。凶器を刺したままだったとしても、血が一滴も漏れないのはおかしい。まして犯人は死体を動かしているのだ。だが、木場が小屋から歩いてきた道にも、池の周りを捜索した時も、血痕らしきものは見当たらなかった。
「それじゃあ、大沼さんが見た2人の人物ってのは誰だったんだろう?」木場がボールペンをこめかみに当てた。「やっぱり犯人と被害者で、大沼さんがいない間に移動したのかな」
「こうも考えられるんじゃない? 実はその時被害者はもう死んでて、犯人と一緒にいたのは警部さんだったとか!」茉奈香が人差し指を立てて言った。
「ガマさんが犯人と?」
「そう、犯人は平さんがいない間に警部さんを気絶させて、小屋まで運んだの! そしたら血痕がない理由も説明つくし!」
「うーん……。でも、だったらどうしてガマさんはそのことを言わないんだろう?」
「それはわかんないけど。ね、平さん、その2人の男性ってどんな格好してた?」
茉奈香が尋ねた。急に水を向けられ、大沼がひっくとしゃっくりを上げる。
「あ? あぁ……そうだなぁ。俺もはっきり見たわけじゃねぇけど、1人は背が高かったな。もう1人はそいつの影になっててよく見えなかったよ」
「1人は背が高い、かぁ。被害者って身長何センチだっけ?」茉奈香が木場を振り返って尋ねた。
「聞いてない。渕川さん何も言ってなかったから、特に背が高いってことはないんじゃないかな」木場が手帳を捲りながら答えた。
「ふーん。ま、それは後で確認することとして、平さん、他に何か覚えてることない?」
茉奈香が尋ねた。大沼は再び狸の置物のような格好になったが、不意に何かを思いついたようにぽん、と手を叩いた。
「……そういやぁ、あの2人が話してる中で、一言だけ聞き取れたことがあったっけな」
「何ですか!?」
木場が再び身を乗り出した。このホームレス、とぼけた顔をして次々と重要な証言を出してくる。
「どっちか言ったかはわかんねぇけどさ、『楓』って聞こえたんだ」
「楓?」
木場と茉奈香が同じ方向に首を傾げた。辺りを見回してみたが、色づいた楓の木などどこにもない。
「何でしょうね、楓って……。何かの暗号でしょうか」木場が誰にともなく尋ねた。
「さぁな。俺もそれしか聞き取れなかったからわかんねぇよ」大沼が興味なさそうに欠伸をした。
「ね、それってさ、被害者の傍から発見されたっていう紅葉と何か関係あるのかな?」茉奈香が口を挟んだ。
「あぁ、そう言えば……。でも紅葉にしても楓にしても、この公園には見当たらないけどなぁ」木場が再び辺りを見回した。
「確かに、夜の10時に男性2人で、紅葉の名所について情報交換してたとも思えないしね。うーん、謎だなぁ」
茉奈香が天を仰いだ。さすがの名探偵もお手上げのようだ。木場は手帳の新しいページを捲ると、大きく『楓』と書きつけ、その横にクエスチョンマークを加えた。
「ま、平さんから仕入れられる情報はこんなとこかな」茉奈香が顔を戻しながら言った。「そろそろ捜査員の人が来るかもしれないし、一旦引き上げる?」
「そうだな。見つかったらまた面倒なことになりそうだし」
「平さん、ありがとね! おかげで助かっちゃった! また何か聞きたいことあったら来るかも!」茉奈香が満面の笑みを大沼に向けた。
「いいってことよ。茉奈香ちゃんみたいなカワイ子ちゃんの頼みなら大歓迎だぜ」
大沼は赤ら顔で言った。そろそろ酔いが回ってきたのだろう。
茉奈香はなおも大沼に手を振っていたが、木場はその反対側の手首を掴むと、長居は無用とばかりに妹を引き摺っていった。
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