続く

 揺れる白いカーテンに柔らかな日差し、窓辺に置かれたソファーで丸くなる黒猫。


 依頼主と雇い主が話している横で、ぼんやりとその光景を眺めていたら、雇い主から軽く肘鉄を食らった。耳は一応傾けていたのに。

「それで、四季坂さん。行方が分からなくなったのはいつ頃ですか?」

「二年……違うわ、そろそろ三年ね。姪がいなくなって、その後に甥もいなくなった。警察も最初は捜査してくれていたみたいだけれど、思ったより長く続かなくて、探偵を雇ってみたの。ちょっと強面だけど物静かで、不器用なりに優しいひと。まずは交友関係を調べてみると言って、それっきり連絡が途絶えた」

「それは……」

「騙されたと思った。彼を探し出して訴えたかったけれど、それより姪と甥が優先だから、いっそ自力で探そうか考えて。でも、とてもできそうにない状況だったから、結局次の探偵を雇ったの。次は可愛いお嬢さん達で、若いからちょっと不安だったけれど、泣きながら必ず見つけますって言ってくれたから、信じることにしたわ。すぐに動いてくれた上に途中経過もきちんと報告してくれたから、安心したけれど……その後あっさり連絡が途絶えてね」

「同業者が二度もすみません」

「頭を上げて、。彼女達の報告に、姪が頻繁に通ってた家があるとあったから、次の探偵をそこに送った。今度は男の子、貴方達より年下、お嬢さん達と同じくらいの子ね。ついでに、こういうことに強そうな知り合いもいたから、一緒に行ってもらって……やっぱり、連絡が途絶えた」

 小さく吐息をもらした後、衣擦れ音がしたと思ったら、何か硬い物が卓上に置かれる音が耳に届き、黒猫から目を離した。

 スマホだ。

 表示されているのはチャット画面。依頼主と誰かのものか。


『ごめんむり』

『秋羅ちゃん? どうしたの?』

『つかまった』『おとされる』『にげられない』

『秋羅ちゃん!』

『てんと』


 後は依頼主が呼び掛けているだけで、未だに既読になっていない。

「知り合いの秋羅ちゃん。この子の姉が私の友達で、彼女にもすぐ電話したんだけど、私みたいに秋羅ちゃんと連絡が取れないし、家にも帰って来ないって。昨日も電話したけど、ちょっと参っているみたい。悪いことしたわ」

「……」

 雇い主が俺を見る。

 どうしよっか、受ける? なんて言ってそうな顔だ。

 俺はただの従業員だ、と視線で訴えても、奴は首を傾げるだけ、すぐに依頼主に向き合った。

「姪御さんがよく行かれていたというお宅、教えてもらってもよろしいですか?」

 雇い主の言葉に、依頼主の目が僅かに開かれる。

「受けてくれるの、こんな話を聞いても」

「幸いにして、私にもこの白楽にも悲しむ家族はおりませんから」

 目を細めて浮かべる雇い主の笑みは、柔らかであり、そして少し、胡散臭い。

「……っ」

 口には出していないはずだが、また肘鉄を食らった。エスパー? それとも目が言ってたのか。さっきよりも強く、小さく悶えている横で、二人は俺に構わず話を続けた。


◆◆◆


「それにしても、本当に似てるよね」


 右手に二枚、左手に二枚、写真を持って見比べる雇い主。

「歩きながら見ないでくださいよ」

「僕がぶつかったり転んだりしないよう、君が気を付けてくれたらそれでいいんだよ。その為の助手じゃないか」

 その為に雇われているのか。

 それならと、雇い主の二の腕を掴んで、周囲を警戒しながら歩く。雇い主は何も言ってこないけれど、時折すれ違う通行人の視線が微妙に刺さる。

 雇い主は気にならないのか、普通に話し出した。

「確か──黒蜜夜花に音夜、白雪吹雪に茉冬、だったかな。依頼主である四季坂さんのお姉さん達の子供で、お姉さん達は双子なんだって」

「双子が産んだ子供って似るんですね」

「ね。正直お姉さん達にも話を聞きたかったけれど、依頼の申し出があった時点で、二人は話せる状態にないから無理だと言われてね。取り敢えず、お宅訪問だ」

 駅から離れた場所にある住宅街、その奥に、件の家はあるらしい。

 話しながら、黙りながら、歩いて歩いて歩いた末、誰ともすれ違わなくなった頃に、その家に辿り着く。

『お庭のある一軒家みたいで、庭には年中紺色のテントが張ってあるんですって。……最後の「てんと」って、このテントのことかしら』

 確かに、庭には紺色のテントがある。

 テントの周りには黒猫が三匹いて、二匹は地べたに寝そべっているが、一匹だけテントの中に入っていった。


「どちら様ですかー?」


 テントと黒猫にばかり目がいっていたが、庭には誰かいたらしい。家主か? と視線を向けながら、そのわりには声が幼かったと首を傾げる。

 実際、声の主は幼かった。

「不審者さんならー、警察さん、呼びますよー?」

 血を思わせる真っ赤な髪を三つ編みにした、宝石のように煌めく青い瞳の、黒いワンピースを着た小さな少女。

 庭にはどうやらテントの他にベンチもあったようで、少女はそこに座らず立ったまま、俺達と向き合っている。

 彼女、口ではそんなことを言っているが、俺達に向けているのは花の咲いたような笑み。どこぞの探偵が浮かべる胡散臭い笑みとは全く違う、心からの純粋な笑みだ。

「お嬢さん、僕らは探偵だよ」

 言いながら、雇い主は腕を強く払う。また、思っていることが伝わったのかもしれない。

「たんてーさん? じゃー不審者さんじゃなーい?」

「そう、じゃないじゃないだ」

 普通に不審者じゃないか?

「今、お家にはお嬢さん一人?」

 普通に不審者じゃないか。

「家の中に人がいますって言おうねーって言われてるー」

 それはいない時に言うべきことだろお嬢さん。

 彼女の言葉に「そっか」と返すと、雇い主はキョロキョロと辺りを見回す。

「お家の人にお話したいことがあるんだけど、玄関はどこかな?」

「大丈夫だよー」

 ……ん?

「いや、大丈夫じゃなくて、玄関はどこかな?」

「大丈夫だよー」

「大丈夫じゃない玄関だ」

「大丈夫だよー」

「だから」

 少女は笑みを浮かべたまま、ゆっくりとした足取りでこっちに近付いてくる。寝そべる二匹の黒猫も起きて、少女の横に音もなく侍った。

 ──どこからだろう。

 どこからか、少女の纏う空気が変わった気がする。

「大丈夫だよー」

 何度目かの同じ言葉、けれど今回は続きがあった。


「お兄さん達の後ろにいるから」


 最初は腕、次は肩。

「……っ!」

 押されたと思ったら、右肩に衝撃が走る。

 やけにゆっくりと落ちていく身体。いや倒れていくのか。雇い主はどうなったのか、彼がいた方を見ようとすれば、俺と同じように倒れていく彼の姿が目に入る。

「──黒椿さん!」

 呼び掛けても返事はない。

 ただ、彼の頭に赤い何か、いやハンマーみたいな物が振り落とされるのが見えた。

 ──ばこん。

 軽いのか重いのかよく分からない音。あのハンマーからかと思ったが、違う。

 身体が動かない。

 右肩が痛い。それと同じかそれ以上に頭が痛い。

 俺の身体は完全に地面に倒れ伏している。あれは、着地の衝撃音だったのかもしれない。

「……失敗、したのかもな」

 耳が、声を拾う。女の声だ。

「これで何人目だ、探しに来た奴。意外と愛されてたんだな。黒猫と戯れる時以外はつまらなそうだから、てっきり」

「……ちゃんと、調べない、から」

「わりかし積極的だったぞ、お前だって」

「……ふん」

「まっ、いいよ──こいつらも入れちまえ」

 両腕を引っ張られ、引き摺られる。

 うわ言のように、雇い主を呼んだ。


「く、ろつ、ばきさ……おき……たたか……くろ……」


 返事は一度もなかった。

 まるで物のように引っ張られていき、手を離されたと思ったら、すぐに押し込まれる。

 どこに? ……多分あの、テントの中に。

 瞼が重くて仕方なかったが、どうにか開けて見たら──星が見えた。

 満天の星。

 こんなの、プラネタリウムでしか見たことがない。

 最後に行ったの、いつだったか。

 ……雇い主と……いや、黒椿さんと、行ったんだよな、確か……。


「ぷに」


 ……ぷに?

 ぷにって何だ? どこからした?

 分からない。……もう何も、分からない。


 それを最後に、瞼を閉じた。


◆◆◆


「……繋がらない」


 女性は呟くと、スマホをローテーブルの上に置いた。

「結局、こうなるのね」

 深い溜め息、物憂げな表情。

 何かを察したか、ソファーの端で眠っていた黒猫が起き上がり、女性に近寄り膝の上に座る。

「起きたの、たんたん。ご飯にする? それとも遊ぶ?」

 途端に女性は笑みを浮かべ、黒猫に構いだす。

 少し迷惑そうにしても気にしない。しばらくすればやれやれと言いたげに、だらんと溶けだすから。

 黒猫を撫でれば撫でるほど、女性の笑みは増していく。

「姉さん達やお母さんの様子見て、あの子達の行方を調べてって大変だけれど、仕方ないわよね、家族だもの」

「ぷに」


「探偵には頑張ってもらわなきゃ」


 子供達が見つかるまで、女性は頼ることをやめない。

 その結果、帰れなくなる人間が増えようと、気にしない。


 ずっと、ずっと──続く。

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