王の悲願
その昔、民を苦しめる王がいたという。
自分と側近に都合の良い法律ばかり作り、気に入らない人間がいれば身分関係なく殺す。気に入った女がいれば夫や子供がいようと自分の側室にし、充分な土地があるにも関わらず更に土地を求めて他国に戦を仕掛ける、そんな最悪の王が。
在位は一年、一人の騎士が信頼できる仲間と共に反乱を起こし、強欲にして傲慢なる王の首を討ち取った。
以来その国は名前を変え、騎士が新たな王となり、民が生きやすく、他国とも軋轢をなるべく生じさせない平和な国を作っていき、王が老いて亡くなれば、子から子へと、途切れることなくその血と平和の思想は受け継がれていった。
──しかし、およそ二百年後。
先代の王に娘しか生まれず、縁者に王位を継げそうな男子がいなかった為に、年長の娘が初の女性王として即位したことで、状況は急速に変わっていく。
武器の素材や一部食料の提供等でしか関わって来なかった戦争中の国に積極的に兵を送り、国内はもちろん、出入国や輸入で生じる税金を引き上げていき、偵察にきた他国の兵を捕まえては、拷問にも等しい尋問をしてから処刑し、その首を一日中、国の城壁に飾らせた。
苛烈なる王、悪逆の再来。
──ヨルカ・クリソベリルこと、ヨルカ一世王陛下。
女王と呼ばれることを嫌った彼女の治世は、即位から九ヶ月後、騎士アーサーの手によって終わることになるが、この日、
◆◆◆
アーサー・レオンハートの驚愕は、他人にはきっと別のものとして捉えられるのだろう。
先の戦で武功を立てたことにより、アーサーは王の住まう宮殿へと呼ばれ、初めてヨルカ一世に謁見することとなった。
──ブラックキャット宮殿。
王が代わってから宮殿の名称はそのように変わり、その由来が何であるのかアーサーも耳にしてはいたが、いざ実際に目にしてみると、緊張感が少し失せてしまう。
猫。
猫、猫、猫。
国中から集めてきたとばかりに、宮殿内の至る所で猫と
例外なく、全て毛色の黒い猫。
自由に徘徊し、眠り、餌を求めてくる。
アーサーは猫が苦手ではない。けれど猫、それも黒猫は、視界に入るたび、無意識に目が険しくなってしまう。
王命がなければ、足を踏み入れたくはなかっただろう。
なるべく案内人の背中を凝視しながら、謁見の間に辿り着き、名前を告げられ、許可を得てから中へと通される。
「……っ」
所定の位置へと進むことを忘れ、アーサーは入口で立ち尽くした。
室内の最奥、そこには色褪せた赤色の玉座があり、年若い女が腰掛けている。
この国の王──ヨルカ一世その人だ。
宝石がちりばめられたドレスも、装飾品も靴も全てが黒く、唯一頭上に輝く王冠だけが、金と赤に彩られている。
「レオンハート卿、前へ」
傍にいた者に声を掛けられても、アーサーは足を動かせない。
王は冷ややかな無表情でアーサーを見つめ──足元では黒猫が戯れていた。
一匹ではない、三匹。
二匹は小さく、場の空気など知らずにじゃれあい、一匹は大きく、王のドレスの裾を枕に眠りこけている。
きっと人間には許されない行為。たとえ子供であろうと、そんな真似をすれば処刑、とまではいかなくても、本人か親に重い罰がくだされるはず。
黒猫にしか許されぬこと。
身動ぎも返事もしないアーサーに、周囲の者はほんのり焦りの表情を浮かべ始める。
「──レオンハート卿」
それまで呼び掛けていた者とは別の人間が、アーサーの名前を口にし、瞬間、空気が凍る。
その声は、王の方から──王の口から発せられたからだ。
「……はっ」
一拍遅れて返事をし、アーサーは僅かに頭を下げる。
王は表情を変えずにそのまま続けた。
「前へ進め、この後の予定に障る」
「……失礼いたしました、陛下」
命じられた通りに、前へ、前へと、所定の位置を目指し足を動かす。
アーサーが近付いてきたことで、じゃれていた黒猫二匹はどこかへ走り去っていくが、眠っていた黒猫はそのまま惰眠を貪っている。
所定の位置に着くと、アーサーは跪き、頭を垂れた。
「先の戦で、敵の将を二人も討ち取り、兼ねてから余が欲していた砦を攻略したと聞く」
「兵の助力と、策士の助言のおかげです。私一人ではとても成し遂げられませんでした」
「謙遜は時に美徳だが、貴殿の決断力と行動力を蔑ろにするなよ。……さて、貴殿を呼んだのは他でもなく、その褒美を余の口から直接告げる為である」
ぷー……にー……。
気の抜けた黒猫の鳴き声が謁見の間に響く。
それに一瞬でも緩む空気ではなかった。
「褒賞金と領地、それに爵位も与えようと思うが、その前にまず与えなければいけないものがある。──安心しろレオンハート卿、貴殿からの請願書は幾度も届いていた」
「……っ!」
思わず顔を上げそうになって、寸前で押し止める。
ヨルカ一世の即位後、アーサーはとある権利を願い出ていた。
「覇王剣・レヴィアタン、その所有権を貴殿に認める」
王の言葉に、周囲がどよめく。
アーサーが求め、王が与えようとするその剣には、そうなるだけの理由があった。
「諸卿、静粛に。……本来、かの剣を手にできるのは王の血筋のみだが、その点は安心しろ。レオンハートの家には六代前に、当時の王の庶子が嫁いでいたと調べがついている。血に問題はない上、今の王家に必要ないのだ、欲する者に与えても構わないだろう、あんな物」
覇王剣・レヴィアタン。
その昔、王の先祖であった騎士が、悪逆なる王を討ち取った際に使われた剣。
しかし数代前、当時の王自ら側近と共に、とある山の主である邪龍を討伐しに行った際、返り討ちに遭い、その背に剣を突き刺したまま逃げ帰ってしまい、何代かは伝説の剣を取り戻すことを王家の悲願としていたが、先々代の王の辺りで、別になくて困るものではないと諦められていた。
価値はあるが危険で不必要な物。
それをアーサーは欲した。
『女の王を軽んじる者が国内外で未だそれなりにおり、王の正統性を確かなものとする為に、今、あの剣が必要なのではないでしょうか』
王の為に。
その言葉を疑う者、その言葉に笑みを浮かべる者、様々な反応をされている。
後者の反応をする者は、期待しているのだ。
歴史の再現を。
「もちろん、一人で行かせるほど、余の血は凍ってはいない。今回の功績で助力と助言をしたという仲間も好きなだけ連れていけ」
王の表情は、変わらない。
冷ややかな、無表情。
──しかしその声にはほんの僅か、熱が込められている。
それに気付く臣下は、いない。
「レオンハート卿」
「はっ」
「それに諸卿。見ての通り、余の腕は細く、重すぎる武器は持てそうにない。無事に持ち帰れたなら、レオンハート卿には余の剣として、これまで以上に働いてもらいたく思う」
誓えるか、そう問われ、アーサーは誓いますと答える。
「……健闘を祈る」
顔を上げさせないまま、王は足元の黒猫を抱き上げ、静かに退室していった。
王の姿がなくなれば周囲は口々に何かを囁き始め、ここまでアーサーを案内した者が、彼に退室を命じる。
「……」
立ち上がり、王がいなくなった扉を見つめながら、アーサーは口を開く。
「陛下が抱いていた黒猫は、ザークシーズという名前か」
「え? ……はい、そうですが」
「……そうか」
周囲の者は気付かない。
アーサーの目に一瞬、悲哀の色が混じったことに。
◆◆◆
「ザークシーズ、気付いた? 今日会いに来たの、アーサーだったのよ?」
昔々、公爵家・クロミッツの娘と、爵位のない下級貴族・レオンハートの息子は、秘密の友人だった。
父違いの弟の従者として、少女の家に来ていた少年は、ある時、弱っていた小さな黒猫を拾う。
薬草や包帯代わりに使えそうな布などを探している最中、偶然庭で一人花冠を作っていた少女と遭遇し、二人で協力して手当てをしたことで、人目を忍んで話すような仲になった。
「私の顔を見て、驚いていたわね。私が即位したことは知っていたはずなのに」
少女は花が好きな公爵令嬢で、少年は剣の腕を磨くのと同じくらい、植物について調べるのが好きだった。
順調に良くなり、健康に育つ黒猫を愛でながら、二人は知っていることで盛り上がり、知らないことを共に学ぶ。
「表情がさ、冷たくなったと思う。私も人のことは言えないけれど。……でも、優しそうな目だけは、全然変わってなくて良かった。私、私ね、あの目が本当に……」
最初はただの友人だった。だが年頃になると、二人の間に時折、甘やかな空気が流れることも。
しかし二人には身分の差がある。
少女は自分の愛の為なら家など捨てても構わないと思っていたが、少年は自分の愛の為に少女に苦労を掛けることを嫌がった。
「二人で薬屋をやるってのはどうだったのかしらね。家とか血とかそんなくだらないもの捨てて、二人で幸せになる未来の方が、ずっと価値があるのに」
二人の関係は変わらないまま時は流れ、少年は実家から、家に戻り騎士団へ入るよう命じられ、少女は──流れる血故に、拒否権のない命令をされていた。
少女の母も公爵家の娘、元は別の男と婚姻を結んでいたが、娘しか生まれなかったということで離縁され、実家に戻り婿を取った。
その前の夫というのが、この国の王であった男。
彼はその後も二度結婚したが、結局娘しか生まれず、息子を残すことなくこの世を去る。
亡くなる直前、世継ぎのことで揉めた末に、女とはいえ血は正統なのだから、年長の娘を世継ぎにすればいいと落ち着き──少女が次の王となったと。
そうして、ろくに挨拶もできないまま、少女ことヨルカ・クロミッツ、もといヨルカ・クリソベリルと、少年アーサー・レオンハートは別れることとなる。
もちろん何度も逃げ出そうとしたがそのたびに捕まり、ある時、二人の仲を知る侍女の一人に、このままだとアーサーにあらぬ疑いを掛けられることになると脅され、ヨルカは諦めることに。
そんな彼女の心を救ったのは、二人で面倒を看ていたザークシーズ。
「いつの間にか荷物の中に潜り込んでくれてありがとう、ザークシーズ。あなたが傍にいてくれなかったら、私、淋しさに屈してただの傀儡にされてた」
先祖から続くやり方ではなく、かの悪逆なる王のように民を苦しめるのは、自分の血を──クロミッツの血を後世に残さない為。
ヨルカの祖父は野心家で、自分の血を王家に組み込む為なら形振り構わなかった。最悪なことに彼女の祖父は、金と毒の使い方にかなり成通していた。
ヨルカを王位に着かせ、裏から自分の好きに操作する。
「私の後に生まれた妹達は殺された。私が殺したことになってる」
王家の血は、汚れてしまった。
そんな血を、残してはいけない。
途絶えさせなきゃ、止まらない。
「私がいなければ、あの人は大きな顔もできないのよ?」
自分はもちろんとして、自分の一族郎党皆殺しにする為に、したくもない悪行を繰り返す。
それが祖父への復讐であり、愛を選べなかった自分への罰。
「……ザークシーズ」
天蓋の下、ベッドに寝転び、ただのヨルカは黒猫を撫でる。
嬉しそうに「ぷにー」と鳴くザークシーズ。猫の鳴き方がこれで合っているか知らないが、黒猫の鳴き方はこうなのだ。
「アーサーが頑張ってることは知ってる。彼の戦果はよく耳に届いているもの。だからきっと、レヴィアタンを手に入れて戻ってくる」
黒猫の背を撫でながら、在りし日に、指を絡ませた髪を思い出す。
白みがかった金色の髪を。
「そしたら私、もっともっと酷いことをするの。ヨルカ一世は悪い王であると知らしめる為に。本当はどんな人間だったか調べられないように。それでいつの日か──アーサーに私を殺してもらいたい。古の王と騎士のように、どうかあの剣で私の首を取ってほしい」
そして私の後に王となって。
アーサーやアーサーの身内なら大丈夫そうだから。
「それが今の、私の願い」
王の独り言を耳にするのは、一匹の黒猫のみ。
撫でられている間、気持ち良さそうに声を上げていた。
だが、
「私の願いが叶ったら、ちゃんと逃げてね。どこに行ってもいいけど、もし、ザークシーズがいいなら、アーサーの傍にいてほしい。……きっと、辛いだろうから」
その言葉に、声を上げることはなかった。
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