黒猫憑きの探偵

 ■■が■■、■■が■■。

 誰も気付かないから、面白い。

 何度も何度も、繰り返す。


『あら、面白いことやってるのね』


 初めて誰かに気付かれる。

 面白い、面白い。

 からからと笑って、誰かは──■■を連れていってしまった。


◆◆◆


 女は無表情ながら、いっそ吐き気を覚えるほどに、興奮していた。


 平日の午前十一時過ぎ。

 とある町の、とある古い喫茶店。

 住宅街の真ん中にて、静かに営業している。

 カウンター席が六席、長方形のテーブルに四脚の椅子を配置した四人掛けの席が五席。

 そろそろ昼時だが、客は四人掛けの席に腰掛ける女一人のみ。

 その店は珈琲や軽食、特に苺ジャムサンドがとても美味しいのだが、時折外にまで響くほどの怒鳴り声が聴こえてくること、警察が来て客を連れていく姿をよく見られること、何より、店主の愛想がすこぶる悪いことから、客足は少ない。

 一応、女給を一人雇っており、可愛らしく愛想の良い、その彼女のおかげでどうにか営業できてるものの、彼女が休みの日には、客がほとんど寄り付かない。

 常連客はもちろんとして、一見の客が入ろうとすれば、住人達が止めに入るほど。

 今日は彼女がいない日で、女も止められた際に店主の話を聞かされたが、無視して店内に入った。

 そんなことはどうでも良かった。

 今日この日、この場所で、女は知りたかったことを知れるのだから。

 約束の時間からは少し過ぎてしまったが、それでも女は、四人掛けの席にただじっと座り、目の前に置かれたばかりの珈琲の湯気を眺めていた。

 乱暴に置かれた為に珈琲が少し飛び散ってしまったが、女は気にせず、ドアのベルが鳴るのを待つ。

 まだか。

 まだかまだかまだか。

 まだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだか。

 まだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだかまだか。


 ──カランコロン、と軽やかに。


 眩い光と共にドアが開かれ、女は勢いよくそちらに視線を向けた。

 そこには二人の人間が立っている。

 一人は白く、一人は黒い。

「■■様でお間違いなく?」

 黒い方が口にしたのは女の名前。頷けば二人は傍に来た。

「はじめまして、調査処・黒蜜から参りました──黒蜜音夜と申します」

 黒い方が一礼し、そう名乗る。

「隣にいる男は、僕の助手の白楽はくらです」

「……」

 女は返事もしないで黒い方──黒蜜音夜を凝視する。

 黒蜜音夜は名前の通りに黒い。

 大きめの黒いマスクで顔の半分は隠れ、肩くらいの長さで後ろに縛っている髪は黒く、黒いロングコートの下にも、黒いワイシャツとスラックス、黒い光沢のある靴と、黒一色のみ。

 それだけでも目を引くが、女はそれよりも気になった。

 どちらなのだろう。

 黒蜜は華奢な見た目で、平均より小さめの女に比べ背が高いと思うものの、隣に立つ白い男よりも頭二つ分低いので、小さく見える。

 耳に届くその声も、低めで、いっそ色気があるように思えるが、男にしては高いような気がしないでもない。

 名前で男と思えるが、見ようによっては──。

「白楽です」

 思考の邪魔をするように、白い男──白楽は名乗り、黒蜜の前に立つ。

「……」

 黒蜜と違って、白楽は白一色ではなく。

 艶のない、耳に掛かる長さの白に近い金髪。コートとワイシャツは白く、スラックスと靴は黒い。左手にはボロボロの赤い鞄を持っている。

「邪魔だ白楽。失礼しました■■様。お約束の時間より遅れてしまい、申し訳ありません。さっそくですが、ご依頼されていた調査について、お伝えさせていただければ、と」

 女の目が光った。

「座って」


 調査処・黒蜜。

 それは、どんな重要機密も、どんなくだらないことでも、等しく全て調べ上げる。

 有能だから有名、というわけでなく。

 おかしいから、名が知れ渡っている。

 依頼方法は、そこらをうろつく猫、それも黒猫に、依頼内容を書いた紙を咥えさせること。

 受理されて、直接会う必要があれば会う場所を記した紙が届けられ、必要なければ報告書が届けられる。

 もちろん、黒猫が咥えて。

 全て終わった後には、いつの間にか所持金がかなり減っていて、調査された場所、あるいは人の付近で、うろついていた黒猫が急にいなくなったと耳に入る。

 ──別名『黒猫憑きの探偵』と呼ばれていたりする。


「こちらの封筒をどうぞ」

 席に腰掛けてすぐに黒蜜がそう言えば、白楽が鞄から大きな黒い封筒を取り出す。

 鞄に無理に詰めたのか、端が折れてしまっているが、女は気にせず、白楽が机の上に置いた瞬間、奪うように手に取り、中身を出した。

 数枚の、紙。

 細かく文字が記されているものもあれば、写真だけのものも。

 黙々と読み進めていく女。その顔は──徐々に怒りに歪んでいく。

 最後の紙を読み終えた時、ぽつりと、女は呟いた。

「……うそつき」

 力を込めすぎて、紙はくしゃくしゃに。

「ご覧になられた通り、▲▲様には他に交際されている女性がいたみたいです。■■様と過ごされた次の日は、その女性の家へと。半同棲状態のようです」

「……そう」

 語り掛ける黒蜜の方は向かず、くしゃくしゃになった紙を凝視した後、適当に折り畳んで、自分のバッグに仕舞う。

「……やっぱり、双子の兄弟なんて、嘘だった。……半、同棲? 私が何度もしたいって言っても、してくれなかったのに……」

 ▲▲。

 そう口にした声は、怨嗟に満ちていた。

「──絶対に、許さない」

 女は、そのまま席を立つつもりだった。

 立って、その足で──。

 机に手を掛け、腰を浮かし掛けた瞬間。


「双子だったのは、本当だ」


 その言葉に、女は動きを止めた。

「……白楽」

「中学生の時に片方が死んだらしい。兄か弟かは知らないが、半同棲してる女ってのは、いなくなった方の恋人なんじゃないか」

「白楽、やめろ」

「▲▲を、違う名前で呼んでいた。それに、あの女といる時と、そうでない時で、趣味嗜好も変わっているように見受けられる」

「それ以上は言う必要な」

「──ただの二股とは違う可能性もあるぞ」

 女は何も言わなかった。

 ただ、目の前の二人を睨み付け──拳を机に叩きつける。

「話して」

「……白楽」

「修羅場になるのはまだ早いだろ」

「話して」

「余計なことだろ、結局二人の女に手を出してんだから、甘んじて受け入れろよ」

「自分の人生も生きたかったんじゃないか?」

「話して」

「知るか。そんなの僕は許さない。このまま刺されてしまえ」

「まあまあそう言ってやるなよ。てか黒蜜、説得する予定で直接来たんだろ? 引き留めないでどうする」

「……■■様の様子を見てたら、気が変わって」

「……お前のそういう所は良いと思うけど、人の命掛かってるから」

「……悪い」

「いやいいよ。そんなことよりもだ黒蜜、俺達が受けたのは他に女がいるかどうかってことだけで、▲▲の実情を調べるように、とは言われてなかった」

「だから言う必要なかっただろそんなこと。ついでに知った必要ない情報だ」

「だから、ここからは別料金、別の依頼として話を」

「守銭奴め」

「お金は大事だぞ、黒蜜」

「──うっさい!」

 女は再び、拳を机に叩きつける。

 黒蜜はそこで、依頼人の存在を思い出す。

「あ、その」

「知ってるんでしょ知ってるんだ知っているのね!」

 かなり傷んだ黒髪を掻きむしると、女は衝動のままに、まだ湯気の立つ珈琲のカップを掴み、

「知ってること全部、話しなさいよっ!」

 それを──黒蜜に向けてぶちまける。

「…………ぁ」


 全ては二分未満。


 身動ぎ一つできなかった黒蜜。

 瞬時に立ち上がり、黒蜜の前に出てその頭を抱え、背中に珈琲を浴びる白楽。

 そしてどこからか、頭髪薄めで小太りの中年男性が飛んできて、女に体当たりし、女が床に倒れた所で上に乗っかり押さえ込む。

「おどれは何しとんじゃい!」

「誰よおっさん!」

「誰でもええやろがいっ!」

 激しく言い争う声、それはしばし、黒蜜の耳に届かず。

「……あさ、き」

 くぐもった声で呟くと、ゆっくりと黒蜜は自分の両腕を持ち上げて、白楽の背中に触れる。

「触るんじゃない、汚れるぞ」

、じゃなくて、あさきが……」

「俺は大丈夫だから。自業自得、やり過ぎた。てか、黒蜜」

 黒蜜の頭を一撫ですると、白楽は黒蜜から離れ、不安に歪む黒蜜の目を見つめながら、白楽はその言葉を口にする。

「素に戻ってるぞ。今のお前は誰だ? ──黒蜜音夜だろう?」

「……っ」

 潤んだ瞳を見開いて。

 しかしマスクの下の口は固く結び。

 白楽の目を見つめた後に、両手で目元を拭う。

「──失敬、取り乱した」

 そこにいるのは黒蜜音夜。

 中性的な容姿だが、どちらかと言えば男だろうと判断される。


 だが、頭を抱えられていたその間。

 黒蜜音夜はしばし、姿を消していた。

 ──代わりにいたのは、ただの、


「すまない伯父貴、ありが」

「彼氏とのいちゃつきは終わったのか、?」

 中年男性へ礼を口にしながら近付けば、返ってきたのは下世話な軽口に、誰かの名前。

店主マスター!」

 咎めるように声を上げ、動きを止めた黒蜜の元に来る白楽。

「お前も依頼人を煽るな。うちのに傷でもつけようもんなら、海か山にでもおどれを連れていくからな。動けないようにした上で」

 黒蜜はしばし、中年男性もといこの喫茶店の店主を凝視した後、

「……何を言ってるんだ、伯父貴」

 目を細めて、言った。


「僕は、音夜だ。あなたの、甥の」


◆◆◆


 黒蜜夜花と黒蜜音夜は双子にあらず。

 けれど双子のようにそっくりで。

 隙あらば衣服を替えて、相手の振りを頻繁に。

 誰も彼も気付かない。


『あら、面白いことやってるのね』


 だが、初めて誰かに気付かれる。

 面白い、面白い。

 からからと笑って、その誰かは──音夜を連れていってしまった。

 夜花の格好をした音夜を。


 黒蜜家は黒猫憑き。


 それは本当のこと。

 何代も前の黒蜜家の者が黒猫を助けたことで、恩返しにと憑かれた。

 黒猫達は無条件に黒蜜家を助ける。

 どんなことでも。

 その恩恵を、黒蜜姉弟の父は存分に絞り取り──その末に、誰かの怨みを買い、子供を連れていかれた。

 誰かは、調べに調べ、そして知る。

 黒蜜家が黒猫憑きだということが、事実だということを。

 その恩恵を盗み取ろうと、子供を一人連れていく。

 誰かは、どっちでも良かった。

 しかし父は、娘の方が良かった。

『あいつは俺の後を継がせるつもりだった! 何でお前じゃないんだ!』

 二人が入れ替わっていたことを、本当は誰もが気付いていて。

 ただ、遊びに付き合っていただけで。

『責任を取れ! ──これからは本当に、音夜として生きろ!』

 娘なんかいらないのだと。

『分かり、ました、お父様。……いや、父さん』

 夜花に他に生きる道などなく。

 受け入れても──受け入れきれなく。

 時折、黒猫達の温もりを求め、黒猫達もそれに応えた。

『音夜で、いたら。ちゃんと、音夜になれば。お父様は、私を……かわい、がって……』

『ぷにー』

 黒猫の鳴き声はこれで合っているのか?

 黒蜜家の猫は特別なんだろう。

 抱き締める時、撫でている時。

 ──その時だけ、夜花は夜花に戻れるのだ。


◆◆◆


「一号と二号は相手の女性の家、三号は▲▲の自宅、四号は職場を張り付け。五号と六号は▲▲が外出したらその追跡を頼む」

「ぷに!」

「ぷにっぷー!」

 夕暮れ時。

 喫茶店から少し離れた路地裏に、黒蜜と白楽はいる。

 周りにはたくさんの黒猫。

「七号と八号は▲▲の実家に張り付き、九号から十四号までは▲▲の友人を探れ。後の猫達は、今命じた者達が疲れた際、すぐに交代できるよう準備しておくように」

「ぷーにー!」

 一斉に鳴くと、黒猫達は散っていく。

 後に残るのは、黒蜜と白楽のみ。

「俺は?」

「……君は、これから僕と買い物だ」

 溜め息混じりに言うと、白楽に身体を向ける。

「僕が避けなかったばかりに、君のコートが被害を受けた。弁償する」

「気にすんなよ。コートはまだあるんだから」

「だが」

「それでも気にするってんなら、今腹減ってるから、何か美味しいもの作ってくんない?」

「……え」

「どこかの店に食べに行く、でもいいけど、黒蜜が作るご飯が一番上手いんだよ」

 だめ?

 言いながら、白楽はそっと、黒蜜の手首を掴んだ。

「……冷蔵庫に、材料が」

「じゃあ、やっぱり買い物に行くか。近くにスーパーあるよな、そこでさ」

「……白楽はたくさん食べるから、荷物が多くなる」

「持つよ、全部」

「……白楽」

「なんならお代も持つよ、作ってもらうんだから」

 そう笑うと──自分の腕の中へと、黒蜜を引き寄せる。

「……ちょっと」

「夜花のご飯美味しいから楽しみだ」

「……そう言って、結局一緒に作るじゃない」

「だから余計に美味しいんだろ?」

「……もう」


 夜花が夜花に戻る時。

 黒猫達を抱き締めている間だけ、撫でている間だけ。

 そして──白楽あさきの腕の中にいる間だけ。

 彼は彼女に、戻れるのだ。

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