家族を迎える

 月に一回、弟とゲーセン行くんだよね、と何となく友人に言ったら、仲がいいんだねと言われた。

「……あ、うん」

 違うんだよな。

 遊びに行ってるわけじゃ、ないんだよな。

 でも、理由をわざわざ話すほどのことではないから、曖昧に頷いておいた。


◆◆◆


 高校に入学して少し経ってから、黒蜜夜花はアルバイトを始めた。

 将来の為の貯金なり、毎月頭を抱える母の為の生活費なり、そういう理由もなくはないが、やはり一番は、自分の好きに使えるお金を増やしたかったから。


 ──物心ついた頃から、夜花は黒猫が大好きだった。


 ハンカチなりカバンなり、鉛筆なりペンケースなり、愛用する物にはどれも黒猫のキャラクターがいて、黒猫に囲まれた生活が当たり前だった。

 そんな夜花の不満に、欲しいタイミングで黒猫グッズが手に入らない、があった。

 親にせがんでも、この前買ってあげたでしょ、同じのいっぱいあるでしょと買ってもらえず、お小遣いは他にも使うあてがあるから、全部を使いきることはできず。

 泣く泣く見送って、二度と目にすることのなかったグッズがどれほどあることか。

 だから、高校生になったら絶対にバイトをしよう。

 それで好きに、黒猫グッズを買い漁るんだと、心に決めていた。

 初めての給料は大きな黒猫の抱き枕を買い、それは二年生になった今でも愛用している。

 目につく黒猫グッズを、財布が許す限り好きに買い、部屋にどんどん増えていく大小様々な黒猫達。

 満たされた夜花のそれなりに幸せな毎日──ただ時折、不満なことも。

 好きに使えるお金があるにも関わらず、手に入らない黒猫も時々いた。

 彼ら彼女らは、遊戯場のガラスの檻の中。

 ……いや、ゲームセンターのクレーンゲームの景品としてそこにいて、夜花はあまり、得意ではなく……。

 自分でここまで、と決めていた額全て使っても取れなかった黒猫のぬいぐるみを前に、崩れ落ちていた、ある日。

『次、いいですか』

 はい、すみませんと横にずれ、相手を見たら、それは夜花の弟の音夜で。

 五百円玉を投入し、二回か三回やった所で──落ちた。

『……え』

 音夜は無表情でぬいぐるみを手に取り、そのまま夜花に渡す。

『浪費は良くないです』

 そして何事もなかったように、次の台に移動する弟と、手元の黒猫をしばし見比べた後、

『……キャッチャーだったのっ?』

 音夜の後を追い掛け、プレイしている様子を見れば、さすがに全部というわけではなかったけれど、ほとんどは景品を取れていて。

『あんた意外と上手かったのね』

『そこまでじゃないですよ』

 表情一つ変えず謙遜する弟に微妙に腹を立てつつ、姉は弟に頭を下げた。

『クレーンゲームの可愛い黒猫、これからも絶対欲しい! 毎度必ずお金払うから取って!』

『……払ってくれるなら、じゃあ』

 こうして月に一回、夜花は音夜とゲームセンターに行くようになった。


◆◆◆


 その日の戦利品は三つ。

 黒猫の顔ポシェットに、黒猫のボールペン、それから、夜花の膝より少し低いくらいのぬいぐるみが一体。

 どれもこれも、音夜が取った。

「よくやったぞ弟よ、褒めてつかわす」

「ありがたき幸せ。姉さん次あれやりたいです」

 ローテーションで返事をしながら指差した先には、巷で人気のチョコのお菓子がたくさん詰まったバケツの景品。蓋付きのバケツは持ち手までパッケージと同じ柄で、それなりに可愛らしい。

 黒蜜一家が今、ドはまりしているお菓子だ。

 夜花は肩掛けカバンから財布を取り出し、中を確認する。

 今日の分として用意してきたお金は、もう五百円玉一枚だけだった。

「次ので最後になるわ」

「了解、善処します」

「頼むぞ弟よ」

 目的のクレーンゲームの前まで来ると、五百円を投入してすぐ夜花は横にずれ、入れ代わりに音夜が位置につき、二つのボタンにそれぞれ手を添える。

「……姉さん」

 いつもならここで、彼は口を開かない。

「こんな時に話すことじゃないですけど」

「何?」

 一回目が始まる。


「黒猫飼いたいって、思わないんですか」


 音夜が操作しているのは、アームが片っぽしかなく、壁に設置された棒に引っ掛かる輪っか、その輪っかに景品がゴムで繋がれて、アームで輪っかを引っ掻けるなりなんなりして落とすタイプの台だった。

 目測を見誤ったようで、かすりもしなかった。

「……急にどうしたの?」

 二回目が始まる。

「毎月色んなゲーセンに行って、黒猫グッズを取るたびに、姉さんの部屋の傍を通って、隙間から見えた黒猫の多さにびびるたびに、思うんですよ」

「なんかごめんだけど、何を?」

「そういえば姉さん、本物の黒猫を欲しがったことないなって」

 アームは触れたが、揺れる程度。

 落ちそうにない。

「……だって、それは違うから」

「違うとは?」

 三回目が始まる。

「あんたは覚えてないかもしれないけど、昔さ、うちで黒猫飼ってたことあるんだよ」

「覚えてないです」

「だろうね。あんたが三歳の時だし。でもね、いたんだよ。写真もないし、誰も言わないけど、本当に……いたの」

 景品のバケツを見ながら、夜花は続ける。

「優しい子だった。一人で眠るのが淋しい夜に、隣に来てくれてね、よく一緒に寝てくれたの。お母さんやお父さんに注意されても、あの子は私が淋しがるたびに、必ず来てくれた」

 その声は、懐かしい話をするにしては、少し暗いものだった。

「でも、ある日……いなくなっちゃった」

「逃げちゃったんですか」

「……そう」

 二人の目線の先で、アームがまた輪っかに当たり、今度は大きく揺れて、向きが変わっていた。

「配達の人が来て、お父さんが扉を開けた瞬間、飛び出ちゃったの。外に出したことなんてなかったのに。いや、だからかな。出たかったのかな、あの子」

「……見つか……」

「うん、見つからなかった。近所の人に頼んだり、ビラ配ったりしたけど、それでも……見つからなかった」

 四回目が始まる。

「私が泣くたびに、お母さんは慰めてくれるの。あの子は冒険の旅に出ただけだから、いつかきっと帰ってきてくれるって。でもお父さんは、何なんだろう、面倒になったのかな、忘れろって言って、あの子の物や写真を全部捨てたの。何であんなことしたのか、未だに分かんない」

「え?」

「全部お父さんが悪いの。もうずっと、許さない」

 アームは派手な音と共に動いていく。

「だからね、ある意味復讐でもあるの。大部分では、好きだから、だけど。私は絶対、あの子を忘れてたまるかって、ずっと集めてるの」

「……本物が、いらないのは」

「……あの子がいた事実が、それこそ、上書きされて、消えそうで……いや」

 輪っかは今度は激しく揺れて、次くらいで落ちそうだ。

「……不思議だったんです。姉さんが父さんに対して冷たい感じがすることも、父さんが姉さんに遠慮してる感じなのも」

「いやほんと、なんかごめん」

「大丈夫です、仲直りしてくれれば」

 思わず音夜に視線を向ければ、弟は姉を全く見ておらず、ただ正面をじっと見つめている。

「僕の友達に猫を飼ってる人がいて、この前子猫を産みました。ほとんどの子は無事にもらわれていったけれど、一匹だけ残された子がいて──その子は黒猫なんですよ」

 音夜の視線は、そのまま。

 五回目が始まる。

「姉さんのことがあるので、うちで引き取れないか、家長である父さんに訊きました。そしたら、書斎に連れてかれて、物置スペースを見せられたんです。そこにね、たくさんあったんですよ──手入れのされた、猫の飼育道具が」

「……それって」

「泣きそうな顔で言ってましたよ、『お姉ちゃんが許してくれたら、お迎えしようか』って」

「……っ」

 これまでと変わらない速度のアーム。

 音夜の調子も変わらず。

「父さんなりに、責任を感じているのでは?」

「……でも、あの子は帰ってきてないのに」

「これからも待ちましょうよ。僕達は、その子の代わりを迎えるんじゃなくて、下の子を迎えるんです」

「……?」

「上書きなんてしなくていいんですよ、その子と、子猫は、別の猫なんですから」

 アームは、

「その子の弟妹を可愛がりながら、その子の帰りを待ちましょう。皆で、仲良く」

 珍しく音夜が微笑みを浮かべた途端──どうやら目測を誤ったようで、大きくずれて、かすりもしなかった。

「……」

「あっ、うっかり」

「……終わりね」

 吐息と共に溢れた夜花の言葉。

 その表情は、音夜につられてか、微笑みを浮かべていた。

「じゃ、帰ろっか」

「何でですか?」

 きょとんとした顔で姉を見つめる音夜。

「だってもう終わりでしょ?」

「まだですよ、ラスト一回です」

 音夜が指差しをするので、その先を目で追えば、確かにディスプレイ部分に、『1』と大きく表示されている。

 なんなら傍に、五百円入れたら六回プレイできると説明書きがあった。

「このバケツを無事に持って帰って、父さんと母さんと、四人で山分けして、仲良く食べましょう。それで後日、子猫をもらいに行くんです」

「……なんかさ、私よりも、あんたの方が乗り気じゃない?」

「姉さんのせいです」

「何でよ」

 六回目が始まる。


◆◆◆


 男は仕事が休みの日、家族が、特に娘がいない時に、随分昔に飼っていた猫の飼育道具の手入れをこっそりしていた。

 それは、自分の不注意で、娘からの信頼を失った象徴。

 最初こそは、見つけられたら誠心誠意謝ろうと思っていた。だが、隣町との境目で、黒猫が車道に飛び出してきた事故があったこと、そしてその黒猫がどうなったかを知らされてからは、娘に知られてはいけない、娘には忘れてもらわなければと躍起になり、気付いた時には溝ができていた。

 子供だからすぐに忘れる、だなんて、どうして思ったのか、当人にも分からず。

 年々冷たくなっていく娘の態度に、後悔だけが募っていく。

 飼育道具や写真を納めたアルバムを捨てられなかったのは、最初こそほとぼりが冷めるまで隠して後で捨てようと考えたからだが、今ではもう、このアルバムでしか、皆が笑って集まっている家族写真がないから。

 自分が行動を間違えなければ、今でもきっと、笑い合えただろうに。


 男は今日も、一人こっそり、道具の手入れをしていた。


 心の中で、ひたすら謝罪を繰り返しながら。

『──お、とうさん』

 扉の向こうから、そう呼び掛けられるまで。

 男はびっくりしすぎて、返事もできず、手に持っていた物を床に落としてしまった。

『音夜とさ、ゲーセン行ったの。で、お菓子取ってもらったの。たくさん』

「……そう、か」

 会話をすることは時折あった。

 娘は視線を合わせず、一分以内で終わらせようとしていた。

 だが、今は。

『……おとう、さんの分も、あるから、その……食べに来ない?』

「……っ」

 そんな気配はどこにもない。

『……今は、無理?』

「……ちょっと、時間が欲しいかな。でも、必ず行くよ」

『分かった。……待ってるから』

 これで、終わりか。

「……」

 声が、冷たくなかった。

 待っていると、言われた。

「……っ!」

 無意識に、両手で顔を覆っていた。

 言わなければいけない。

 言わな、ければ……!

『あ、後さ』

 まだ、続きがあったようだ。

『欲しい物があるから、今度皆で買い物に行こうよ。やっぱりちゃんと、新しい物を揃えてあげたい』

「……」

『ダメかな?』

「よる、か」

 男は娘の名前を呼ぶ。

「よ、るか。よる……よるか……」

『何、おとう、さん』

 男は、心の中でずっと言ってきたことを、ついに口に出した。

「ごめ、んな。おとう、さんが、わるかっ、たのに、あんな、ごめ」

『お父さん』

 娘は男の声を遮った。

『そのことに関してはまだ時間ほしい。やっぱりすぐには許せない部分もあるの』

「……っ」

『時間をちょうだい、お願い』

「……わかった」

 じゃあね、と言いながら去っていく足音に、淋しさと困惑を覚えながらも、男は取り敢えず、ティッシュを手に取ることにした。


◆◆◆


 数日後。

 黒蜜家は小さな黒猫を家に迎え、

 数年振りに、家族写真を撮ったのだった。

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