ガサガサ? カサカサ?


 黒蜜夜花は冬が嫌いだ。


 寒いことは別にどうでもよく、雪が降れば存分に楽しみ、白菜たっぷりの鍋は毎日でも飽きはしない。

 暑苦しく虫もよく出る夏に比べればそこまで……と一瞬思わなくもないが、それでもやっぱり、冬は嫌いだと夜花は思う。


「……」

「姉さん、だめだよ」


 溜め息混じりにそう言いながら、居間のソファに座る少年は、隣にいる夜花の手を取る。

 彼はその手を見つめながら、呆れたように目を細めている。


「僕ももちろんだけど、皆言ってるじゃん。──掻いちゃだめって」


 他の季節であれば、ほとんど傷つくことのない夜花の手は、寒さを感じるようになってきた頃から掻きむしりすぎたせいで、肌の色も見えないほどに傷だらけだ。

 夜花に自制の言葉はない。

 痒みを覚えたら、気の済むまで強く掻いてしまう。

 いくら傷薬を塗り込んでも、絆創膏を貼っても、追い付かないほどに傷は増えていく。

 それでも彼女の親は、彼女の弟である音夜は、彼女の友人達は、彼女の手を治そうとするのを諦めなかった。


「ちょっと我慢してね」

「……っ」


 市販の傷薬を塗り込まれていき、夜花の顔が歪んでいく。

 逃げ出したいが、そうすると後でうるさく長ったらしく注意されるので、大人しくされるがままになっている。

 しばしの我慢、だが苦痛。


「毎年毎年言われてるんだから、肌が乾燥してきたらハンドクリーム塗らないと、痒いの治まんないよ?」

「ベタベタするのが嫌なの」

「よく塗り込めば大丈夫だよ。なんだったら、手袋すればいいでしょ」

「邪魔くさい」


 また溜め息をつく少年、こと音夜。

 これではどっちが年上か。

 どうせなら母親にやってもらいたかったと、夜花はずっと後悔している。

 お風呂に行ってしまったから、ソファに座り待っていると、夜食を求めて音夜が来て、そのまま流れるようにこんなことに。


「手の甲も酷いけど、指もぱっくり割れすごいよ。しかもその上から掻いてるね、これ」

「……痒い、から」

「掻いちゃだめだって」


 一通り塗ると、そのまま座って待っててと言い、どこかに向かってしまった音夜。

 今の内に自室に戻ろうかと一瞬考えるも、やはり後が面倒だからと、音夜の帰りをじっと待った。

 十分、経ったか。

 ぼんやり点けっぱなしのテレビを見ていたら、掌サイズの箱を片手に音夜は戻ってくる。


「お待たせ、手を出して」


 言われた通り差し出せば、音夜は箱から何かを取り出し、夜花の手を再び取る。


「これならさ、掻きたくなる衝動も抑えられるんじゃない?」

「……そんなわけ」


 気付いた時には、夜花の指に、何かが巻き付けられる。

 柔らかい、何か。


「……」


 目線より上に持ち上げながら、それをぼんやり眺める夜花。

 それは、絆創膏。

 ──可愛い黒猫のイラストが描かれた絆創膏だった。


「お母さんのお買い物に付き合った時、ドラッグストアに行ったんだけど、絆創膏コーナーにあるのを見つけてさ。姉さん黒猫好きでしょ?」

「……まぁ」


 視線を逸らさず眺めたままの夜花の姿に、音夜は薄く笑みを浮かべる。


「知ってるんだからね。掻きむしる時、絆創膏貼ってても気にせず掻いて、ぐしゃぐしゃになったら捨ててるの」


 これならそんなことしないでしょ?

 そんな言葉に、返事を忘れる夜花。

 貼ったのは、一本だけ。


「ほら、他にも貼らないといけないんだから、貸して」

「……うん」


 もう不満は口にしない。

 態度にも出さない。

 大人しく、ぼんやりと、指に増えていく黒猫達を眺めていた。


◆◆◆


 その後、多少掻いてしまうこともあった。

 けれど、例年に比べれば、夜花の手の傷はかなり少なくなった。

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