万能の天才が消えた理由


 ヨルカ・クロミッツは小さな頃の記憶がない。


 気付いた時には、魔法使いの弟子になっていて、彼と二人、人里離れた一軒家で暮らしていた。

 生まれはきっと、極東にあるという島国。肩に掛けていたポシェットに、『黒蜜夜花』と書かれた名札が付いていたそうだ。

「最初は、小間使いが欲しくて連れ帰ったんだよね。一週間くらいは休ませて、その後に家事を仕込もうとしたらさ……三日目くらいかな、僕が君にやってあげてた睡眠魔法を、見様見真似で僕に、この僕にやっちゃったもんだから、弟子にした方がいいなって思ったんだよね」

 ヨルカを拾った魔法使いは、それなりに有名な男で、見合い話を持って来られるのと同じくらい、弟子入り志願も絶えないような、そんな凄腕の魔法使いだった。

 今までどちらもピンとくる相手がおらず断ってきたが、ヨルカには何か、琴線に触れるものがあったらしい。

 嫁としては好みではなかったので保留だが、弟子としては……。

「君ったら、一点特化の天才だったんだよね」

「すみません……」

 睡眠魔法については師を越えるほどの才能を持ち、他の追随を許さないほどに強力な魔女へと成長したヨルカ。

 しかし他はさっぱりだった。

 どれだけ懇切丁寧に教えても、初歩的な魔法すらまるで使えず、なんなら使い魔だって使役できなかった。

「まぁ……君の魔法には日頃お世話になってるし、本来の目的でもある小間使いとしても、君はよくやってくれてる」

 これ以上求めるものはないよ、と気さくに師は笑っていたが、ヨルカの顔は晴れない。

 魔法使い達のいる外に出れば、嫌でも耳に入ってくるのだ。


 ──眠りの魔女は不出来な魔女。


 二つ名で呼ばれるということは、それだけ認められているという証。彼女の師も、『万能の天才』などと呼ばれている。……だからこそ、その弟子である自分の不甲斐なさが許せない。

 きちんと、魔法使いの弟子らしく──万能の天才の弟子らしく、胸を張って生きていきたい。

 師はとっくに諦めていたが、ヨルカは諦めていなかった。

 時間の空いている時に、師の書庫へと入り、数多の魔道書を読み漁っては試していく。

 弟子の無駄な努力を、師は、微笑ましく見守っていた。


 ──そして、ある日。


◆◆◆


 今日もヨルカは魔道書を読んでいたが、いつもよりあまり集中できていなかった。

 前日に、赤ん坊を寝かしつける依頼が三つ重なってしまい、それぞれ一人かと思えば、三つ子・六つ子・八つ子とたくさんおり、さすがのヨルカも疲れてしまった。

 依頼内容を聞いて、師から今日は遅くまで寝て良いと言われたにも関わらず、ヨルカはいつも通りの時間に起きたので、疲れは全く取れていない。

 いつも通り家のことをして、いつも通り自分の仕事の確認や準備をして、いつも通り隙を見て書庫に入る。

 今日ばかりは、師も止めに入った。


「そんなに頑張らなくていいよ」

「……い、や」

「ヨルカ」


 魔道書とにらめっこする彼女の肩を掴み、師が軽く揺さぶってみれば、うーあーなどと言いながら右に左に揺れて、その内左に倒れこむ。


「そのまま休めば?」

「……ここで、ですか?」

「自力でベッドに行ける?」

「…………無理じゃないですか?」

「てか、疑問文で返さないでよ」

「ぐぅ」


 結局眠ってしまったヨルカ。

 師は苦笑しながら、倒れてしまった彼女を抱きかかえた。

 小さい頃から普通にそうしてきたせいか、魔法で部屋に運ぶ、なんて考えは一瞬も浮かばず。


「ほらほらお姫様、行きますよ」

「………………ん?」


 ヨルカの閉じてしまった瞼が、半分開く。

 そして、一瞬の後、


「──ふぎゃっ!」


 自分の状況に気付いたヨルカは顔を真っ赤にして、そのまま暴れ始めた。

 師は気にもとめてなかったが、ヨルカをそうして抱きかかえることなど、実に数年振りのこと。

 ──お年頃の少女の扱い方など、学ぶ機会はなかった。


「ちょっ、何して」

「あばばばばばば」


 もはや言葉もまともに喋れず。

 意味もなく喚きながら、無意識に丸めた拳が、師の頬へと飛んでいく。


「ばっ……■■■■■■■■っ!」

「え」


 ヨルカの言葉を耳にして、師は硬直する。

 直前まで魔道書を読んでいたせいか──それは、師にも覚えのある呪文。

 少しばかり厄介な魔法のものだ。

 さすがにヨルカの実力では、発動なんてしないだろう……なんて考えてる間に、強烈な拳が頬にぶちこまれ、思わずヨルカを落としそうになった。

 ぎりぎり、膝を落としてやり過ごそうとしたが、かなりのものだったのだろう、一応絨毯が敷かれている床へと、ヨルカの身体が緩やかに転がっていく。


「うぐっ!」


 それはどちらの発した声か。

 二人はそれぞれのたうち回り、お互いの状況を確認する余裕など、どちらにもなく、自由になったヨルカはその内、勢いに任せて部屋から出ていってしまった。


◆◆◆


 いつもより早くに夕食を作り始め、無心でやったせいかいつも以上に多くなり、ちょっとしたパーティーでも開けそうな料理の数に、ヨルカは少し冷静になれた。

 師は善意で自分を運んでくれようとしていたのに、自分は何てことをしてしまったのか……。

 まだ少し恥ずかしいけれど、顔を合わせたら謝ろう、そう決意しながら、師が来るのを待っていた。

 呼びに行くほどの勇気はなく、ゆっくりと冷めていく料理を眺めること、一時間半。

 いつも通りの夕食の時間、いつも通りに師は来た。


「いやぁ……よく寝た。すっかり外は真っ暗だね。お腹すいちゃったや」


 いつもありがとう、なんて口にするそいつは──黒猫の姿をしている。

 二足で陽気に歩き、当たり前のように軽やかに、師の席へと跳んで座った。

 前足を伸ばしてテーブルに触れようとするが、小さいせいか届かず、まるで舞でも踊っているようだ。


「……ちょっと高いなぁ。クッション持ってこよっかな」

「師匠っ!」


 黒猫が発するその声は、紛れもなく彼女の師のもの。

 ヨルカは黒猫の元へ行き、べたべたと無遠慮に彼の身体を触る。


「どうしちゃったんですか、何で猫なんかに……おふざけですかっ?」

「……覚えてない?」

「へ?」


 それは師にしては、やけに低い声だった。


「あの時、ヨルカが強烈なのを僕にくれたじゃない?」

「……でしたっけ?」

「でしたよー。でしたでした。……だからかね、気付いた時にはこんな可愛い黒猫になってて、しかもまさかのね、全然何やっても戻んないの。面白いよね」

「う、そ……」

「ほんと」


 にゃははと笑う彼に含みのようなものはない。猫の姿になっても、その笑い方は変わらず。

 本当に師は黒猫になってしまったのだと、ヨルカは思わず膝から崩れ落ちていった。

 頭を抱えても、何も思い出せない。

 師の腕から逃げるのに夢中で、彼の言う『強烈なの』も、よく分からないのだ。


「……私の、せい、ですか?」

「……うん、そう」


 君のせいだねぇ、と呑気に言われるが、ヨルカには全く身に覚えがない。


「そんな……そんな……」


 不安からか、髪を搔き乱し始めたヨルカ。

 そんな彼女をしばし眺めながら、師は口を開いた。


「ヨルカ、聞いてほしい」

「……なんですか」

「君のせいだけど、君に戻してほしいとか、そんなことは求めない」

「……私が、不出来だから……」

「睡眠魔法以外の才能がないだけじゃん。そこは気にしないでよ、単なる向き不向き」


 ──これから話すことは、君に向いてることだよ。


「……私に?」

「そう。僕に会いに来るお客さんとか、同業者とかに、上手く誤魔化してほしいんだよ。一応、さっき試したら、この姿でも魔法は使えるみたいだけどさ、ちょっと格好がつかないんだよね……可愛すぎて」

「……はい」

「だから、君にはそっちを頼む。元に戻る方法は、自分で探すからさ」


 黒猫の師はイスから跳び降り、やはり二足でヨルカに近寄ってきて、その可愛らしい前足で、ぽんぽんと軽く彼女の太ももを叩いた。


「頼まれてくれる?」

「……」


 ヨルカは、返事をしない。

 じっと、目の前の黒猫の顔を──師の顔を見つめる。

 藍色の瞳だということに、初めて気付く。

 紛うことなき、師の瞳。

 ──ヨルカの気持ちは固まる。


「師匠」

「何?」

「半分だけです」

「……半分?」

「師匠!」


 ヨルカは素早く、師を抱き上げる。

 とっさのことに師がじたばたし始めれば、ゆっくりと、後ろ足だけは床につけて、


「しばしの間、あなたの不在を誤魔化します。それはします。ただ──私のせいなんだから、私があなたを元に戻す!」

「え、いやそれは」

「絶対にそうする! 期待してくれなくてもいい、だって師匠は万能の天才で、それはいつものことで、私は不出来な魔女だけど、それでも弟子として、やらかしてしまった者として、責任をとりたいの!」


 ──だから許可は求めません。


「勝手にやります!」

「……あぁ、そう」


 一瞬、嫌そうな顔をしたが、見間違いかと思えるほどすぐに呑気な表情を浮かべ、両前足をぽふっと合わせた。


「取り敢えず、それでいいや。この話はおしまい! たくさん作ってくれたんでしょ、もう僕お腹すいちゃった」


 そして何かを呟きながら前足を動かすと、どこからかクッションが、宙に浮いた状態でやってきて、そのまま彼の席に置かれる。


「これできっと大丈夫」

「……あの、師匠」

「何?」

「その……まさか師匠が猫になってるとは思わず、いつも通りに作ったんですけど……猫が食べても大丈夫かどうか……」

「あぁ……まぁ、他の猫なら絶対気にしないとだけど、僕なら大丈夫だよ、何でも食べられる」

「えっ、でも何かあったら」

「治癒魔法全般使えるから大丈夫。何もないから」

「……本当に大丈夫ですか?」

「本当に大丈夫」

「……なら、信じますよ」


 二人は自分の席に着き、師がまた何かを呟き、ヨルカの食事に湯気が立ち始める。

 師の料理はそのまま。


「あれ、私のだけですか?」

「うん。必要がないからね」


 べー、と師は、舌を出してみせた。


◆◆◆


 こうして、万能の天才は姿を消し、眠りの魔女は黒猫の使い魔を従えるようになる。

 人語を話せるのか、彼女達が会話している姿はよく見掛けられ、耳を澄ますと、その黒猫の声が万能の天才のものとよく似ている気がするが……。


 それはきっと、気のせいだ。

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