滴定

架橋 椋香

滴定

 わたしはなんてことない小国の皇女だ。それは、確かなことであったし、確かなことであるし、確かなことであるだろう、という気持ちのするもので、温かい。


 狭い(もちろん普通の家よりは広い。一般的な宮殿(なんですかそれ)よりは、たぶん狭い)宮殿の庭を散策していたら、三日月みたいなかたちのバッタがいた。オンブバッタのオスか、ショウリョウバッタの子どもか。つかまえる。奈都朶なつだ(わたしの身の回りの世話などをしてくれるひと)に、手のひらに包んだそのバッタを見せながら「このコ、何だと思う?」と尋ねたら、奈都朶は「え、えーバッタでしょうか?」なんて答えるので、わたしが「そんなことは判っているわよ」といって笑っていたら、バッタは手のひらの隙間から飛び出して、草の繁みに見えなくなってしまった。

 「さよなら」とどこに居るかもわからぬバッタに向けて呟くと、私にしては興味深いことに気づいた。

 さよなら、というのは、さようなら、であり、さようなら、というのは、左様なら、であって、たぶんいまのことばで言う、それでは、のような意味、つまり相手と多少の会話、コミュニケーション、意思疎通があったうえで、それでは、という流れが想定されていて、わたしとあのバッタとの間に、どれくらいの意思疎通があったでしょうか?、わたしがあのコを見つけて、つかまえて、あのコが逃げて、それだけ、それだけだ、わたしにさよならなんて言う資格はないのだった。

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滴定 架橋 椋香 @mukunokinokaori

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