第3話

 VR世界に迷い込んでしまった――とでも言えば良いのだろうか。未だに信じたくもないし、信じることはできない。状況的には、VRゲームをプレイし始めたら自分のいた世界とは違う世界に入り込んでしまいました、というところ。

 別にそれ自体は悪いことではない。VRという体験の特性上、それを究極に目標としているところはある。むしろラッキー、と言ってもいいくらいの状況だ。私もそういう性癖なら何億積んでもお願いします、と言っていたに違いない。ただ、どちらかと言うと私はフィクションとしてAVや少女漫画を楽しむタイプの人間なのだ。

 ただいくらなんでもこれはやり過ぎではないか。VRゴーグルの感覚すらなく、実際に動き歩ける。最近こういうタイプのゲームも実験段階にはあるようだが、まだ実用化したとは聞いてはいない。さながらマトリックスの世界だ。

 そして私の頭の片隅には――大変愚かなことだが――未だに二時間千五百円(クーポン利用時)という安くはない値段をこのVR世界に支払っていることがまだ懸念点としてあった。千五百円。旧作ならHDストリーミング+ダウンロードを一本買えてお釣りがくる。

 女生徒の講釈が耳元で続いていたが、

「――というワケで、マコトは今まで保健室で寝ていたの。分かった?」

 どうやら終わったらしい。耳元でずっと騒いでいた品川香織という女生徒は、どうやら私の親友という設定らしい。

 そして、おそらく10分程度とくとくと私の時間を奪ったハズである。二時間千五百円だから、百二十五円也。

 ただ、その対価として私も情報を獲得した。

 私の名前は、大崎マコト。華桜学園――かおう、と読むいかにもフィクションな名前――の二年E組、野球部のマネージャー。そして品川香織は、この私の中学時代からの親友。

 私が保健室に行ったいきさつをざっくり纏めると、野球部の練習に行こうと席を立った時に、フラりと倒れた。秋の大会を控えた九月で、疲れが溜まっていたのだろう、というのは香織の見解。他にもいろいろと言っていたが、私が自分の体をまさぐるのに忙しかったこともあり、他の内容は今一つ頭に入っていない。

 なお、私が自分の体をまさぐった結果、大崎マコトは結構いい感じの肢体の持ち主で、長い黒髪を誇るなかなかの正統派美少女で、結構すっぴんでも勝負できるらしい、ということが分かった。もちろんエクスカリバーは付いていない。サオなしタマなし穴二つ。誰も呪ってないのに。

 さながらチュートリアル。この世界の説明を、身を以って体感したことになる。まさにゲームの世界だ。じゃあ、この世界はゲームなのか?

 ゲームだと思えば、自分でもこの順応力には納得できる。ある目的があり、それを攻略する。最近巷で「異世界ファンタジー」が流行っているというのもあるが、その主人公とはワケが違う。ゲームならゲームとして納得できる。誰しも心から納得して左利きの勇者をやっているわけではないし、腰に動物を格納したボールから猛獣を繰り出しているわけではないだろう。

 そしてこのVRという環境は、没入感という意味では他の追随を許さない。もしも世の中の全てのゲームがこのクオリティのVRだったとすれば、私は永遠に自分の島にカブを置きまくって一財産作るし、遠慮なくカエルを見捨てる。カエルは泳いでいればいいんだ。

 トラックに引かれたりトイレから流されたりうっかり殺されたり――という入りだと、ここまで順応できたかどうか疑わしい。時間の問題だったかもしれないが、いずれにせよ我ながらゲームに対して好スタートを切れたのではないか、と思っている。

 しかし、一方で二時間千五百円――かえすがえすも大金だ――を払ったことも忘れてはいない。元を取る気持ちは未だ十二分にある。とりえあえず、一発くらいヌきたいのだ。

「ねえマコト、大丈夫? まだぼうっとしているみたいだけど?」

 香織が横から覗き込んでくる。

 ドキリとする。やはり香織も美少女だ。多分ヤリマン。

 私の今は亡き愚息がむらりと起き上がる感覚があった。うむ、立派な本能だ。まだ私の中の炎は潰えていない。千五百円を燃料に、愚息はいきり立つ。

「香織」

 真剣な声を作って、香織に声をかける。保健室のベッドに並んで座る彼女の左手に、右手をそっと重ねる。

「な、なに?」

 私の妙な気配に気づいたようで、ビクりと体を震えさせる。しかし、その絡んだ手を反すつもりはないらしい。

 この時点で「勝った!」と心の中では拍手喝采雨あられ。私に乾杯。

 ぐるりと手を回して、先ほどまで私が寝ていた位置に香織を押し倒す。荒々しくなく、さりとて優雅でもない。高校生らしい純情な感情を態度に示した、渾身の押し倒しである。

「なっ、」

 続きを言わせない。香織に覆いかぶさるように唇を重ねる。どちらかというと、ディープなやつ。もちろん舌をねじこむ。ねっとりと。ねっちょりと。

「んっ……」

 ふう、と唇が離れたとき、香織が何か言おうとしたのを制し、

「お願い、もうちょっとこうしていたいの……」

 そう言って抵抗できない香織に、ぎゅっとしがみつく。我ながら満点だ。このまま録画して持って帰りたい出来栄え。日頃の風俗での鍛錬の成果を十分に発揮している。べっちょりいくとオプションになるんだけどね。

 香織がガチガチに固まっているのが分かる。ここで緊張を解すのに必要な技は、一般的には、「おそらくしばらく抱き合う」だろう。成人男性と美少女女子高生ではアプローチが異なることを注意しなければいけないが、大体は同じである。私がタチである構図は同じだ。

 銀河の果てまで抱きしめて一分もそうしていただろうか。香織の熱は引かない。彼女にとっては永遠とも言える時間だっただろうが、私は今一分を争っているのである。

 なぜなら、一時間千五百円だから。

 しかし、焦りは見せない。焦りは見せずに、下半身にすっと手を伸ばす。上は大火事、下は洪水、これなーんだ。

 VRとは言え――いや、もはやVRを超越した何かだと思ってはいる――少し緊張する。なんせ女子高生の肢体である。これで緊張しなければ男じゃない。

 ま、男じゃないのだけれども。

 左手で彼女を抱きながら右手でその柔らかな下着のその下に手を入れたら――


 ――入れられない。いや、入れらないだけならまだよかった。


 再びトンデモないGが、今度は富士急の垂直落下系アトラクションの十倍ほどのそれが私を襲った。

 気持ち悪いとかそういうことを考える暇もなく、体中がひしゃげ頭がねじ切れ全身がミンチにされるような不愉快極まりない感覚を味わって、意識がまた暗転する。

 正当な手続きを踏んだ死刑でもこれほど辛いことはないだろう。あれは人権に配慮した方法を採用するから。いつかのカンフー映画で見た「木材を粉末にする機械に放りこまれ、文字通り生きたまま粉砕される男」より酷いのではないか、と思った。

 いや――本当に酷い。何か私が悪いことをしたか?


       ☆


「マコトぉ、大丈夫?」

 甘ったるい声が聞こえる。そう、さながら女子高生のような……。

「ねえ、もう学校終わっちゃうよぉ?」

 そうだ。そう言えばVRアダルトゲームをプレイしていたのだった。

 あまりの衝撃に意識が朦朧としていたのだが、一時間しか時間が無く素材選びに15分もかけてしまった焦りから――

 いや、違う。そうではない。

 目を開ける前に、ぐわんぐわんに揺れている頭を振って整理する。

 たしかさっきはVRゲームをしていて、でも実はゲームというには不審な点が多くて、そしてこの娘は――

「……香織ちゃん?」

「おおっ、もう起きた? よかった~心配したんだからぁ」

 そう言ってベッドに横たわっているらしい私にごろりと寝転んでくる。中々にスキンシップの激しい娘だ。

 そしてまたハッと気づく。

 残り時間は――そして、元を何として元をとらなくてはいけない。

 抱き着いてくる香織をそのままぎゅーっと抱く。きゃしゃな腕同士が絡み合い、何とも言えない隠微な感覚が私を襲うがそんなところで満足している場合ではない。

 顔と顔が向き合うこと、その距離十センチ。その距離をゼロにつめた。

 脳みそがシェイクする前と全く同じ感覚だった。女の唇とはこんなにも鋭敏なモノなのか。それとも普段から私もリップクリームを持ち歩いておけばいいのか――そんなマヌケなことを考えている場合ではない。

 とにかく私には時間が無いのだ。こんなに焦ったのはちょっと飲み過ぎて自慢の息子が役に立たなくなった新橋の店以来である。あの日は本当に焦った。30分の間、愚息を頑張れと励まし続ける。嬢が心なしかがっかりしたような顔つきになる。違うのだ、悪いのは愚息なのだ、あなたのテクニックではないのだ――。

 キスをした唇を放し、香織とにっこりと向き合う。

「あっ、あんた――」

 また言わせない。もう一度キスで唇をふさぎつつ、右手は香織の大事なところへ――


 文字通り轟音が轟いた。

 個人的に「筋肉痛が痛い」という表現はなかなか気に入っていて、なぜなら筋肉痛は心地よいときもあるので一概にそれが痛いとは言えない痛気持ちいい場合もあるかもしれないからだ。しかしこの場合の轟音というのは、とてつもないGにぶっとばされた感覚が受容器たる三半規管を粉砕し聴覚にまでも派手に影響を及ぼしたための、文字通りの轟音である。

 頭を思い切りしばかれて頭の上に星が回る現象は、何も視覚がおかしくなったわけではないらしい。どんな外界からの影響でも、ある種の閾値を越えれば主に対象とする影響でなかったとしても、受容器に電子が奔りそれが感覚になるという。例えば頭を叩かれた場合は、その衝撃が視覚の閾値を超えたということになる。頭に星が飛ぶという古典的表現はあながち間違ってはいない。

 そんなことを一瞬で思い出してしまうのは、完全に脳にキているからだろう。一回目より衝撃が激しい気がする。なんてったって急いでいたから。指まで入ったから。

 という訳で、あまりに激しすぎるGはその姿を轟音に変えて私の脳みそをところてんへと変貌させた。

 二回目のブラックアウトだ。今度は早かった。


       ☆


「マコトぉ、大丈夫?」

 甘ったるい声が聞こえる。そう、さながら女子高生のような……。

「ねえ、もう学校終わっちゃうよぉ?」

 そうだ。そう言えばVRゲームをしていたのだった。

 あまりの衝撃に意識が――などと言うことは無い。

 三回目である。私もアホではないのでそろそろ法則を理解した。

 仮説一。この娘に手を出したら世界が崩壊する。結構ありそうな仮説ではある。

 仮説二。えっちなことをしたら世界が崩壊する。

 現時点ではこの二つの仮説が有力だ。今までの意図せず履行された実験により、世界の崩壊に関する仮説はこの二つに絞れた。

 研究者としての私のモットーは、仮説と検証である。あらゆる困難を乗り越えてこれを実行するのは研究者としての無上の喜びであると信じて私は疑わない。

 もっとも、あくまで研究者としてということであって、アダルトなゲームをしている自分には、また別の無上の喜びがある。

 目をパッチリ開けて、香織の顔を見る。三度目のご対面。

「あ、マコト~やっと気が付いたのね。ホント心配したんだか――あ、ちょっと。やめてよなにやってんのよホントマジでえ何してんのホント先生先生先生マコトが壊れたあああああああ‼」

 ――という声は、自分の右手の人差し指と中指をべろりと舐め、問答無用で自分の下着に手を突っ込んでお楽しみといこうかい、と洒落こんだ結果、ミサイルに括りつけられ北の国からペンタゴンに向かってぶっ放されたような衝撃に見舞われた私には届かなかった。

 何はともあれ、これで仮説の検証は完了だ。薄れゆく意識の中で私は確信していた。


 ――この世界に、えっちはない。そしてえっちは相当なペナルティを受ける。

 やれやれ、私はVRの世界に入り込んだんだぞ。そんなところで唯一のお楽しみを私から奪おうというのか? なんだこの仕打ちは。


 しかしその怒りは、声にならず時空の狭間に消え去る。

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