何はともあれ、変から一日二日と経つ内に、悩み多き順慶とは異なり、畿内の織田家家臣達は次々と去就を明らかにし行動を起こした。


 筒井城に留まった順慶の側には、無論月読丸が控えていた。


「情勢を探って参りまする」


 憂鬱な面持ちの順慶に、忍びとしての彼は当然の事を申し出た。


「ならぬ。そなたが行かずとも、数多の伊賀者を既に放っておる。そなたは儂の側にいよ」


 月読丸は反論せず、無言で順慶を見詰め返した。

 愚かで弱気な主と呆れている訳ではない。

 今、主の為に為すべきは側にいる事なのか、多くの情報を掴んでくる事なのか計りかねたからだ。


「いえ、やはり──探って参りまする」


 結局そう返答した。


「胃が痛い……」


 順慶が顔を顰め、鳩尾の辺りを抑えて座り込んだ。


「お薬を──」


 月読丸は戸棚から薬を取り順慶に与えた。

 順慶は主であり、褥の上では彼を猛々しく攻める雄に違いないが、同時に守るべき弱さを有する相手でもあった。


 月読丸の心情は非常に単純明快であり、父母を慕う幼子のように、順慶以外の者達の顔は殆ど黒く塗り潰されている。


 故に、恐らく心労に因る胃痛に苦しむ順慶を労れども、非難の心は一毫も持たないのだ。


 それにしても『日和見順慶』には同情すべき点もある。


 順慶の室であったと伝わる女性は数名いる。

 将軍足利義昭は筒井順慶を懐柔する為、九条家の娘を養女として順慶に嫁がせた。

 その後、信長の妹か娘が室となり、光秀の妻の妹も室としたと云う。


 正室は置かなかったという事だが、断れない筋の女性達である事は間違いない。

 正室がいなかっただけでなく、順慶には子もいなかった。

 二十代から三十代という若い盛りに数人の妻を娶っているのに、子作りを端からする気が無かったのか養子を跡継ぎとしている。

 妻がいても男色に耽る武将達が殆どだが、順慶は男一筋、男色一本で潔く通してきた。


 因みに養子の一人は明智光秀の息子であったとも伝わる。


 明智光秀の口利きで信長への臣従が叶い、妻を通して義兄弟、息子を養子にまでしていたのなら相当の繋がりである。

 容易に絆を断ち切れるものではないだろう。


 月読は非情になりきれぬ順慶の心中を察し、側にいる事にした。


「少し横になられては如何ですか?」


「この大事の時に休んでなどおられるか!──うっ──んむ──」


 強がってみたが、胃がきりきりと痛んだ。


 評議は尽くした。

 ある意味、答えを出すべきではないという点で親族重臣等の意見は一致していた。


 即ち、今やるべき事が無い。


「身体を休めた方が宜しいかと存じまする。これから戦が始まれば、それこそ大事。私は此処におりまする。それに殿が御下命下されば何時でも探って参りまする」


 そう言うと順慶の手に己の手をそっと重ねた。

 上から諭す宥めるという風ではなく、ひたすら順慶に目線を合わせ、彼の為に己が為すべき事を求めていた。


「月……そなたは何と……清らかな……心配を掛けて済まぬ。情けない事じゃ」


 確かに情け無かった。

 他の家臣達には見せられない懦弱さである。

 そんな順慶の心の内まで見透かしているであろうに、月読丸は只静かに順慶の手を握り座していた。


 ふと、順慶は初めて月読丸に会った時の事を思い出して口を開いた。


「随分と口が達者になった」


 順慶は、いつの間にか温かな笑みを湛えていた。

 意味を解さない儘、順慶の笑顔が只嬉しく、月読丸はつられて笑みを返した。


 二人が初めて出会ったのは十年以上も前に遡る。

 今でも表情が乏しく口数少ないが、以前はおしなのかと案じる程だった。


 月読丸は興福寺の稚児として召し使われていた。

 それ以前の事も、興福寺に連れて来られた経緯も勿論知っている。


 元々の名が三郎である事も──


 己の元に引き取り、口数少なく己の心情を表す事が不得手な彼に和歌を教えた。


 何故此処にいるのかと所在なげでありながら、問いもせず表情も無くぼんやりとしている為、うつけと嘲笑う者達もいた。


 三十一文字みそひともじで様々な心情を紡いでいく和歌。

 己で言葉を選ぶのは不得手でも、既成の和歌を通して彼は順慶に愛を伝える事を楽しむようになった。


 決まった形式、拍子。

 和歌のそうした点が月読丸を安堵させたらしい。


 表情が和らぎ、順慶に対してだけではあったが感情の揺らぎを見せるようになっていった。


 他にも月読丸が執着を示すものがあった。

 それは能である。


 順慶は茶道や華道、連歌和歌等の大名が熱心に取り組んだ娯楽の中で、わけても能を愛した。


 大和という土地柄もある。


 室町時代に大成した猿楽には、観世の結崎

、外山の宝生、坂戸の金剛、円満井の金春の主に四家があった。

 これを大和四座という。


 つまり大和生まれの順慶にとって、幼い頃から能は身近にあったのである。


「花月を舞おう」


 脇息に凭れた儘順慶が言った。


 花月とは、能の中で最も月読丸が好む謡曲である。

 いや、それ以外には興味を示さなかったというべきか。


 始めて彼の前で舞って見せた時、明らかに瞳を輝かせ頬が紅潮し、年齢相応の興奮を示したものだ。




 





 


 


 

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