その理由を知った時、順慶の心は憐憫で震え、月読丸を思わず抱き締めずにはいられなかった。


 それからである。

 順慶がはっきりと月読丸に対する愛を認識するようになったのは。

 いや、真は始めて会った時から心奪われていたのかもしれない。


 能を舞う順慶の心は切り裂かれるようであったが、何年経っても月読丸は変わらず微かに頬笑みを浮かべ、嬉しそうに花月に熱中した。


 それは、ずっと変わらない。

 この先も変わらないのだと思うと切なくなった。


「殿、嬉しゅうございます。私は殿が舞われる花月が何よりも美しゅう見えまする。殿の舞われる花月こそが私にとっての花月でございまする」


 順慶は思わず月読丸を抱き寄せ唇を重ね合わせた。


 激しく優しく、深く濃厚な口吻であった。


 花月を舞う時、月読丸が嬉しそうであればある程、己の力では幸せにしてやる事が出来ないのではないかと無力感に苛まれた。


 なれど少なくとも、己が舞う花月こそが彼にとっての唯一の花月なのだと言ってくれる。 

 その言葉に救われ、月読丸に対する愛が益々高まった。


 頬寄せ口吻を交わしているうちに、胃の痛みは、いつの間にか失せていた。


 秘蔵している絢爛豪華な能装束を用意し、月読丸の介添えで身に付けていく。


 縫箔摺箔の厚板(厚地の男性役用着付け)に水衣みずごろも(袖が広く丈は膝位で無紋)、白大口(後ろが地厚な織、横に張りを持たせてある白い袴)。

 頭に喝食鬘かっしきかずらを被り、前折り烏帽子を戴く。

 能面は喝食(少年の能面)を選んだ。

 前髪を垂らした美しい少年を表している。


 小物は扇、鞨鼓かっこ(腰につける小さい両面太鼓)を付け、手には弓矢。

 紅、若草、縹に金銀。

 色鮮やかで目映い華麗な装束に、月読丸は陶然と目を細めた。


 能面を被り微動だにしない順慶は、まるで大きな人形のようだ。


 二人だけの部屋の風景が、現から幽玄へと色を変えていく。


 扇を開き爪先を静かに前に出すと、やがて謡い始めた。


〈そもそもこれは花月と申す者なり。ある人我が名を尋ねしに答へて曰く。月は常住にしていふに及ばず。さてくわの字はと問へば、春は花夏は瓜、秋は菓冬は火。因果の果をば末後まで〉


 月読丸の瞳が煌めき、頬が徐々に綻び始めた。


───


「細川兵部殿父子(細川藤孝、忠興)は明智日向守の誘いを断り、髻を切り頭を丸めたそうにございます。与一郎殿(忠興)の御台所(細川ガラシャ、明智光秀の娘)は味土野に幽閉された由にございます」


 順慶はまた評議を行っていた。

 その場での伊賀者による報告を静かに聞いている。


 順慶は光秀を通して、細川父子とも交流があり坂本城で度々顔を合わせていた。


「そうか……」


 順慶が最も気にしていたのは丹後宮津城主の細川藤孝、忠興父子の去就である。

 忠興の正室は光秀の娘たま姫(ガラシャ)で、夫婦は仲睦まじかった。


 光秀にとっては縁戚であり、日頃から親交の深かった大和と丹後の順慶と藤孝。


 そのうちの一家は光秀に与せぬと態度で示した。


「上様に対する弔意を示して頭を丸めたという事は、内外に明智に味方をしないと知らしめる賢いやり方でございますな」


 家老の嶋左近が思案するように顎を撫でた。


「細川兵部殿は隠居し、宮津城は嫡男与一郎殿に譲られたとの事」


「そろそろ、細川父子のように明智に対してはっきりと態度を示すべきではございませぬか?」


 松倉右近が進言する。


「さりとて、殿には丸める頭が無い──」


 嶋左近の言葉に、はっと一同の視線が順慶の青々と剃り上げた坊主頭に集まった。

 順慶の手が上がり、照れたように頭に触れる。


「そういう意味では無い!」


 左近の何処まで本気なのか戯れ言なのか分からぬ発言に、松倉が声を荒げた。


「ともかく細川は細川。筒井は筒井じゃ!他はどうなっておる? 」


 筒井は筒井と言いながら、気になるのは他の武将達の動きである。


 信長の三男信孝は、四国遠征の為に大軍を率いて大阪にあった。

 変を知り、父と兄の仇、明智光秀討伐に向かおうとしたのだが、殆どが寄せ集めの兵だった為に逃げ出してしまったと云う。


 当時、情報が入り乱れ、様々な者達に疑いが掛けられた。


 その中に、信長の甥である津田信澄が謀反に加担したというものがあり、信孝は四国討伐の副将であった丹羽と謀り、従兄弟の信澄を自刃に追い込んでいる。


 何故彼が疑われたのかといえば、信澄の正室が光秀の娘であり、信長の弟で彼の父信勝は家督争いの末、信長に殺されていたからだ。


 その報告を聞き、筒井家一同の顔が青褪めた。


「兵を戻した方が……」


 兵を戻すというのは、変の翌日大安寺・辰市・東九条・法花寺周辺に布陣させた兵の事である。


 結局再び評議の結果、家臣の井戸が山城に向けて進軍し、明智を消極的にだが支援するような素振りをして見せたものの、その翌日には兵を戻す事になった。


 全く明智光秀からすれば身悶えするような、女の思わせ振りな態度にも似ていた。


「話しは変わりますが、和田織部より徳川殿は無事三河に帰国されたと報せがございました」


 堺から京に向かう途中で本能寺の変を知ったと伝わる徳川家康一行は、伝説の『神君伊賀越え』により、命からがら逃げ帰った事になっている。


 だが実は順慶に対する礼状が残っており、それによると伊賀越えではなく河内から大和に入り、順慶の家臣和田織部の手を借りて伊勢国境にある高見峠を越えたとあるのだ。


 伊賀だろうと伊勢だろうと、結局その後は海路で三河に戻ったのだから同じ事だが、順慶が裏で家康の窮地に手を貸していたというのは興味深い。







 

 




 

 

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