3
「明智に味方すべし! 」
しんと静まり返った重苦しい空気の中、勢い余って前のめり気味に口火を切ったのは家老の森志摩守である。
「不忠と謂えども勝ったのは明智日向守じゃ。上様と中将様が御腹を召された以上、やむを得ぬのではありませぬか? 」
順慶の義弟、箸尾高春が一同の表情を窺いながら後に続いた。
ともかく案を出さなければ時だけが無為に過ぎていってしまう。
「ふむ。お二方は真に御自害されたのか?其処が肝心でござろう」
しかし宿老の嶋左近が、焦って雑な提案を出す面々の熱を一旦冷ましに掛かる。
「いや、それは分かる。なれど、ぐずぐずしている間に明智は畿内を制圧し、与する者達は増えていくであろう。最早選択の余地は無いのではないか? 」
これも又道理である。
「だが万が一上様が御無事であられたら? 」
生きていて欲しいのか、いっそ死んでいて欲しいのか、やや不敬な疑問を順慶の義兄、福住順弘が投げ掛けた。
「──それは困る」
これは決して信長に死んでいて欲しいという意味ではない。
明智光秀に味方して、万が一信長が生きていた場合、恐ろしい結末が待ち構えているに決まっているからだ。
「それを月読が探っておるところじゃ。それを待って去就を決めるべきじゃ」
とうとう、この場で一番若い当主順慶が口を開いた。
皆の視線が一斉に順慶に集まり、場が静まり返る。
「なれど都は混乱し、畿内には本日中には知れ渡り、安土は今頃大騒ぎでございましょう。それに月読が何時戻るのか。もし戻らなかったら──」
「月読は必ず戻る!必ずや我等にとって益のある報せを持ってな! 」
順慶の反論で直ぐに静寂は破られた。
家老の松倉右近を睨み付け、きっぱりと言い切った。
月読と順慶の関係を、この場にいる者達は皆知っている為、子供の駄々のようで全く説得力は無かったのだが。
「某、方々の意見を聞いていて思ったのでござる。出来うる限り情報を集める事こそが今は肝心ではと。明智の動きは勿論、他の武将の動き。それに我等が殿はこうして城におられる。焦って答えを出す必要は無い。明智の軍が郡山を攻める事は万に一つもござらぬ」
嶋左近の言葉で一同の頭が冷えた。
確かに左近の言う通りである。
突然の変に動揺し、明智に味方するしないのと議論していたが、逆に結論を出さずとも良いのだという事に漸く気付いたのだ。
寧ろ結論を急がぬ方が賢明であろう。
順慶の加勢を明智光秀が当てにしているのは明らかだ。
順慶の心中に迷いがあるのは、筒井家存続の為だけではない。
信長は大恩ある主君であるが、光秀は心通わせる友であり、順慶の室の一人は光秀の正室の妹であったからだ。
何より、彼が松永久秀という梟雄と大和の支配権を巡って争っていた若輩の頃、信長の武力を得る為臣従を乞い、光秀の口利きでそれが叶ったのである。
結果、信長より大和守護職に任じられ、松永久秀から主権を取り戻す事が出来たのだ。
趣味の点でも意気投合し、光秀の居城、坂本での茶会にも度々招かれ親交を深めた。
これから光秀は諸国の大名達に数多の書状を送り、味方に付くようにと誘うだろう。
その中に筒井順慶も含まれているのは間違いないが、光秀の心中では、敢えて誘わずとも直ちに馳せ参じてくれると考えているのではないか。
もし確実に信長父子を討ち果たしたという情報を得ていたら、こんなに迷う事があっただろうか。
否、やはり迷っただろう。
忠か義か。
筒井家が、大和興福寺の衆徒が武士化し、やがて大名となったという成り立ちからか、順慶の思考はやや抹香臭い。
彼の父は若くして此の世を去り、僅か二歳で家督を継ぎ、叔父が後見人となるも、その叔父さえも早世した。
その為順慶は、弱冠十六歳で血風吹き荒れる乱世に放り出されてしまったのだ。
十七才の時に梟雄松永久秀に城を追われ奪還したのが十八の時。
その年に得度(頭を丸める)し、順慶と名を改めた。
十代で墨染の衣を纏い仏道に帰依する傍ら、槍を携え戦場では雄々しく闘ってきた。
しかし、そこには他の大名達にあるような野心は無い。
彼の心は十代で渇き枯れていた。
人心の醜さ脆さ、権力争いに、ほとほと嫌気が差すのは無理も無かった。
筒井家の当主という立場から逃れられるのであれば、一心に経を唱え仏道を究めていた事だろう。
そんな彼は善政に努め、領民に慕われ、信長の信頼も勝ち得、重用された。
まだ年も三十四歳、織田政権を支える人材として順風満帆だった。
それなのに──
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