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安土城内にある総見寺で幸若舞と能が家康の為に披露された時の事だ。
信長お気に入りの幸若太夫が舞いを、梅若太夫が能を演じた。
その時、梅若太夫の能が不出来であると信長が大層立腹したのだ。
激昂振りは凄まじかったようで、その場にいた者達の顔は一様に青褪めたであろう様子が当時の記録からも伝わってくる。
任を解かれたとはいえ、始めに接待役を命じられた光秀が手配した者達である。
無論、その場には光秀はいなかった。
実は梅若太夫は光秀の領地、丹波に土地を領有している為、光秀にとっては家臣同然であった。
能楽師とはいえ戦に駆り出される身なのである。
能に造詣が深い順慶はその場にいて全てを見ていた。
首を傾げてしまうのは信長の怒り様である。
そこまで不出来であったか、と。
恐らく、その場にいた者達皆そう考えたに違いない。
故に、信長の虫の居所が単に悪かったのだろうと胸の内で納得していたのだ。
だが、この一件は坂本城にいた光秀の耳にも当然入っていた筈だ。
ありきたりで詰まらないと敢えて大和四座(金春、金剛、観世、宝生)以外の、己の領地の能楽師を手配したら衆人環視の中で、その者が叱責された。
誇り高い光秀は、それを耳にしてどう感じたであろう。
いや、それ以前に信長と光秀の間で深刻な亀裂が生じる何かがあり、怒りの矛先が梅若太夫に向いただけなのか。
「何故、日向守が謀反を起こしたのか、考えても仕方がない」
これから己がどうすべきかを考える方が先決であると、無理矢理思考を切り替え必死に馬を急かした。
────
月読は都に近付くにつれ、どんどん増える民衆に前進を阻まれ、仕方なく馬を置いて徒歩に切り替えた。
囁き交わす人々の声を拾い、明智の兵達が都の入り口を悉く封鎖し、出る事も入る事も出来ないのだと悟った。
明智軍の第二の攻撃対象二条城は、先刻の忍びの報せでは戦闘真っ只中であった。
明智の軍勢を凡そ一万として、本能寺とは異なり、五百から千の手練れの兵がいる二条城を落とすには時を要する筈だが、まともに考えれば既に落ちているだろう。
七つもある都の入り口を封鎖するのに兵を割ききれず、実は手薄ではないのか。
実際、二条城から織田信長の弟有楽斎他、数名の武将は逃れ命を永らえた。
筒井家の忍びとて抜け出し報せに走った。
混乱している今ならば容易に入り込める。
そう判断し、民人の群れを離れ別の道を探す事にした。
只一人都に潜入するのは、忍びの彼にとっては造作も無い。
明智の兵から甲冑を奪い、紛れて状況を探る事にした。
恐らく己以外にも同じ事を考え、この場に潜む他国の忍びもいるのだろう。
ともかく第一に掴むべきは信長と信忠の生死である。
真に求めている答えが生と死の何方なのかは、当の順慶にさえ曖昧な心境であったろうが──
ともかく多くの情報を得るべく都大路を駆けた。
彼が忍び込んだ丹波口と鳥羽口の中間地点からは、本能寺は目と鼻の先にあった。
『やはり此処から入って正解だった』
真っ赤な火炎を吹き上げ、本能寺は黒煙に包まれていた。
誰の目にも、中にいる者達が一人たりとも無事でいるとは思えぬ有様である。
明智の主力は二条城に向かっているのか、雑兵達が必死に火を消し止めようとしているばかりで、寧ろ野次馬の方が多い。
信長の首級を上げていれば、直ぐにでも晒される筈だが──
本能寺には百名程の小姓と馬廻りしかいなかった。
数千の兵に囲まれれば、流石の信長も逃げ場はないだろう。
やはり火を放って自害したのか。
『二条城にも行ってみるか』
信忠の元に、都中に分宿していた馬廻衆が集まれば兵力は千にはなろう。
信忠が落ち延びたという可能性は捨てきれない。
本能寺から半里(約2km)にも満たぬ距離にある二条城の周囲には、先程の光景とは比べ物にならぬ程の水色桔梗の軍旗が犇めき合っていた。
此方も同じく、炎が立派な城砦を舐め尽くし、最早陥落した事は疑いようがなかった。
『やはり、信長父子の首級は上げられていない』
二ヶ所の惨状を周囲から見ただけで彼はそう感じた。
戦では大将首を上げられたら通常総崩れとなる。
大軍であってもそうなのだから、本能寺や二条城のような寡兵であれば、家臣達は戦意を喪失するであろう。
そもそも守るべき主の首が無いのだから、逃げるか自害するしかない。
それ故に、少しでも早く大将首を上げた事を自軍にも敵方にも知らしめた方が良いのである。
信長父子の首級を手に入れているとしたら軍全体に緊張感があり過ぎ、戦が終わったという風には見えなかった。
とはいえ、父子が逃げおおせた可能性は極めて低い。
その場合、最も奥まった部屋で自害した筈であるから、鎮火した後に焼け跡を捜索したとしても骸は間違いなく黒焦げであろう。
ともかく明智光秀が、この後どのような行動に移るかだけは見極めようと都に留まる事にした。
────
筒井順慶は大和の郡山城に、その日のうちに戻るやいなや、重臣や親族達をかき集め評議を行った。
とてつもなく重い腰を上げてであるのは言うまでもない。
集められた家臣達も弱り果てていた。
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