第十八話 隆夜 後編

 ――ふざけるな!

 珠華はギリッと歯を食いしばり、隆夜へと駆け寄ろうと、あしに力を込める。

 しかしどれほど暴れようと、珠華は自分の身体を指一本たりとも動かすことができなかった。

 

 ただ、隆夜の命のが消えて、その肉体が意味をなさなくなる瞬間を、見ていることしかできずにいる。

 

 それがどれほど辛く、屈辱的なことか。

 

 過去を変えることは叶わない。

 それを理解していてもなお、珠華は懸命に手を伸ばそうと足掻く。

 ――何故?

 

 肉体が朽ちたとしても、妖の魂は眠るだけで、いずれまた再生する。

 それを知っていてなお、同胞が死にゆく様を見ることは、辛くて堪らない。

 ――何故?

 

 答えは、返ってこない。返ってくる、はずがない。

 

 あまりにも残酷なその光景を、目に焼き付けることしか、珠華にはできないのだ。

 動かぬ身体と激しい憤りをどうすることもできずに、一人もがいていれば。

 

 ……珠華、珠華――――

 

 自分を呼ぶ声が、聞こえた。

 

 ……誰?

 

 誰が、自分を呼んでいるのかすら、分からない。

 否、理解することを、珠華自身が拒んでいる。

 

 きっと現実へ戻ることを、恐れているのだろう。

 過去の出来事とはいえ、目の前で命を散らしてゆく隆夜を助ける術を、完全に無くすことは、恐ろしい。

 

 それでも、珠華の中で響く声を無視することはできなくて。

 

 ……珠華!、珠華!!―――

 

 次第に強くなってゆくその声の持ち主の顔が、珠華の脳裏に浮かんでくる。

 

 陶器のようにシミ一つない肌。

 切れ長の、真っ黒な瞳。

 瞳と同じ、闇に溶けるような漆黒の長い髪を後ろで一つにまとめ、額からは見事な一本角を生やしたその鬼の名は――

 

 「らげ、ん……?」

 

 珠華っっ!!!

 

 珠華がその男の名を思い浮かべると同時に、最も大きな声で自身の名を呼ばれる。

 その声に引っ張られるようにして、珠華の意識は浮上してゆく。

 

 気がつけば、珠華の意識は現実へと引き戻されていた。

 瞼を震わせ、ゆっくりと目を開ける。

 耳に飛び込んできたのは、意識を飛ばしていたときにも聞いた、羅玄の声。

 

 「じゅ、か……珠華?」

 

 起き抜けの彼女の目の前には、絶世の美貌を持つ羅玄ら五人がいた。

 皆――青龍でさえ、珠華の目覚めに安堵の表情を浮かべる。

 

 意識をゆっくりと覚醒させてゆく珠華に対して。

 

 「……隆夜が、えたの?」

 

 震えた声で、玄武が、そう口にした。

 珠華は、焦点の定まった瞳を彼女に向けて、こっくりと頷く。

 そして、気づいた。

 

 ――隆夜。

 その名を聞いた四神たちの瞳に、例外なく水滴が溜まっていることに。

 

 ポタリ。

 

 一滴、長い睫毛から、水が零れ落ちた。

 小さな水晶のような形をしたそれは、地の上に落ちて、土の色を少し変える。

 

 最初に涙を溢れさせたのは、青龍だった。

 端正な顔を歪ませて、ポロポロと水滴をこぼす彼にならって、他の三人も次々に涙を流しだす。

 

 四人の小さな嗚咽だけが、曼珠沙華の咲く空間に響いていた。

 

 

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凄腕の女酒吞童子は、常世の鬼神に囚われる~最強の鬼神は、気位の高い傷心の鬼姫を落とせるのか~ 風音紫杏 @siberiannhasuki-

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