第一話 鬼姫

 妖を産んだとして、珠華――当時の桔梗と母上、桜華おうかは離れに幽閉された。天才陰陽師、安倍晴明が直々に張った結界に閉じ込められて。

だが、そんな中でも。桜華は珠華へ色々なことを教えてくれた。

人間の世界のことも、妖の世界のことも、そこでの常識も、身の守り方、攻め方も。どちらか一方に偏らせず、対等に。

この国の人間、そして妖の世界のしきたりに、文化。和歌の作り方に、唄や楽器。霊力の使い方に、それを踏まえたうえでの妖術ようじゅつの操り方。そして、剣術に、柔術。

そして。あやかしと鬼、人間の、数千年に渡る争いについて。

そのことを教える時だけ、彼女はいつも悲しげな顔をしていた。

――とても、優しい人だったから。

人と妖の争いを、誰よりも嫌っていたから。

それでも、彼女は教えることをめなかった。

珠華へ教えなければならないことだと。知って、いたから。

珠華も、彼女の心を察していたから。真摯な態度で、その事実に向き合った。

その生活は、決して自由なものではなかったけれど。大きな優しさと愛に包まれていて。

とても、幸せだった。

でも。彼女は、他でもないあの男の手で、殺された。

あの日。珠華が十五になった日。

珍しく、桜華は夫、忠一ただかずに呼び出された。

勿論もちろん、珠華は連れて行ってはもらえなかったけれど。

何か嫌な予感がしたから、千里眼を使って、こっそりと様子を見ていた。

今まで、そんなことはなかったから。

そんな予感は案の定当たってしまって。

そこには、あの男だけでなく、安倍晴明がいて。母上は、安倍晴明によって術を封じられ、あの男の太刀たちで首を落とされた。

それを見た瞬間の怒りは、今でも鮮明に憶えている。

地獄で永遠に燃え続ける漆黒の炎よりも熱く。黒く。激しく。

地下の真っ赤な溶岩よりもドロドロに溶けて、どんなに大きな山の噴火よりも危険な、怒り。悲しみ。憎しみ。

珠華は、負の感情に支配されて、格段に強くなって。

一瞬にして、濡羽色ぬればいろの髪は真っ赤に染まり、ひたいからは生まれてからずっと、目立つようになるたびに桜華が削ってくれていた、角が、二本生えた。

その姿は正しく、鬼。

珠華は怒りに任せて結界をズタズタに破り、安倍晴明と忠一に向かって炎を放つ。

清明の作った結界が、二人の目の前に一瞬にして現れた。が、珠華の怒りはそれすら突き破る。

結界は破壊され、本邸と忠一が炎に包まれ、直ぐに消える。

それは清明が消したわけではなく、炎の破壊力エネルギーが強すぎるあまり、瞬間的に全てを燃やし尽くすことができるからで。

清明だけが、陰陽師として生まれた故に辛うじて助かったようだったが、その事実を受け止めるのには、少々時間がいるようだった。

「なんじゃ。もう死んだのか。人間の体とは、もろいものじゃの…つまらぬ。もう少し、苦しめればよかったものを。怒りに踊らされ、何の苦しみも与えずに死なせてしまうとは、わらわも未熟者じゃの。」

父の亡骸に向ける珠華の眼差しは、極寒の山に叫ぶ吹雪のごとく冷たく冷え切った、絶対零度のものだった。

「鬼め。そなたはやはり、血も涙もないようだな。実の父への情という感情の欠片かけらすら持ち合わせていない…ふん。所詮妖はその程度のもの。妖を倒したところで、何の情も湧かないことにも頷けよう…」

顔をしかめ、こちらをにらみながら、清明はそう吐き捨てた。

「黙れ。そちこそ、命を何とも思っておらぬくせに、そのようなことをほざくのは止めてもらおう。実の父への情?…考えてもみよ。我が子を見て、初めて発した言葉が、恐ろしい子じゃなどとゆうものだった男に。自身の妻を、子を、閉じ込めた男に。情と名の付くものを持つとでも?そして、…聞くが、何の情も持たぬものが、母上を殺されたことで、ここまで暴れるものなのか?妾に血も涙もないというのなら、妾のなかでぐつぐつと煮えたぎっているものは何だ?両目からとめどなく流れ落ちるものは何だ?のう。教えてはくれぬか?」

普通の妖なら動けなくなるような清明の眼差しと言葉を軽々と受け止め、それに対して睨み返し、反論する珠華。

清明は、ぎりっと歯嚙みした。そして両者の霊力が激しくぶつかり合う。

それからの出来事は、よく覚えていない。ただ。天才陰陽師、安倍晴明を相手に互角に闘ったことだけは憶えている。

しかし。

冷静に闘えていると思っていても、やはり感情に任せていたところが多かったらしい。

一瞬、珠華が隙を作ってしまったことで、戦闘は幕を閉じた。

 そのあと

珠華は、清明とその弟子によって、きつく拘束され、厳重に結界を張った座敷牢へと入れられた。

いっそのこと、殺して欲しいとも思ったが、今珠華を殺せば、とんでもない霊力が弾けるため、ここに閉じ込めておいて、じわじわと霊力を奪うつもりらしい。

――本当に、自分にとって屈辱的なことをよくわかっている。

このまま何もできずに朽ちてゆくのかと、そう、思っていた。

だが。

「鬼姫。お前を待つ者の所へ。お前の居場所へ、連れて行ってやる。だから、死のうという考えを捨てて、俺にさらわれてくれないか。」

その言葉とともに現れたのは、幽世かくりよの鬼神だった。

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