第29話 カントリーロード-29
鉄子が目を覚ますとまた雨が降っていた。しとどなく降り続く雨に誘われるように窓を開けた。じめじめした風がすっと部屋の中に入ってきた。時折雨しぶきも顔にかかった。それでも鉄子は窓を閉めずにしばらく外を、空を、見ていた。そして、窓を閉め、また寝袋にもぐり込んだ。夜明けにはまだ間があった。
朝の教室でぼんやりと鉄子は外を見ていた。雨はしとしとと降り続いている。
おはよう、と次々に登校する誰彼もが鉄子に挨拶をしたが、鉄子は相変わらずの生返事だった。朝丘がすっと隣に寄ってきて、並んで一緒に外を眺めた。
「よく降るわね」
「ん」
「今日テレビで言ってたけど、東北から北海道まで梅雨入りしたんだって」
「ほんとけ?」
「うん。これで、全国梅雨入りしたって。沖縄は梅雨明けしてるけど。テッちゃん、テレビ見ないんだったっけ?」
「おら…」
目を見開いて見つめられて朝丘は驚いた。
「どうしたの?」
鉄子は急に元気に動きだし、きょろきょろして、そして絹代を見つけた。絹代は鉄子と朝丘が親しそうにしていることが気になっていたので、二人のほうを見ていた。そして目線が会うと鉄子は絹代に駆け寄った。その勢いに絹代は怯みながら鉄子の顔を見た。鉄子は最近にないほど張りのある表情で絹代を見つめた。
「どうしたの、テッちゃん?」
「おら、…おら」
「なに?」
「……キヌちゃん、ごめん。おら、やっぱり、山に帰るだ」
「え、どうして、急に、そんな」
「おら、帰らなきゃなんねえだ。もう、梅雨だ。畑も大変だ、上月の婆ちゃんちの畑が心配だ。いつもおらが手伝ってやってただ。おら、帰る」
「だけど、そんな」
「おら、キヌちゃんの父ちゃんに言ってくる」
鉄子は教室を飛び出した。後に残された絹代は騒然とした中でぼんやりと見送っていた。
久しぶりに絹代の家にやって来た鉄子は、直之と美津江の前でただ頭を下げていた。二人とも鉄子の意思の固さに何も言えなかったが、絹代はただ泣きながら抗議した。
「いや、あたしは、いや。せっかく、仲良くなったのに」
「キヌちゃんには申し訳ないだ、迷惑掛けて、世話んなって、それで、礼もできねえままで帰るのは申し訳ないだ。んだども、早く帰ってやらねえと、上月の婆ちゃんが心配だ。校長先生のとこも。川越のカッちゃんもぼうっとしてて頼んないだ。おらが帰って手伝ってやんねえと」
「いや、絶対、いや」
「わかってくんろ。おらを必要としてる人がいるんだ」
「ここのみんなも必要としてるわ」
「こっちは大丈夫だ。会長さんもいい人だし、先生も信用できる」
「でも、テッちゃんは一人よ。ここにいて欲しいの」
「ごめん、キヌちゃん。おら、ずっとずっと、山のこと考えてただ。いんや、違う。畑や田圃のこと考えてただ。こっちの季節のほうが早いんども、もうすぐ草抜きだ、もうすぐ間引きだ、梅雨が来るぞ、ってずっと考えてただ。おら…おらには、山の生活しかできねえ。おら、根っからの田舎もんだ。土の臭いが恋しいんだ。ここは雨が降っても土の臭いがしねえ。ここの土は嘘っこだ。おらの住める地面じゃねえ。わかってくんろ」
「いやよ」
絹代は美津江に寄り掛かったまま泣き続けた。直之は、校長に連絡をとるから二、三日待ってくれと言った。
「パパ、テッちゃんを帰すの?」
「絹代、仕方ないんだ。テッちゃんが帰りたいって言ってるんだから」
「でも、どうやって生活するの。どこに住むの?」
「おら、校長先生にお世話になるだ。校長さんはおらのこと引き取ってもいいって言ってくれてただ。おら、義務教育が終わって働けるようになったらお願いするつもりだったんだ。んだども、もう、そんなこと言ってらんねえ。おら、なんでもして働くだ。だからって、お願いする」
「そんなに出て行きたいの…」
「そんじゃねえ、おら、帰らなきゃなんねえだ」
「いいわよ、帰れば」
絹代は泣きながら自分の部屋に駆け込んだ。鉄子は小さく頭を下げながら、
「キヌちゃんには迷惑掛けてばっかだっただ。んだども、おら、帰らなきゃなんねえだ。どうか校長先生にお願いしてくんろ」
「ああ、任せておいて。残念だけど仕方ないよ」
「絹代も、きっとわかってくれるわ」
鉄子は頭を下げて丁重に礼を言うと、席を立ち、絹代の部屋の前で少しためらったが、何も言わずマンションを出て学校へ戻った。
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