第四話

第四話

霧がかったような蒙昧な思考の中、

言いようのない不安に駆られて私はめちゃくちゃに叫ぶ。


「お兄ちゃん!キャトル!」


強く言葉を吐き出し続けないと背後の闇に呑まれてしまうような気がして、

一瞬でも気を抜けば何を探しているのかもわからなくなる気がして、

必死に声を張り上げる。


「ねぇ!どこ?お兄ちゃん!キャトル!

 どこにいるの!!」


自分の掠れた声で夢から覚める。

するとそこは、見知った洞穴でも冷たい檻でもなく、暖かい布団の中だった。


「???」


状況が掴めず、野生動物にとっては異文化である布団を軽く押す。

柔らかい。張り詰めていた思考がほろりと緩む。


「落ち着いた?」


頃合いを見計らったように隣から声がかかる。


「店員のおねえ、さん…???」

「そう。よくわかったね。梅乃ちゃん」


笑顔の店員さんの表情が翳る。


「何かあったの?通報とかしたほうがいい?」

「…ぁ」


私が答えあぐねていると、部屋の向こうからポーンという軽快な音がした。


「呼び鈴だよ。誰か帰ってきたみたい」


店員さんはそう言うと、私の頭を少し撫でて小走りに部屋を出た。




◼️◼️◼️




研究所の小部屋では、食堂から帰った和桜が言葉を失っていた。


「お、お腹いっぱい食べてしまった…」


…予想外の夕飯の料理としてのレベルの高さについて。



「やっぱり?慣れるとわかんなくなるけど、旨いだろ?」


来羽と呼ばれた少年はあっけらかんと「やっぱり」と「だよな」を繰り返している。

ひどく満足そうな少年に、和桜はおずおずと口を挟む。


「キミは、その、大丈夫なのかい?」

「…何が?」


眼帯で隠されていない方の左目を丸くして、

「本当に何のことだかわからない様子」に自分の案じている事自体に不安を覚える。


「いや、彼、髪の長い、ハイジくん、がとても心配していたから……。

 よくわからないけど、大丈夫なのかなって……」


「ああ。アイツはね。過保護だから」


ははは、と笑う顔は彼が俯いたせいでうかがえない。


だが、

「大丈夫だよ。オレは特別だからさ」

そう笑った来羽くんは、僕の目には、少し寂しそうに見えた。




◼️◼️◼️



ころんころんと転がる自分以外の生物を見ながら、キャンパスに色を置く。


小さなそれは先程まで目が痛いと訴えていたが、

私が何とか巻きつけた包帯が功を奏したようで今では自身の尻尾を追いかけてぐるぐる回っている。


「キャトル、包帯解けちゃうよ」


そう言ってキャトルを抱え上げると、鼻をヒコヒコさせて「ナンノにおい?」と尻尾を左右に振る。


「絵の具、かな。絵を描いてるから」


そう答えると、キャトルはさらに強く尻尾を振る。


「ナンノ絵?オイシイ?」


「…美味しくないよ。これは、」


キャンパスで微笑む女性の顔にべちゃりとバツをつけて床に放る。

床には同じ題材の絵ばかりが散乱している。どれもにバツ、バツ、バツ。


しけた目で見下ろして、事務的に新しいキャンパスに手を伸ばす。


「これは、神様を、描いてるんだもん」


おびただしい数のなり損ないのバツから目を逸らして、私はまた絵の具をなすりつけた。




つづく

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十字画帳〈本編〉 真間 稚子 @MarmaChocori

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