第38話 おじさんを起こす時は揺さぶるんだよ
「海の生き物大集合?」
「そう。あの大きな奴が怖くて、ここに集まって来てる」
「だから、沢山のお魚さんで、でっかい奴を倒す?」
「ちょっと違う。あの凄く大きな奴は餌になる」
「おぉ、何か凄そう。流石はミサ」
「でも、問題が有る」
「問題って?」
「魚が腹黒」
「お前の命はここまでだって感じ?」
「違う。魚達は何か変なのを食べた」
「お腹壊しちゃうね」
「お腹を壊すのは魚を食べた人」
「そしたら次は、お魚さんを何とかしなくちゃね」
「違う。次はおじさんを起こして、問い詰める」
「おぉ、忘れてたよ。ごめんね、おじさん。でも何で?」
「おじさんは、何かおかしい」
☆ ☆ ☆
俺は自分のこれまでを眺めている。これは夢だ、何故かそう確信した。
ガキの俺が、親父の船に乗せて貰って喜んでいた。親父が漁をしている姿を、俺は誇らしげに眺めていた。
そして親父に『お父さんみたいな凄い漁師になる』と言うんだ。親父は俺の頭を撫でて優しく笑っていた。
少し大きくなった俺が、親父の手伝いをしていた。何度も失敗して、その度に怒鳴られる。そして俺は不貞腐れる。
こうやって見ると、ちゃんと教えてくれてたんだな。俺が海で事故に遭わない為に、一人前の漁師になれる様に。
真似事程度なら出来る様になった頃、親父が病気になった。医者が直ぐに良くなると言っていた。だが、親父はそれから寝たきりになった。そして『後は任せる』と言い残して死んだ。
俺は独りで船を出していた。親父に教わった事を思い出しながら頑張っていた。それでは足りなくて、親父の仲間である先輩の漁師達に指導を仰いだ。
暫くは、大変だったと思う。悲しんでる暇は無かった。弟と妹は未だ幼い、親父の代わりに俺が稼がなきゃならない。
目が回る様な日々が続いていた。この時の俺は、自分自身の事で精一杯だったんだろう。
俺が家族を顧みなくても、お袋がいたから弟達が元気に育った。その内、弟が俺の手伝いをする様になって、妹も家事を手伝える歳になった。
そしてようやく、俺もそれなりに歳を重ねていたのを知った。
これで少しはお袋も楽になったはず。そう思っていた矢先に、お袋が病気になって死んだ。
俺は何も出来ない、家族でさえ幸せに出来ない。そんな俺の後悔など関係無く、病気で死ぬ奴が増えていた。
先輩の漁師も何人か死んだ。病名は不明だが、お袋の症状と似ている気がした。
俺はその日から、船を弟に任せて色々と調べ始めた。それを待っていたかの様に、不思議な事が起こり始めた。
少し遠くで漁をした弟は、バカでかい怪物を見たと語った。それと同時期に、近海で魚が増えていた。俺はそれが関係無いとは思えなかった。
暫くすると、入り江にも魚が増えた。但し、増え方は異常だった。それ以上に、魚そのものがおかしかった。
荷揚げしたばかりの魚なのに、腐った様な味がした。腹を開いてみると、腸が真っ黒になっていた。
俺は、病気の原因がこれだと思った。だけど、味が変だと思っているのは俺だけだった。漁師仲間、医者、弟達ですら、俺が変だと言い始めた。
いつの間にか、俺は可哀想な奴になった。親父の代わりに漁へ出て、その上お袋が死んだから、張り詰めた糸が切れたんだと言われた。そんなはずが無いのにな、俺は至って冷静なのにな。
漁師仲間と弟は、俺を船に乗せないと言った。弟は俺を信じてくれると思っていた。少なくとも、俺は弟が見た化物の話しを信じた。
でも違った、弟は「化物など見てない」と言い出した。妹は俺を心配して、休めと言ってきた。
俺は家族に心配をかけたくない。取り敢えず言われた通りに休む事にした。でも、状況が変わる事は無い。病人は増えていく。俺は居ても立っても居られなかった。周りに何を言われようと、俺は調査を再開した。
船に乗せてもらえないから、沖に出る事が出来ない。だから、入り江の内と外の海水を比べたり、色んな魚を捌いて腹わたを確認したり、海に潜って海藻やらの様子を確認した。
学の無い俺では、例えそこに原因が有ったとしても、何一つとして見つける事が出来ない。行き詰まっていた俺は、防波堤で釣りをしていた。そんな時だ、妙な二人の少女が話しかけてきた。
明るい方の少女は、街の奴等に話しかけて無視されていた。無理も無い、街の奴等は俺と違って見えてない。
その後、二人が堤防に向かって歩いて来た事も、俺は気が付いていた。
救われる事が無いのはわかっている。誰も助けて欲しいと願っていない。それでも俺は、みんなが救われる事を願った。そして、あの子達は応えようとしてくれた。
でも、それは有り得ないんだ。頭の中に『それは紛い物だ』と声が響いている。その声に従うなら、かけてもらった優しい言葉、体中に染み渡る味、その全てが幻だ。
みんなが言う通り、俺は喪失感とやらで心が壊れたんだ。有るはずの無い偽物を信じて、居るはずの無い少女を見たんだ。
そもそも、何で俺はこんな事を考えている?
確かに辛かった事が沢山あって、歯を食いしばって耐えて来た。でも、心が壊れた理由がわからない。
全て俺の気持ちで、ちゃんと説明も出来るのに、何故か実感が湧かない。全て俺の過去なのに、他人の記憶の様な気がする。
俺は何者なんだ? 本当に俺は存在してたのか?
もし俺が、誰かの人生を眺めている傍観者なら、少しは納得出来る。親父の船に乗せて貰って喜んでいたのも、家族の為に頑張って働いたのも、全て俺では無い誰かで、俺は単に感情移入しただけ。
では、眺めている俺は何者だ?
少なくとも漁師では無い、親父とお袋の子供でも無い、弟達の兄でも無い。勿論、人でも無い。そんなのが存在しているのは何故だ? いつから存在していた。
俺は心だけじゃなくて、頭までおかしくなったんだな。
でも、あの子達と触れ合った時に感じた、温かな気持ちまで嘘だとは思えない。それは、ただの感情移入だとも思えない。
しかめっ面の子は、俺をどっちなのか疑ってた。あの時、信じて欲しいと願ったのは、傍観者である俺だ。
見ていたから伝えたかった。この街に危機が訪れている事を、誰かに知って欲しかった。多分そういう事だ。
笑顔の子は、一も二もなく俺を信じてくれた。実際にどうなる訳でも無いだろう。だけど、『助ける』の一言が嬉しかった。
これまでの人生を送って来たのが『他の誰か』なら、『傍観者の俺』は何が目的で存在しているのか。そんな事を考えても、答えが見つかるとは思えない。何が真実で何が嘘なのか、理解出来る日は来ないだろう。
だから、いや……。本当は、わからない事だらけだからこそ、色々と考えるだけ無駄なんだろう。
もう、『頭の中に響く声』は聞こえない。その代わりに、優しい声が聞こえてくる。俺を呼んでいる、目を覚ませと言っている。
さあ、夢は終わりだ。
☆ ☆ ☆
「おぉ、目を覚ましたね」
「カナ、そんなに揺らさない」
「おじさんって面白いね。寝ててもしゃべるんだね」
「モゴモゴ言ってるから、聞き取れないけど」
「そうだ、痛い所とか無い?」
「カナの結界が有るから大丈夫のはず」
「でもほら。一応さ、確かめなきゃ」
歳は八つ位か? 妹が同じ歳の頃、この子達みたいにやかましかった気がする。なんだか懐かしい。
「それで痛い所は?」
「いや、大丈夫そうだ」
俺が体を起こそうとすると、この子達が背中を支えてくれる。優しい子達だ。
「大丈夫そうなら、知ってる事を全部話してね」
「そう、根掘り葉掘り」
「それとも、お腹空いた?」
「今度こそ、カナのご飯を独り占めさせない!」
「いや、腹は減ってない。それより……、夢じゃないんだな?」
「そうだよ。ミサちゃんの可愛さは本物なんだよ!」
「カナの方が可愛い。おじさんにはあげない!」
何を張り合ってるのか全くわからないけど、不思議と安心した。全てが、すっと自分の中で整理がついた。
そこに居るのが俺だろうが、他の誰かだろうが関係無い。俺は、ただ俺を信じていれば良かった。
だから俺は、素直に差し伸べてくれた手を掴もう。ただ縋るのでは無く、未来へ進む為に。家族を、仲間を、街のみんなを守る為に。
「あぁ、全て話す。力を貸してくれ」
「大丈夫だよ」
「ん」
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