第三章 闇に光る紅き瞳
茉莉が校門の近くまで歩いて行くと、後ろから優しい声が聞こえた。久し振りに聞く声だ。
「あれ? 君はこの前の……」
「……お久し振りです。白木先輩」
「君ひょっとして今帰り?」
「はい。今からです」
偶然を装った振りをしているから、ちょっと心苦しい茉莉。
「その方向なら俺も一緒だ。良かったら一緒に帰ろうか」
「……は……はいぃ……っっ!!」
緊張で声が裏返っている。手が汗で湿ってきた。
(変な声出ちゃったかも……嫌〜恥ずかしいなぁ……あんまり近過ぎると嫌かなぁ。歩くスピードどうなんだろう。私が前過ぎるとあんまりだし……)
一歩一歩歩みを進める毎に胸の高まりが止まらない茉莉。一方白木の方は彼女の想いはつゆ知らず、涼し気な顔をしている。ちらっと横を盗み見ると、彼が茉莉の方に顔を向けて来たのですぐに視線を前に戻した。よく見ると、自分の左手に視線が集中している。
「ところで、今日は雨だったかな?」
「え……?」
「君が傘を持っているから、ちょっと気になっただけで」
「あ……あははは。傘を持ち帰るのを忘れてたから、今日持って帰ろうと思っただけです。深い意味ないですよ」
「そうなんだ」
咄嗟の言い訳一つに心臓が破裂しそうになる。白木にとっては「今日は晴れですね」程度の会話でも、茉莉にとっては爆弾を投下されている心地だ。
特に帰りが遅くなる時、茉莉は傘を持ち歩くことが多い。雨天時というより、いざという時の護身用の為である。中学時代に痴漢にあった際には随分世話になっている傘だ。
(私の馬鹿! いつもの癖で傘を持ち歩いちゃったけど、雰囲気台無しじゃないの!!)
それからは他愛ない世間話が続いた。
足元に伸びる二人の影はどこか楽しげに動き、燃えるような茜色の夕焼けが少しずつ青に染まっていく。丁度、日の入り後で時間は静かに夜へと移動していた。
二人が帰り道の途中方向的に別れる間際、誰かが叫ぶ声が聞こえた。耳を澄ませると、どうやら助けを呼んでいるようだ。
「何だろう? 誰か助けを呼んでいる声がする。俺ちょっと見てくるから君は先に帰っていてくれ」
「あ……待って先輩!!」
白木は声がした方向に向かった。困っている人がいたら放っておけないところが彼らしい。胸騒ぎがする茉莉はこっそりその後をつけていった。自宅からは遠ざかってゆく方向だったが、考える余裕はなかった。白木は電柱の裏に身を隠しながら進んでいくと、目的地らしい光景が目に飛び込んで来た。
「……!!」
そこは人気のない行き止まりで、大声を上げても誰も気が付かないような場所だった。
倒れている人間に馬乗りになっている黒ずくめの男がいる。仰向けにされているのはどうやら会社帰りの女のようだ。下敷きにされている女は苦しそうに暫く身を捩っていたが、痙攣したと思いきやくたりと力が抜け、それ以降動かなくなった。その身体の周りには赤黒い血が静かに広がっている。男は覆面で頭から顔を殆ど覆っており、誰か判別出来ない。返り血を浴びているが、黒装束なので分かりにくい。
白木はスマホを取り出し、音を消した状態で写真を何枚か撮った。すぐに鞄へスマホを戻し電柱の後ろに隠れていた筈だったが、不覚にも足元に落ちていた小石を踏んでしまい、パシリと音をたててしまった。
(しまった!)
その男はくるりとこちらを向いた。こちらに向かって足音がひたひたと近付いて来るのを感じる。
茉莉が付いてきているのを分かっていた白木は茉莉に耳打ちした。
「君は……来るな!! 俺が囮になる。俺から離れて早く逃げろ!!」
「先輩も一緒に……!」
「良いから早く!!」
白木は茉莉の身体を後ろに向かって強く突き飛ばした。茉莉は受身を取りそこねて道に倒れ込む。彼はその男の前に躍り出た。
(あの男、一体何なの!? まさか、昨今起きている事件の主犯……!?)
覆面を被った謎の男は猛スピードで白木に襲いかかってきた。白木が回し蹴りをすると男はそれを避けつつ背後に向かって手刀を繰り出した。辛うじてそれをかわした白木はその反動を生かしつつ、レバーブローをたたき込む。しかし、相手は全く効果がみられない。相手の肉体は鉛でも仕込んであるのか、頑丈すぎてコンクリートレベルはありそうだ。拳のあまりの痛さに白木は顔を顰めた。
血のような残照に染まっていた濃紫の空が、急速に暗黒へと変わってゆく。
茉莉は腰が抜けているのかその場から動けない。
幾ら攻撃しても黒ずくめの男はびくともせず、次第に疲労が溜まってきた白木の動きが鈍くなる。彼は攻撃を避けきれず、到頭まともに当て身を食らってしまった。内蔵を掴み上げられる感触に白木は苦悶の表情を浮かべる。
「かはっ……!!」
膝を折り前に倒れ掛けた白木の身体は、黒装束の男によって冷たい道路に叩きつけられ、縫い付けられる。男は牙のように光る牙をのぞかせ、彼の白い喉元に遠慮なく食らいついた。
「うわああああああああああっっっ!!」
白木の凄惨な悲鳴が暫く響き、その後音がぴたりと止んだ。恐ろしいほどの静寂さが訪れる。
目の前にぐったりとした白木の身体がある。
首から滴り落ちた血が制服の白いシャツを赤黒く染めてゆく。
茉莉の目の前で起きた、あっという間の出来事だった。
「嘘……!! 先輩……!?」
黒ずくめの男は動かなくなった白木の身体を蹴飛ばし、今度は茉莉目掛けて襲いかかってきた。
「嫌……来ないで!! 来たらぶ……ぶっ飛ばすわよ!!」
茉莉は震える足で何とか立ち上がり、持っていた傘を握って男に殴りかかった。袈裟斬り、逆袈裟、突きと二・三撃相手に攻撃を加えたが、言うまでもなくびくともしない。傘は直角に曲がってしまった。
(本当に何て頑丈なの!? 昔これで何度も痴漢を撃退出来てたのに! あの男は人間じゃなくて、本当に吸血鬼!?)
相手の動きは驚くほど早く、茉莉は逃げ切れない。あっという間に行き止まりまで追い詰められる。
(しまった!! 逃げられないじゃない! 私の馬鹿!!)
右手を捕まれ、あまりの痛さに傘から手を離してしまう。垂直に折れ曲がった傘はカタンと音をたてて落ちた。
「痛い!! 何よ、手を離して!! きゃぁっっ!!!!」
相手の力が強過ぎて振り切れない。急所を狙って蹴りを入れたり、あらゆる方向に腕を捻ってみたが圧倒的な力量の差で徒労に終わった。茉莉はあえなく押し倒されて地面に押さえつけられる。自分の上に馬乗りになっている男の顔は黒い覆面で覆われているが、隠されていない血のように赤い瞳だけがぎらぎらと輝いていた。口元からは犬歯が覗いている。
「やめてっっ!! 離してっっ!!」
黒い手袋をした大きな手で口ごと顎を捕まれ、顔を強引に右へと向かされる。ビリッと何かが破れる音がしたと思ったら制服のシャツのボタンが二個弾け飛び、首元が露わにされた。冷や汗だらけの背中をつららで撫でられたように悪寒が走る。
(何か嫌なシチュエーション!! この前見た夢と被るんだけど……!!)
「ん――っっ!!」
茉莉は手足を動かして何とか逃げようと藻掻くが相手はびくともしない。ギラリと光った銀色の犬歯が首元に近付いてくるのを吐息で感じ、身が震えた。
(いや……私……殺される……!! 誰か……助けて……!! )
覚悟を決めた茉莉は目を瞑る。
その時、ゴキリと頭上で変な音がした。
「……!?」
「ぐあああああああっっ!!」
自分の身体の上に伸し掛かっていた男が悲鳴を上げたと思いきや、拘束されていた頭と両腕が急に自由となった。その途端腰と膝に力が掛かり、急に茉莉の身体がふわりと宙に浮く。
「え……!?」
茉莉が瞑っていた目を開けると、首を変な方向に捻じ曲げられた男が血を吐きながら呆気なく地べたに倒れていくのが見えた。その光景がどんどん小さくなってゆく。そして自分が見知らぬ誰かの腕の中に居るのに気が付いた。その相手は自分を横抱きにして屋根の上を飛んでいるではないか。
屋根の上からなので、いつも見ている風景とは違って見える。電線にとまる雀達はこんな気分なのだろうか。妙な気分だ。
茉莉は自分を抱えている人物をそっと見上げた。毎日見ている学ランだが、彼はボタンを全てはずしている。シャツもボタンをいくつか外して寛げている為、雪のように色白な胸元が露わだ。髪は夜空に映える月の光のような銀髪。白磁のような肌で瞳は咲き誇る薔薇のような強く赤い輝きを放っていた。まるでルビーだ。冷たい美貌に良く似合っている。その美しさに茉莉はつい釘付けになってしまった。その瞳は美しいのだが、奥深くにどこか悲しみの光をたたえている。
(この人がさっきの男を倒しちゃったの? たった一撃で……!?)
ふと視点をずらすと、露わになっている左の首筋に何かがあるのに気が付いた。小指の爪位の大きさの不思議な形をした痣があるのだ。それは薔薇の花のような形をしている。シャツの襟元でぎりぎり隠れる位置にそれはあった。
「ちょ……ちょっと、あんた……一体……!?」
「……細かいことは気にするな。お前はもう少しで危ないところだった」
(この声、誰かに似ている。言い方も雰囲気も全く違うけど……)
「奴は昨今起きている吸血殺人事件の下手人の一人だ。恐らく他にも関係者がいるだろう。人間であるお前がまともに相手出来る筈がない。命が惜しければ俺の話しを良く聞け」
やけにぞんざいでぶっきらぼうな口調だ。顔は良いのに、何か興醒めだ。口元から見え隠れしている八重歯の先が異常に尖っているのを見て、身を固くする。
「……分かった」
(ひょっとして……この人も……吸血鬼!? 助けてくれたところ悪いけど、怖い……)
そんな茉莉の心情を知ってか知らずか、紅玉の瞳の男は喋り続けた。
「神宮寺静藍と言う者がお前の近くにいる筈だ。これから先は単独行動を控え、なるべく彼奴の傍にいろ。絶対だ」
「……分かった。理由は良く分からないけど。……でも、あんた何で彼のことを知っているの?」
「……そのことについて俺が答える必要はねぇ。その内嫌でも分かる。死にたくなければなるべく彼奴の傍にいるようにしろ。分かったな」
自分を襲う気はないのは分かったが、いちいち引っ掛かる物言いが気に食わない。茉莉はついつい喧嘩腰になってしまう。
「それはそうと、あんた名前は? 私は門宮茉莉。名前位教えてくれたって良いじゃない」
「……ルフスだ。これで満足か?」
なんだかコードネームみたいな響きだ。何もそんなに面倒くさそうに言わなくても良いのに。
「……ルフス、危ないところ助けてくれてありがとう。……ところで……ねぇ。一つだけ教えてよ。どうして白木先輩が殺されなければなかったの?」
「白木? ……ああ、先程死んだ奴のことか。あれははっきり言って犬死にだ。奴等は人間が相手出来るレベルではない。飛んで火に入る夏の虫だ。ただそれだけだ」
感情のない投げやりな物言いに茉莉は言葉が詰まった。震えて声が上手く出ない。助けてくれたのに、何故か妙な苛立ちを感じる。
「そんな言い方ないじゃない。私を助けてくれた人なのよ。あんまりだわ。私なんかと一緒に居なければ、先輩は死なずに済んだかもしれないじゃない」
「それはどうだか。過ぎたことを悔やむことはよせ。それよりも、今お前は自分の身を守ることを優先し……」
茉莉はルフスの襟首を掴んだ。ルフスは表情一つ変えず不思議そうにその手を見つめた。その手はまるで生まれたての雛のように小刻みに震えている。
「だって、好きな人が突然目の前で殺されたのよ!? 平然としていられるわけないじゃない。初めて二人きりでまともに話せたのに、私……私……先輩に好きだってことすら伝えられなかった……」
人知れず涙がぽろぽろ溢れ出し、視界が歪む。何千本何万本もの針に刺された胸が痛くて仕方がない。真っ暗闇の中に身体が沈んでゆくような、そんな心地がした茉莉だった。
――先輩……!!
これは夢だ。とんでもない悪夢だ。
夢なら早く覚めて欲しい……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます