第二章 茉莉の初恋

 「ねぇねぇ茉莉、あたし思うんだけどさ、“タンザナイト・アイ”とあんたって結構、気が合ってるんじゃないの?」

 

 優美からの突然の指摘に茉莉はついついお茶を吹き出しそうになる。“タンザナイト・アイ”とは、転校生の瞳の色を文字って彼女が勝手につけたあだ名だ。神宮寺静藍の瞳は多色性豊かな奥深い青色で、色彩がとろけあう煌めきを持っているのだ。意味を瞬時に解した茉莉は恨めしそうな目で友人を睨む。 

 

「……優美、あんた一体何の根拠があってそう言うわけ?」

 

 優美は親友による予想通りの反応に満足しながら手元にあるフォークでパスタをくるくると丸めている。

 

 ここ綾南高校には食堂があり、教員や生徒達が昼休みをとる憩いの場所となっている。床はダークブラウン、壁は明るめのベージュで落ち着いた雰囲気だ。窓際はカウンター席もある。建物の外にはテラス席もある為、そこで購買で買ったサンドウィッチやら弁当やらを広げる者もいるのだ。

 日替わりメニュー以外にも定番メニューやら色々あり、各自好きなものをオーダーしてはお盆に取り分け、好きな席についている。値段は比較的良心的価格で味も評判良く、利用する者は多い。

 

 茉莉は日替わり定食を頼み、優美はレディースランチを頼んだ。今日の日替わり定食のメインはチキン南蛮で、レディースランチのメインは和風パスタだ。お醤油とバターの香ばしい香りが口いっぱいに広がり、その旨さに顔をほころばせながら海は茉莉に話しかける。

 

「根拠も何も、見てそのまんまなんだもん。今朝も面白い光景が見れておかしいやら何やら……」

 

 フォークに海苔をまとったしめじを突き刺しつつ思い出し笑いでテーブルに突っ伏した親友を見ながら、茉莉はタルタルソースをたっぷりつけたチキンを口に運び、むすりとしながら咀嚼し始めた。

 

 (優美の奴、何もお昼中に思い出させなくたって良いのに。せっかくのご飯が不味くなっちゃう)

 

 ※※※

 

「うわぁ~~!! すみません!!」

 

 頭上からノートとファイルの山が降ってきて下敷きとなった茉莉に、慌てて駆け寄ったのは黒縁眼鏡を掛けたタンザナイトの瞳を持つ男子生徒だった。

 

「ごめんなさい門宮さん。け……怪我はないですか?」

 

「神宮寺君、あなたこそ怪我はない? あの階段から足を滑らせたわけだし、捻挫とか大丈夫?」

 

「ぼ……僕は幸い大丈夫です」

 

 後頭部をかきながら苦笑いをする静藍は、不思議とかすり傷程度だ。……何故だろう?

 

「もぅ、気を付けてよ。私ならともかく、先生にぶつけたらヤバいでしょ!?」

 

 茉莉は幸い怪我はせずに済んだが、こういうやり取りが日常茶飯事になりつつあるようで、溜め息を一つつく。

 

 今日、一時限目が終わって二時限目は教室移動があった。その移動の際に静藍が足を滑らせて階段から落ち、丁度後から階段に足を掛けたばかりの茉莉に授業道具の流れ弾を浴びせてしまったのだ。こういうハプニングは今に始まった訳ではなく、割と多いのだ。ある時は配布中のプリントの山を受け取り損ねて床にばら撒いたり、消しゴムを取ろうとして筆箱ごとひっくり返してしまったり……毎日ではないが、こういった細やかなハプニングの為に、茉莉の周りでは賑やかさが絶えない。

 

  ※※※ 

 

 (ああ、私の平穏はどこに……)

 

 ブツブツ言いながら茉莉は真っ白な豆腐とわかめが入ったお味噌汁を啜っていると、フォークでサラダをつつきながら優美が話しかけてくる。

 

「神宮寺君ってよく見るとイケメンなのに、ドジなところがあって可愛いじゃない。ちょっと頼りないけど」

 

「じゃあ、あんたが彼と付き合えば良いじゃん」

 

 茉莉は試しにけしかけてみた。親友に彼氏がいるのを知っているので、返しはだいたい予想がつく。

 

「無理無理! あたしの彼氏はコレだから……」

 

 優美はスマホの待ち受け画面を見せびらかしてきた。精悍な男性の写真が表示されているのを見て、茉莉はあきれる。今流行りの人気ゲームのキャラクターがこちらに向かって微笑みかけているブロマイドだったのだ。

 

「彼氏いるのに二次元彼氏なんていらないじゃない」

 

「観賞用と現実は別よ。ふふふ。あんたは白木先輩一筋だもんね。ごめんごめん。そう言えばあれから進展は?」

 

「特にないけど」

 

 素っ気なく返す茉莉に優美は眉をひそめた。

 

「駄目よ茉莉、先輩はあたし達より先に卒業して居なくなっちゃうんだから、おしていかなゃ。待っているだけでは何も手に入らないよ。下校時に一緒に帰ってみたら? 先輩は帰りの方向は途中まであんたと一緒の筈よ。幸いなことに先輩は今特に本命はいないという最新情報が入ってる。イケそうな時は教えるから、頑張りなさい!」

 

 優美はスマホを弄りながら茉莉の背中をバンバン叩く。

 

「……痛いってば優美。それにしてもあんた何でそんな情報知ってるのよ!?」

 

 茉莉は顔をしかめながら答える。

 

「あたしの部活分かってる? 新聞部は常に情報命なんだから。一に取材、二に取材、三四はなくて五に取材よ!! 先輩の情報なら色々あるわよ。後輩が調べてくれてるから。何なら先輩の好みのタイプとか靴のサイズ教えようか? 洋服の好みはねぇ……」

 

 (それって部活の範囲越えている気がする。一歩間違えたらストーカーだよ)

 

 得意気に語る親友に茉莉は呆れて物が言えない。昼休みはあっという間に過ぎて行った。

 

  ※※※ 

 

「大丈夫?」

 

 以前、茉莉がまだ入学したばかりの高校一年生だった頃。帰宅途中に彼女は危うく自転車事故に巻き込まれそうだった時、助けてくれたのが当時二年生だった白木結弦だった。バスケットボール部の彼は文武両道で優秀な生徒だ。見掛けは平凡だが優しい人となりもあってクラス内のみならず学校内の人気者である。

 

 茉莉はその時から白木のことが気になるようになった。名前を聞いただけですぐ反応してしまう。帰宅前、ついついバスケットボール部の部室の方向に足が向いてしまう。だからといって、声を掛けるには勇気が出ない。胸がきゅぅとしまり、足が竦んで動けなくなる。

 

 とくん、とくん、とくん

  

 優しい顔をつい思い浮かべた茉莉は、顔を真っ赤にした。

 

 ―― 白木先輩、明日は六時半頃学校を出て帰宅予定らしいよ。頑張れ!! あたし応援してるから! ――

 

 (優美ったらあんなに簡単に言うけど、声を掛けるのも出来ないのに先輩と一緒に下校だなんて。恥ずかしくて絶対に無理だよ!! )

 

 到頭「その日」が今日になった。茉莉は黒板の字を頑張ってノートに書き写していたが、先生の声も他の生徒の声も全く頭に入って来ない。


 時間が過ぎるのは何て早いんだろう。今の自分の心臓の音を誰かに聞かれたら、やかまし過ぎて逃げ出されるに違いない。茉莉はそう思った。


 あっという間に放課後。無情にも「その時」はやってきた。茉莉は何とか勇気を振り絞り、靴箱で上履きからローファーに履き替え、妙に遠く感じる校門へと向かった。

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