炎のトワイライト・アイ〜二つの人格を持つ少年〜
蒼河颯人
第一編 崩れ去る日常
第一章 謎の転校生
それはしっとりとしているがどこかふんわりと、温い。妙にくすぐったい感じが首全体に広がったところへ突然チクリと痛みが走る。何か鋭い異物が薄い皮膚を貫いて体内に入ってきたのを感じた。
彼女が目を開けると、誰かが自分の身体の上にのしかかっている。どう見ても、男だ。何をどう押さえ込まれているのか分からないが、身体が動かない。その男は自分の首筋に唇をあてている。妙な倒錯感がある。
(ちょっと、レディの寝室に勝手に侵入だなんて一体誰なの? やだ……私まだ彼氏無い歴イコール年齢だよ。自分の部屋に男が居る訳ないのに。何故!? まさか……吸血鬼!? 私、血を吸われているの!?)
「痛ったぁ〜い!!」
そこで、目が覚めた。
自分の部屋だ。窓は……閉まったままだ。まずは一安心する。
身体が熱い。脈打つ音が耳奥でがんがん響いてくる。肌が嫌な汗でじっとりしている。
息が上がる。つい左の首筋を触ってみるが、特に違和感はない。
鏡を覗いてみた。
何もない。針で刺されるような痛みがあったのに。
どうして……?
「……夢……!?」
両手を押さえつけられた、生々しい感触が身体に残っている。
夢にしては変。
ふと壁に掛かっている時計を見ると、時計の針は八時少し前を指している。
身体中の血が一気に冷え込んだ。
「やだぁ! 遅刻しちゃうじゃない!!」
茉莉はベットから急いで飛び起きた。
背中まであるストレートの黒髪がさらさらとこぼれ落ちてくる。
弾みでクマのぬいぐるみが床に転がり落ちるが、構ってられない。
何故か目覚まし時計がならなかった。
七時半には鳴る筈だったのに。
妙な夢のせいでスマホのアラームも聞こえなかった様だ。
慌てて身支度を済ませ、紅茶を一気に喉に流し込み、バター付きトーストを一枚咥えて家を飛び出した。
「ちょっと茉莉! 朝ご飯位まともに食べなさい!!」
後ろから響く母親の怒声も耳に入らない。机の上に準備してあったハムエッグやサラダは置き去りだ。バタンと音を立てて閉まるドアの音を聞きつつ、茉莉は心の中で謝った。
「行ってきま〜ふ!」
彼女が通っている綾南高校は幸い徒歩圏内だから、ダッシュで行けば二十分位で着く。教室へはいつもより若干余裕で着けそうである。物理的な安心感も相まってつい甘えてしまい、毎朝いつもこんな調子だ。
季節は連休明けの五月。花海棠の花が咲き乱れ、青々とした木々が日の光を浴びて気持ち良さそうに背伸びをしている。茉莉は顔にまとわりつく髪を手でかきあげつつ、茶色のチェックのスカートと胸元の赤いリボンをはためかせながら葉だらけである桜並木の通りを一気に駆け抜けた。冬服であるベージュのブレザーが少し暑く感じはじめる時期だが、夏服への衣替えは来月になってからだ。
咀嚼していた食パンをごくりと飲み込み、そのまま走っていると、ある光景が茉莉の視界に入ってきた。正門の少し手前でふらつき、黒い学ランを纏った身体が倒れそうになっている。
「危ない!!」
茉莉は慌ててその人を抱き止めた。襟元に付いている校章を見ると、彼女が通う高校の男子生徒のようだが、全然知らない人だ。眼鏡を掛けている。青白くて、何だかひ弱そう。
(誰だろう? もうしょうがないなぁ。保健室に連れて行こう)
身長が百六十にとどかない茉莉より高身長の相手だ。多分百七十以上はある。当然重量も彼女より重たい。よりによってスマホを家に忘れて来た為、連絡も取れない。病院よりも学校の方が距離的にも近い為、養護教諭の指示を直に仰ぐことが適切だと彼女の頭脳は判断した。
※※※
養護教諭の
「門宮さん。有り難う。朝から大変だったわね。彼の事は私が見ておくから、あなたは教室におゆきなさい。担任の真木先生には先程事情を連絡しているから、心配しなくて大丈夫よ」
(グッジョブ穂波先生!! 助かった〜!!)
「どうも有り難うございます!」
心の中でガッツポーズを決めた茉莉は急いで階段を駆け上がり自分の教室に入ると、生徒達はまだ歓談中だった。時計の針を見るとショートホームルーム開始ぎりぎり二・三分前。
「間に合ったぁ〜!!」
机の上に鞄をドサリと置き椅子に座り込んだ茉莉はハンカチで額の汗を拭き、呼吸を整える。そこへ隣から声が掛かった。ショートヘアーのちょっと気の強そうな少女が心配そうに眉を顰めて覗き込んでいる。中学時代からの友人である
「ねぇねぇ茉莉。一体どうしたの? あんたが遅刻ぎりぎりなのは別段珍しくないけど、保健室だなんて。LINEしても返事来ないし」
「いや……ちょっとね」
人助けをしていただけなので別に悪いことをしていた訳ではないが、相手は男子生徒だっただけに妙に言い難い。口をもごもごさせ、どもる茉莉に親友は追い打ちをかけた。
「まさかあんた憧れの
一つ上の学年である某男子生徒の名前を急に言われた茉莉は血圧が一気に急上昇する。
「そんなわけないでしょ! 私まだ手一つ繋いだことないのに」
「あ、茉莉ったら茹で蛸みたい。あたしそこまで言ってないんだけどな。一体何を想像したの?」
お腹を抱えてカラカラ笑う優美に茉莉は更に耳や首まで赤くする。
「そこまで過激に反応すると却って怪しまれるよ。あんた何だかんだ言ってそういうところシャイだもんね。いじり甲斐があると言うか……」
笑い過ぎで目尻に溜まった涙を人差し指ですくいつつ、優美は茉莉を宥める。
「優美の意地悪ぅ」
むくれて蛸の口をした茉莉を横目に、優美はさっさと話題を変えた。
「先程当番からクラスに連絡があって、担任の真木先生が諸事情で少し遅れるそうだから、朝のショートホームルームはなしで、その後先生来るまで自習らしいよ。今日の一時限目は数学だから、偶然すぎて珍しいけど」
優美はそこで一息付き、茉莉に話題を振った。
「それよりさ、近ごろ話題の“吸血鬼”事件、あんたはどう思う?」
二人は暫く話し始めた。
話題に上がるのが最近SNSでも上がっている謎の事件。男女問わず多発する殺人事件が始まり三ヶ月目。原因は何者かによって多量に血を抜かれることによる出血性ショック死。被害者の首に二つの穴が痕跡として残されていることにより「吸血鬼殺人事件」として取り扱われている。犯人はまだ捕まっておらず、夜間外出を控えるようホームルームでも言われているのだ。
「最近妙な事件が多いよね。帰り道気を付けなきゃ。優美、あんたいつも帰り遅いんだから気を付けなよ」
「あたしは部活仲間と一緒だから何とかなるけど、どちらかと言うとあたしはあんたが心配だな。昔から男子顔負けの喧嘩強いところあるけど一応レディだし」
「一応って何よぉ。褒めてるのか貶してるのか意味分かんない」
そこへ教室の戸がガラガラと開く。担任の
「おはようございます。急用が入ってすっかり遅くなりました。すみません。今日からこのクラスに新しい仲間が増えます。転校生の
……転校生!?
教室内がどよめく。真木先生は転校生の紹介を簡単に済ませ、彼に挨拶をするよう促した。静藍は静かにお辞儀をした後、ぎこちない素振りをしながら自己紹介を始めた。
「は……はじめまして。僕は神宮寺静藍と言います。両親の仕事の都合で急にこの街に引っ越して来ました。わ……分からないことばかりなので色々教えて下さい。どうぞ宜しくお願い致します」
身長は百七十五から百八十の間位はありそう。
艷やかな漆黒の髪。
黒縁眼鏡の奥に青色の瞳が収まっている。
青のような紫のような緑のような、不思議な輝きだ。それも、夕暮れ時の空を映し出したような様々な色彩が混ざり合う多色性の青。まるでタンザナイトのような瞳。目元はやや切れ長で二重だ。
すっと通った鼻梁に形の整った薄い唇。
顎のラインはシャープで綺麗なんだけど、肌の色はどこか青白い。
声もどこか弱々しく、何か病弱っぽそう。
(どこかで見覚えがあると思いきや、今朝私が保健室に連れて行った彼じゃないの!!)
茉莉は目を擦ったが、間違いなく、今朝校門の前で倒れ掛けた彼だった。もう体調は大丈夫なのだろうか。
その後真木から説明が続く。静藍は持病がある為体育の時間は見学、クラスマッチや運動会も不参加だそうだが、それ以外は普通に共同生活を送って問題ないとのことだ。クラス中にどよめきが走る。
(体育の時間は見学!? 心臓に病気でもあるのかしら? 勉強ばっかりじゃあつまらないだろうに、可愛そう……)
座学が苦手な茉莉は体育と言った運動モノは得意で大好きだ。それなだけに、運動系一切禁じられている静藍を哀れに思った。
「あの……」
考え事をしていた茉莉は、突然声をかけられて持っていたシャープペンシルをつい手元に落としてしまう。
「……は、はい」
シャープペンシルを持ち直しつつ見上げると、トワイライトのような青紫の瞳が彼女を真っ直ぐ見ていた。
榛色の瞳とタンザナイトブルーの瞳が見つめ合う。
少女はごくりと唾を飲み込んだ。
「あ……あなたが門宮さんですね? 穂波先生から教えて頂きましたが、今朝は貧血で倒れていたところを助けて頂いたそうですね。どうもありがとうございました」
「……大したことはしてないので、き……気にしなくて良いわ。まさかクラスメイトになる人とは思わなくて驚いたけど。これから宜しくね」
「こちらこそ。どうぞ宜しくお願い致します」
彼は律儀にぺこりとお辞儀した。その後茉莉の後ろにしずしずと場所移動し、椅子にそっと座り込んだ。どうやら彼女の後ろが彼の与えられた席のようだ。
(ちょっと! 一体何動揺してるのよ私ったら!?)
転校生だなんて、別に来てもおかしくない時期である。今までだって経験してきた筈だ。だけど、茉莉はどこか落ち着かなかった。
心臓が飛び跳ねそうな位痛む。
とろけるような深い青色の瞳を目にして以来、何かが起きそうな妙な胸騒ぎがするのだ。
その心情が雰囲気に出ていたのか敏感に感じ取った優美は「どうしたの? 今日のあんたは何か変ね」と親友に声を掛ける始末だ。
その日、学校内では特に大きな出来事は起きず、平和な時間が過ぎていき、茉莉の不安は杞憂に終わった。
だが、その不安が現実となる日は彼女の元に突然訪れることとなる。
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