29話 侍の可能性

 前回と同じ場所。

 前回と同じメンバー。

 違うのは、私の前には食事がないことくらいか。

 これは私の失敗に対する、テレオの不満の表れだ。


 そのテレオは今、中性的な美しい顔を憤怒に歪め、私を睨みつけていた。


「新入生に敗北?

 片手のハンデ?

 冗談だと言ってくれ、イルク!」


 私は不快感をぐっと抑え、頭を下げた。

 自分で選んだ道だとはいえ、精神年齢的には年下の青年に怒鳴られるのは愉快なことではない。


「すみません」


 テレオは飲み干したグラスをテーブルに叩きつけるようにして置いた。


「お前がイルク・フォルダンでなければ、忠誠心を疑っていたところだぞ!」


 フォルダン家の存亡がクライオス大公の健康と紐付いている以上、私の裏切りはありえない。

 テレオのその考えは理にかなっていた。

 実際原作でもイルクは最後までクライオス家を裏切ることはなかった。

 いや、出来なかった、というべきか。


 しかし今の私は原作のイルクとは違って、原作知識を保有している転生者だ。

 沈むとわかっている船に乗り続けるつもりはない。

 裏切る気満々である。


 だがその考えを悟られるわけにはいかない。

 クライオス家の滅亡は確実だが、彼らも黙って滅ぼされたわけではない。

 裏切りがバレてヘイトを買い、最終決戦で狙われてはたまったもんじゃない。

 抵抗できるだけの力を手に入ったと確信するまでは、私はテレオの従順な犬を演じる。


 私は申し訳無さそうに言った。


「まさか平民風情があれ程の力を持っているとは……」


「お前にはがっかりだ。

 信頼できる人材だと思っていたのだがな」


「すみません」


「もう良い。

 暫くお前の顔は見たくない。

 出ていけ」


 それは本来であれば上司に見放されたことに相当する叱咤なのだが、今の私にとっては最高の言葉だった。

 これで私はエレア暗殺作戦から外されたということだ。

 束縛が一つ消えたことで、暗躍する時間が増えた。


「はい」


 私は自分の目に浮かんだであろう侮蔑の念を見られないよう、少し目を伏せた。

 テレオは典型的な能無し悪役だ。

 暴虐で思慮浅い。

 武才は決して低くない彼だが、その気性は大公家の当主には相応しくない。

 彼がクライオス家の家督争いの有力候補としていられる最大の理由は、彼の父、つまりクライオス大公が伝統を重んじるタイプの人間であり、長子相続を最優先に考えているからだ。

 それほど大きなアドバンテージを抱えているにも関わらず、嫡子としての地位を確立できずに有力候補の一人で収まっていることからも、彼の無能っぷりが垣間見えるだろう。


 まぁ大公家の力を振るえるテレオが有能では、成長しきっていない今の主人公たちなどひとたまりもないだろう。

 原作の物語が成立しなくなる。


 私は貴族礼をして退室した。




 テレオとの密会の直後。

 私は密閉式修行場で剣術の訓練をしながら、サリアから侍たちの近況について報告を受けていた。


「侍の規模はすでに100人を突破し、132人にまで発展しています。

 ローカス商会を潰した一件で侍の名声は若者を中心に飛躍的に広まり、入団志望者が後を絶えません。

 今の所厳しい試験を課して人数を絞ってはいますが、どうしましょうか?」


 ローカス商会というのはクルブス地方を中心に活動する、商会とは名ばかりの犯罪組織だ。

 違法薬物の販売から人攫い、あげくには強盗殺人といった山賊まがいの悪行までなんでもござれだ。


 他国の追随を許さない圧倒的な軍事力を保有する帝国は、基本的に隣国を刺激しないよう、国境には軍を配備しておらず、また統治にも力を入れていない。

 そのため国境付近の地域の治安はひどいもので、特にエルフ領と隣接しているクルブス地方はエルフ奴隷産業の暴利にたかる犯罪者たちが集まり、最悪の状態になっている。

 星の数、とまではいかないものの、ローカス商会のような犯罪組織は珍しくない。


「まさかとは思っていたが……やはり」


 ダンジョン内でロイと話した時の、彼の反応。

 あれは間違いなく厨二心をくすぐられた思春期の少年のものだった。

 強権に屈せず、弱き者たちのために戦う仮面の戦闘集団。

 侍はかっこよすぎた。


 本来は私に「巨悪であるクライオス家に脅され、仕方なく家族を守るために悪行を重ねるも、実は正義の心を持つ義士である」という設定をつけることが第一目的の組織だったのだが、どうやら侍は当初の想定よりも遥かに大きな可能性を秘めているようだ。


 私は少し考えた後、サリアに言った。


「人数は制限しなくていい。

 ただ繰り返し侍への忠誠心を刷り込め。

 上から下される命令は全て正義のためのものであると盲目的に信じさせろ」


 私は侍を発展させることにした。

 正義のために刃を振るう組織というのは下手すれば持ち主である私をも傷つけかねない諸刃の剣だが、威力は絶大だ。

 それに正義の名の元に集まった彼らなら、薄給でも命がけで戦ってくれるだろう。

 一種の奴隷のようなものだ。


 侍はきっと私に驚きをもたらしてくれる。

 そんな予感がした。


 私は続けて言った。


「それと正体を明かした時に私欲のために立ち上げた組織だと勘ぐられないよう、フォルダン家と友好関係にある組織も適度に襲わせろ」


 いずれ私は正体を明かす。

 その時に侍がフォルダン家の政敵ばかり襲っていたとなれば、私の立場が危うくなる。


 サリアはうなずいた。


「わかりました」


 続いてサリアは手紙を差し出した。


「エリスからです」


 開いてみると、中には一見何の意味もない言葉の羅列が書かれている紙があった。

 暗号だ。

 この手紙は私とエリスにしか読めないようになっている。


 少し時間をかけて暗号を読み解くと、そこには私が待ちに待っていた知らせが書かれてあった。


「ようやくか……」


 十傑戦の次の予定が決まった。




 その後夕方まで瞑想を続け、私は寮に戻った。


「ん?」


 自室の前にはイオ・トルムンテ、あの主人公との初対面時に平民虐めをしていた三下感あふれる男爵家の倅が待っていた。

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