30話 イオの頼み

 寮の自室の前で待っていた三下感満載のイオ。

 彼は私を見つけると、お得意の媚びるような笑みを浮かべた。


「お久しぶりです、イルク様」


「久しぶりだな、イオ。

 どうかしたのか?」


 イオのことは嫌いではない。

 媚びる人間は客観的に見れば嫌悪感を抱いてしまうものだが、自分に媚びてくる人間というのは可愛いものだ。

 しかし彼とは用もないのに部屋を訪れて会話をするような仲でもない。


 イオは少しの沈黙した後、意を決したかのように言った。


「本日はお願いがあってきました」


「ふむ、中で聞こう」


 イオの真剣な表情からみるに、きっと大層なお願いなのだろう。

 興味が湧いた私は彼を部屋に招き入れた。


 テーブルを挟んで座り、私はイオに話の続きを促した。


「近々十傑に挑戦すると聞きました」


 私が十傑に決闘状を出す噂はまだ広まっていないはずだ。

 しかしイオは前回ロイとの決闘の件でアインと組ませた経歴がある。

 今回もアインに依頼した諜報工作を手伝っているのだろう。

 彼が知っていても不思議ではない。


「ああ、そうだ。

 それがどうかしたのか?」


「その相手に兄を選んで欲しいのです」


 イオの兄。

 それは初等部十傑8位のコールスだ。

 イルシオン学院に入学できるほどの才能を持っているイオが、後継者として育てられていない理由でもある。


 十傑の称号は同世代最強の証。

 イオが無能なのではなく、コールスが優秀すぎるのだ。


「どうして?

 仮に彼を十傑から落としたとして、君にそれほどメリットがあるとは思えないが」


 学部ランキングというのは基本敗北しても1つ下に下がるだけだ。

 自分より上位の人間が自分より下位の人間に負けることでどんどん下がるシステムではあるため、下位ランカーは直接敗北はしなくとも、時間経過でランキングから外れることもある。


 しかし十傑に限っては少しシステムが違う。

 11位以下のランカーに負けた者は十傑から外れ、11位に落とされる。

 再び十傑に返り咲くためには誰かを蹴落とすしかない。


 なので私がコールスに勝利すれば、コールスは十傑から落ちる。

 しかし仮にコールスを十傑から落としても、一度でも十傑になった彼の優秀さはすでに証明済みだ。

 イオの家での状況が良くなるとは思えない。


 それに今の所手に入っている情報だと、私の戦法で相性有利が取れる十傑下位の者はコールスではない。

 イオのために標的を変える必要があるとは思えない。


 イオは少し沈黙した後、意を決したように言った。


「兄の戦心を折っていただきたい」


「……ほう」


 戦心。

 戦士の心。

 戦士が強くなっていく過程において身につけた、自身の道に対する信念を指し示す言葉だ。

 戦心を折るということは、相手に戦士としての自信を完全に喪失させるということである。


 この世界のレベルというのは、経験値を貯めれば上がるものではない。

 レベル10ごとレベル障壁を突破する必要があり、それが出来なければ一生次の段階にはいけない。

 そしてそのレベル障壁の「完璧な」突破には心技体全ての円熟が必要不可欠だ。

 戦心を折られ、戦士としての自信を失った者はその「心」を欠くことになり、レベル障壁を突破する難易度が跳ね上がる。

 仮に手を尽くして突破した所で、「完全性」を失った身体ではレベル50には決して至れないだろう。


 レベル50に至れない。

 それはつまりイルシオン学院から除名されるということだ。


 また、失うものは将来性だけではない。

 自信を失うことは技の冴えをも失うことにつながるため、戦闘力が激減することになる。


 戦心の回復は非常に難しく、よほどのことがない限りは一生そのままだ。

 一度戦心を折られた者は戦士としては終わりと言っても良い。


 当然そんな人間は貴族家の当主には相応しくない。

 コールスという天才を失ったトルムンテ家は再びイオに目を向けることになるだろう。


 私は言った。


「わかっているとは思うが、負かすことと戦心を折ることは全く別の話だ。

 十傑の戦心を折るほどの力が私にあるとでも?」


 戦心はそう簡単に折れるようなものではない。

 ただ決闘に敗れて自信を失うくらいでは、戦心には影響は出ない。

 二度と立ち直れなくなるほどの屈辱やショックが必要だ。


 十傑に名を連ねるほどの戦士は心技体どれをとっても同年代で最強クラスの強者だ。

 一度の決闘の敗北など、彼らの戦心を折るどころか、さらなる飛躍の糧にされかねない。

 彼らは並大抵のことで戦心が折れるような軟弱な存在ではないのだ。


 いかに天才と名高いといえども、私は結局まだ16歳でしかない。

 十傑に挑戦するだけでも無謀と見なされることが多い中、私に相手の戦心を折るほどの力があると思った根拠が知りたかった。


 イオは答えた。


「ロイとの決闘の、あの最後の一撃。

 あれはレベル20台後半の威力を持っていたはずです。

 そんな一撃をあなたは片手で放ちました。

 今回の挑戦といい、あなたは間違いなくレベル29の域にいるはずです」


 私は少し驚いた。


 確かに私はロイとの決闘の場で気持ちが高ぶり、強力な一撃を放った。

 しかしあの攻撃は一瞬だったし、決闘台と観客の間には少し距離があったため、私のあの一撃を傍から見て威力がわかったものはいないと思っていた。

 もちろん審判をしていた職員にはバレていただろうが、学院関係者は理由もなく生徒の実力を口外するようなことはしない。

 実際、学部内で流れている噂の中に私のレベルに対する確信的な情報はなかった。


 まさかレベル19の、それもはっきりいって軽視していたイオがそれに気付けるとは思わなかった。

 どうやら彼の評価を改めなくてはならないようだ。


 私は言った。


「仮に私がレベル29の域にいたとしよう。

 だがそれはコールスも同じことだ」


 20歳でレベル27を超えれば、天才の集うイルシオン学院の中でも天才と称される中、十傑は全員レベル29以上という不世出の天才の集まりだ。

 私がレベル29だったとしても、コールスに対する優位性はない。


「わかっています。

 ですが兄がレベル30になればもう私にチャンスはないでしょう。

 私はあなたに賭けるしかありません」


 彼は続けて言った。


「あなたは帝国一の天才です。

 不可能を可能にできるはずです。

 あなたは私にとって唯一のチャンスなのです」


「なるほど、すがる思いというやつか」


 確かに私はイオにとって最後の望みなのだろう。

 彼の兄に対抗できるほどの存在は彼よりも年上のランカー上位勢たちだけだ。

 そういう存在たちは、イルシオン学院の中では凡才であり貴族としても家督争いから外れているイオなどに目を向けることはないだろう。


 数年後には彼の友人からもランカー上位に名を連ねる天才が出てくるかもしれない。

 しかしその時にはコールスはもう初等部にはいないし、レベル30の領域に足を踏み入れていることだろう。

 そうなったらもう遅い。

 イオにできることはコールスが不慮の事故で死ぬことを祈ることだけだ。


 しかし今なら私がいる。

 イオと接点のある人物の中で、コールスと渡り合えるただ一人の存在だ。

 そして私の帝国一の天才という名声が彼に「コールスの戦心を折れるのでは?」という希望を持たせたのだろう。


 しかしイオにとっては人生に一度の大チャンスだろうが、私にとってはどうでも良いことだ。

 私の力を借りたいのなら、それに見合うだけの見返りが必要だ。


 私は率直に聞いた。


「私に何のメリットがある?」


 私のその質問にイオは顔に狂喜の感情を浮かべた。

 見返りを聞いたということは、暗に私にはその力があると認めたということだ。


 イオは高ぶった感情を何とか抑えながら言った。


「私の、トルムンテ家の忠誠です。

 私が家督を継いだ暁には、トルムンテ家はあなたの犬となり、どんな命令にも従うでしょう」


「自分の忠誠心にそれほどの価値があるとでも?」


 貴族には貴族のルールがある。

 他家の家督争いに多少の助力をすることは許されても、直接介入することは許されない。

 ましてや跡継ぎの戦心を折るなどすれば、戦争に発展する可能性すらある。

 今回の場合はフォルダン家がトルムンテ家よりも上位の貴族であるため、戦争には至らないだろう。

 しかし元々良かった両家の関係が劣悪なものになることは避けられない。

 なによりそういう露骨な汚い手段はフォルダン家の品位を落とし、貴族界での名声に傷をつけることになるだろう。


 貴族たる者優雅であれ。

 汚い手段はバレないよう裏で使うのが粋なのだ。


 フォルダン家の名に傷をつけてまで欲しいと思うほどイオの忠誠心に価値はない。

 結局家督を継いだ所で彼は男爵でしかないのだ。

 ましてや彼にはもう一人兄がいるため、彼を当主に押すとなると今回の一件だけでなくさらなる投資が必要になる。

 どう考えても割りに合わない行為だった。


 私は首を振って拒絶した。


「この話は聞かなかったことにしよう」


 さっきはイオの評価を改めようとも思ったが、どうやらその必要はなかったようだ。

 自分の価値すら判断できないものに使う時間はない。


 私はお茶を持ってきたサリアを手で制し、イオに言った。


「すまないが今日はもう疲れた。

 帰ってくれないか?」


 イオは動かなかった。

 私が顔をしかめて彼を叱咤しようとした瞬間、彼は口を開いた。


「帳簿があります。

 ……第2皇子に関する」


「……詳しく聞こう」


 私はサリアにお茶を出させた。

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