12話 噂

 1週間後。


 イルシオン学院初等部で一つの噂が広まっていた。

 あの帝国の花とも呼ばれる、皇帝陛下が最も寵愛する第3皇女が、なんと平民と恋に落ちたという噂だ。

 極めて大きな身分差の恋、そして第3皇女の婚約者があのイルク・フォルダンときた。

 その噂はゴシップ好きな女子生徒たちを中心に爆発的に広まり、そこかしこでこの噂話をする生徒が見受けられた。


 講義棟の一角。

 一人の女子生徒が興奮した様子で友達に話しかけた。


「ねぇねぇ、聞いた?」


「なに?」


「ロイたちの噂、本当だったんだって」


「え?

 エレア殿下とデキてるって話?」


「それそれ」


「まさか。

 たしかにあの二人とソフィア殿下はずっと一緒にいるけど、流石にただの噂でしょ」


「それが本当だったらしいのよ。

 それでイルク様が怒って、ロイに決闘を申し込んだのよ」


「え!?

 本当に!?」


「本当本当、みんなもう闘技場に集まってるわ。

 私達も早く見に行こ!」


「うん!」


 同じような場面がそこかしこで繰り返されていた。

 帝国全土に名を馳せる天才であるイルク・フォルダンと、入学試験で活躍し、一躍話題の人となったロイという名の新入生の、第3皇女をめぐっての決闘。

 修行とクエストを繰り返す淡白な学生生活に起きた一大イベントに、娯楽に飢えた学生たちはまるでピラニアのように食いついた。

 初等区画に入れない上級生の中には、観戦できない悔しさで涙を流した者もいるとかいないとか。




 闘技場。


 私は主人公よりも早くついた。

 決闘の噂を聞きつけてやってきた観衆の視線を無視し、私はアインをねぎらった。


「よくやった」


「当然のことです」


 アイン・ルーゲル。

 私の学院での腹心三人衆の一人だ。

 ルーゲル家の次男である彼は社交に長けており、情報収集や情報操作を任せている。


 続けて私は彼の隣に立つ少年にもねぎらいの言葉をかけた。


「お前もよくやってくれた」


「へへ、お役に立てて光栄です」


 相変わらず三下感満載の彼は、主人公と初遭遇したときに平民虐めをしていたイオだ。

 あの後彼は何かに付けて私の周りをうろちょろしていたので、仕方なく今回の仕事を任せてみた。

 持ち前の面の皮の厚さがうまくハマったのか、彼は思った以上の成果を上げてくれた。


 彼ら二人には今初等部で流れている、ロイとエレアの噂を流してもらった。

 目的はこの決闘の口実にすることだ。

 テレオの命令により、私はロイを排除する必要があった。

 排除というのは彼を殺すか、腕でも切り落として戦士の道を断つかだ。


 ロイとソフィ、エレアの3人はあの一件以来ほとんど毎日一緒にいた。

 この調子だと彼ら3人はパーティーを組むことになるだろう。

 ただでさえ防御魔法具を持っているエレア暗殺は難しい。

 それに加え側にレベル20の戦士がいるとなると、更に難易度が跳ね上がることになる。

 なので暗殺の下準備として、私がロイを事前に取り除くというわけだ。


 はっきり言って私はロイよりも強い。

 原作でも油断さえしなければ負けることはなかったはずだ。

 ましてや今の私は原作のイルクよりも遥かに強い。


 しかし当然ながら、私はこの決闘には敗れるつもりだ。

 原作通り油断し、主人公を煽り、しっかりと逆転の一撃をもらう予定だ。

 これだけの人の前で負ければ、しばらく私はロイに手を出せなくなる。

 その間は裏工作に回れるという算段だ。


 観衆がざわついた。

 ロイが来たのだ。


 ロイの隣にはいつものメンバーがいた。

 エレアとソフィだ。

 私はまず二人に貴族礼をしたのだが、挨拶を返してくれたのはエレアだけだった。

 そのエレアもあまり顔色は良くない。

 どうやら先日の嫌われ作戦はしっかりと効いてるようだ。


 二人への挨拶を済ませ、私はロイに向き直った。


「会うのは2度目だな、ロイ」


「ああ、そうだな」


「ここに来たということは、決闘を受けるということだな?」


「いや、お前に言いたいことがあって来ただけだ」


「ほう?」


 私が首を傾げていると、ロイは深く頭を下げた。


「すまなかった!」


「……ん?」


 私は少し混乱した。

 なぜ彼はあやまっているのだ?

 まさか噂通り本当にエレアとデキていたのか?


 元々私としてはNTRされることは転生完了初日から覚悟していたし、前世では二人の薄い本を買うほどに好きなCPだったから気にはならないのだが、流石に今はまだ早すぎる。

 何も思春期の男女が恋に落ちる早さを舐めているわけではない。

 原作の展開と違うのが問題だ。

 まさかの原作崩壊か、と密かに身構えていた私に、彼は説明をした。


「あの後、あの娘に話を聞いたんだ」


「あの娘?

 ああ、農家の娘のことか」


 私とロイの共通の「あの娘」といったら、農家の娘しかない。


「そうだ。

 そしたら、彼女をイジメてたのはお前といたあの貴族で、お前はむしろ止めに入ってくれたんだと言ってた」


「そういうことか。

 なんだ、それで謝罪とは随分と律儀なんだな」


「悪いことをしたらしっかりと謝るべきだって、父さんが言ってた」


 ロイは謝罪を終えると、ソフィの方を見た。


「ほら、ソフィも」


 ロイに促され、ソフィは渋々といった様子で、口を尖らせたまま謝罪をした。


「悪かったわよ。

 あんたの家名まで馬鹿にしちゃって」


 エルフ王族のじゃじゃ馬姫であるソフィは、生まれてこの方謝罪などしたこともないはずだ。

 エルフ王夫妻が知ったらさぞかし驚くことだろう。


 さすがは主人公だ。

 この素直さを向けられて好感を抱かない人間は相当なひねくれものだろう。

 この愚直なほどの真っ直ぐさこそが王道系主人公の強みだ。


 私は原作崩壊ではないことにほっとしながら二人の謝罪を受け入れた。


「あの一件は許そう。

 だが、決闘を受けないというのはどういうことだ?」


 おかしい話だった。

 私は原作通り、いや、それ以上にエレアの前で嫌な男として振る舞ったはずだ。

 ロイも原作通り決闘を受けるかと思っていた。


「エレアからお前が平民を嫌ってると聞いた。

 でもお前はあの娘を助けた。

 そんなお前がそんなに悪いやつだとは思えない」


 私はなるほどな、と合点がいった。

 あの一件で好感度が上がってしまったのか。

 出来るだけ相手を好意的に捉えようとするその姿勢は、原作でのロイの振る舞いそのものだ。


 ロイは続けて言った。


「それに、俺はエレアともソフィともただの友達だ。

 噂になっているような関係ではない。

 それも伝えたかった」


 ロイはそう言って立ち去ろうとした。

 このまま彼を逃してしまっては、アインとイオが苦労してやった情報操作が水の泡だ。

 それにテレオに対しても申し訳が立たない。

 仕方がない、貴族の煽りスキルを見せつけてやろう。


「その臆病さもお前の父が教えてくれたのか?」


 その言葉に彼はビタッと動きを止め、表情を険しくした。


「俺のことはいい、でも父さんを悪くいうのはやめてくれ」


「おいおい、私はお前の味方だぞ。

 私は憐れんでるのだ。

 そんな臆病者に育てられた、お前をな」


 私は人を見下したような、嘲るような笑みを浮かべた。

 これは転生完了前のイルクが得意としていた表情だ。

 とても便利だ。


「イルク様!」


「あんた!」


 私の煽りにロイよりも早く反応したのはエレアとソフィだった。

 しかし原作2大ヒロインに睨まれるとは、なかなかない経験だ。

 意外と悪い気はしなかった。


 ロイは怒りの籠もった口調で決闘を承諾した。


「決闘を受ける。

 俺が勝ったらその言葉を取り消して貰おう」


「ああ、もちろんだとも。

 だが私が勝ったら、エレア様に二度と近づかないよう、誓ってもらおう」


「わかった」


 ロイはつい先日レベル20台に乗ったばかりの戦士。

 一方で私は3年前にはレベル20を突破した老舗の戦士だ。

 どう考えてもロイに分の悪い決闘だった。

 エレアとソフィは心配そうな表情でロイを説得しようとしていたが、一旦決めたことを曲げる主人公ではなかった。


 よし、なんとか決闘までこぎつけた。

 あとは自然に負けるだけだ。

 ……これが案外難しいんだよな。

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