11話 お見舞い
入学試験で実行された第3皇女である、エレア・レドレクに対する暗殺計画は原作通り失敗した。
報告書によると、暗殺者の奇襲はエレアが所持していた防御系魔法具に遮られ、軽傷を与えただけに終わったらしい。
そして偶然その場に出くわしたエルフ族王女、ソフィ・エルリーンと彼女の護衛かと思われるロイという平民剣士がエレアに助太刀し、三人は暗殺者と激闘を繰り広げた。
本来であれば3対1だろうとレベル19の戦士がレベル20のドーピング戦士に敵うわけはなかったのだが、ロイという戦士が土壇場でレベル20の障壁を破ったことで逆転勝利した。
入学試験における皇族暗殺は学院上層部をも動かす大事件になったが、暗殺者は敗北した時点で自害しており、その遺体から手がかりになるようなものは何も見つからなかったため、調査は難航するとみられている。
これを聞いたテレオは激怒した。
無理もないことだ。
この計画のためにテレオはクライオス家に借りのある教授を動かしていた。
イルシオン学院の教授というのは皆レベル60台の守護者であり、このレベルの強者に貸しを作ることはとても難しい。
この一件でクライオス家の学院に対する影響力は一段階下がったと言っても良いだろう。
またそれとは別にダンジョン管理者に見て見ぬ振りをさせるためにサキュバスの魔核を握らせていた。
魔核というのはダンジョンの主を討伐したときに低確率に入手できる魔素を凝縮した宝石のようなもので、その用途は修行用資源、魔法陣のコア、魔法具の動力源と多岐にわたる優れものだ。
中でもサキュバスのような出現率の少ない特殊な魔物の魔核は、市場にはほとんど出回っていない貴重な品だ。
それだけの犠牲を払い、危ない橋も渡った計画が失敗に終わったのだ。
何よりこのクライオス大公の治療に関わる計画の失敗は、テレオの家督争いでの評価を下げるに違いない。
彼の怒りは全てロイという、この計画をぶち壊した最大の犯人である平民剣士に向けられていた。
その場にいた私は彼に合わせて怒りの演技をしつつも、主人公と入学試験前にフライング遭遇した一件が原作に影響を及ぼすことなく、全てが予定通り進んだことに安堵していた。
しかし次の瞬間、私はある可能性に思い当たり、その安堵の念は吹き飛んだ。
なんとかその可能性を避けようとテレオに別れを告げるために立ち上がろうとした瞬間、彼は怒りをたたえた目を私に向けた。
「イルク、私の頼みを聞いてくれるな」
「……もちろんです」
私に断る選択肢はなかった。
翌日。
私は怪我を負った第3皇女にして私の婚約者でもある、エレアの見舞いに来ていた。
私の背後にはサリアが、彼女の背後には彼女に仕える仕女がいた。
いかに私が彼女の婚約者だとは言え、男が未婚の皇女と密室で二人きりになることは許されない。
久々にあった彼女は、初対面ではないのにも関わらず、思わずため息を漏らしてしまうほど美しかった。
彼女は人間だというのに、エルフに勝るとも劣らない美貌を持っていた。
特筆すべきは彼女の目だ。
その目は宝石のようにきらびやかであり、同時に見る者を温かい気持ちにさせる、太陽のような輝きを放っていた。
前世と今世の人生経験を足しても、彼女のような目を持つ存在にはあったことがない。
さすがはメインヒロインといったところか。
そんな美少女、それも自身の婚約者であるエレアを前にして、私の頭の中はとある思いでいっぱいだった。
その思いを端的な言葉で表すと、NTRの三文字になるだろう。
メインヒロインであるエレアの伴侶は主人公であるロイだと相場が決まっている。
私はロイの評価を上げる踏み台キャラであり、彼らの恋路の上の小石でしかない。
それに私は主人公からメインヒロインを奪おうとするほど自殺願望が強い人間でもない。
彼女が私のものになることはないだろう。
私は紅茶を一口飲んだ。
うむ、さすがは皇室献上品、美味だ。
「怪我の具合はどうですか?」
お見舞いなのだから、とりあえず怪我の心配から入るのは定石だ。
「はい、メルリ教授から薬を頂いたので、数日中に完治するはずです」
メリル教授。
ロイの才能とその正義感に好意を持つ女性教授だ。
ロイの良き師であり……そしていずれロイに好意を抱くことになるサブヒロインでもある。
私と会話を交わすエレアの態度はどこかぎこちないものだった。
無理もない。
数回しか顔を合わせたことのない、しかしいずれ自身の夫となる少年を前にして、自然に振る舞えという方が無理な話だ。
私は学院への不満を演技した。
テレオの前といい、連日演技ばかりしているので、演技力は上達していく一方だ。
「しかし入学試験に暗殺者だなんて、イルシオン学院も堕ちたものですね。
これは許されない怠慢ですよ」
「教授に聞いた話ですと、あまりに綺麗に痕跡を消しているので、学院関係者が関与している可能性が高いとのことです」
「まさか。
それでは、犯人は学院内部にいると?」
「あくまでも推測ですが」
「何と恐ろしい……」
私は信じられない、というような表情を浮かべた。
エレアは私の言葉にうなずいて賛同した。
「今回はロイがいなければ、本当に危ないところでした」
「ロイ?
あなたを救ったと噂の平民剣士ですかな?」
私は主人公の名を口にした時、目を細め、僅かに不快感を滲ませたのだが、エレアには伝わらなかったようだ。
彼女は悪意には鈍感なのだろう。
エレアはロイのことになると、楽しそうな笑顔を浮かべた。
「はい、私の命の恩人であり、友人です」
「それは感謝をしなければいけませんね。
……ですが、平民を友人と称するのは少しいただけませんな」
流石に今度は私の言葉にある悪意に気づいたようで、エレアの笑みは少しぎこちないものになった。
「……どうしてですか?」
「どうしてって、彼は平民なのですよ?
皇女であるあなたの友人にはふさわしくない」
「ですが、学院では生まれなど関係ないはずです」
「ええ、規則上はそうなっています。
ですが我々は高貴なる貴族。
彼ら薄汚い平民と馴れ合うことなんて、あってはならないことです」
「そんな……」
エレアは失望しているようだった。
自身の婚約者がこういう思想の持ち主だと思っていなかったのだろう。
「とにかく、彼とは距離を置くべきです。
今は良くても、いずれあなたから利益を得ようとしますよ。
平民とはそういう姑息な生き物です。
感謝の気持ちは……そうですね、学内ポイントでも握らせておけば彼は満足するでしょう。
後で私の方で用意しておきますよ」
エレアは皇室という温室で育った花だ。
私の悪意のこもった言葉に対する耐性も、不快感を完全に隠す演技力もない。
彼女の顔から愛想笑いは消え、代わりに怒りをたたえたものに変わった。
私はエレアの顔色の変化を無視し、更に言葉を連ねた。
「それに、暗殺現場に偶然遭遇し、レベル障壁を突破してあなたをお護りしただなんて、あまりに出来すぎてるとは思いませんか?
彼の身辺調査をおすすめしますよ。
何ならそれも私が代わりにしておきましょうか?」
「……いえ、結構です」
絞り出したような彼女の声は怒りに震えていた。
私の悪意に塗れた邪推に本気で怒っているのだろう。
それでも声を荒げて私を咎めないのは、彼女の育ちの良さの現れと、私が彼女の婚約者だということを考慮してぐっとこらえたからなのだろう。
「すみません、イルク様。
そろそろ薬を塗る時間ですので、今日はこれくらいで……」
見かねたエレアの仕女が割って入ってきた。
私としてもこれ以上いたいけな少女を傷つけるのは気が引けたので、渡りに船だった。
「ええ、エレア様の傷の治療は最優先です。
会話はまた今度の機会にしましょう」
私は貴族礼をし、彼女に別れを告げた。
彼女から返事はなかった。
帰りの道中。
「よかったのですか」
後ろを歩くサリアが心配げに尋ねてきた。
私の気分が沈んでいることを感じ取ったのだろう。
「必要なことだ」
エレアに語ったことはもちろん本心ではない。
私はわざと彼女に嫌われる言動をとったのだ。
「ですが、テレオ様の命令はあくまでもあのロイという少年を排除することです。
なにもエレア殿下とそこまで対立する必要は……」
彼女の心配はもっともだ。
エレア暗殺は、あくまでもクライオス大公を救うために行っていることだ。
他にクライオス大公を救う手段が見つかった場合には、計画は中断され、私と彼女の婚約は継続される。
私は原作知識から計画中断の可能性はないことを知っているが、彼女はそうではない。
「それはお前が心配することではない」
私は振り返り、サリアを冷たく一瞥した。
「出過ぎた真似をしました」
サリアは頭を下げた。
サリアは私がこの世界で最も信頼している者の一人だ。
だがそれでも彼女に私が転生者であると、これからやろうとしていることの全貌を教えるつもりはない。
私はこれから表では主人公たちの敵として、裏では彼らの仲間として行動するつもりだ。
万が一にも裏の顔がイルク・フォルダンと結びつき、クライオス家への裏切りが明るみに出ることのないよう、表では彼らとは完全に嫌われておく必要があった。
「主人公、か」
私は空を見上げた。
どこまでも澄んだ青い空だ。
「お手並み拝見といこう」
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