7話 定番イベント
時は過ぎ、4月。
学院へ向かう馬車の中で、私はサリアが剥いてくれたリンゴのような果実を頬張っていた。
彼女はといえば、私にもたれかかって肩を揉んでくれていた。
面具を外した彼女は黒髪ショートカットの綺麗な女性だ。
歳は26、私の9個上だ。
馬車の内部は黒を基調としたシンプルで上品な内装になっており、私の座っている座席の上に敷かれているのは上級防具の素材にもなりうる雪白狐の毛皮。
天井には気温調節魔法陣、床下には消震魔法陣。
当然外壁は強化魔法でガチガチに固められている。
贅の限りを尽くした馬車だ。
そんな平民が一生かけても車輪の1つも買えないような高級車も、伯爵家にとっては標準装備でしかない。
貴族の生活というのはそういうものだ。
ふと、窓の外から悲鳴が聞こえた。
「ん?」
目を向けると、そこでは王道小説御用達の定番イベントが起きていた。
可愛い娘が悪い人にちょっかいを出されるあれだ。
今回のキャスティングは貴族の少年と平民の娘だ。
娘の父親だと思われるガタイの良い中年は貴族の護衛に拘束され、地面にねじ伏せられていた。
その隣で娘は涙を流しながら周囲に助けを求めていた。
しかし通行する人々は皆顔を背け、足早に通り過ぎるばかりだ。
通りの向こうでは若い冒険者が正義感に駆られて止めに入ろうとして、先輩冒険者に止められるのも見えた。
無理もないことだ。
貴族の背後ではレベル30台後半の護衛が威圧感を放ちながら睨みを効かせていた。
彼らでは相手にならないだろう。
これがこの世界のレベル感だ。
レベル一桁は凡人、レベル10台で駆け出し戦士、レベル20台でベテラン戦士。
多くの戦士はレベル29の壁を突破できずに生涯を終える。
レベル30台ともなるとそれなりの強者として名を知られ、各勢力の中堅戦力として扱われる。
レベル40以上の存在はごく少数だ。
その多くは貴族か、群を抜いた才能を持つ天才、そしてゲイルたちのような、貴族が護衛や兵士として育てたドーピング戦士だ。
娘の悲鳴に、私は眉をひそめた。
確かに私は今世のイルクとしての記憶を受け継ぎ、その影響も色濃く受けているが、前世の日本人としての倫理観を完全になくしたわけではない。
お決まりな展開になってしまうが、これは見過ごせない。
「イルク様、彼らはトルムンテ家の者のようです」
少し離れた所で瞑想していたゲイルが口を開いた。
このレベル57の絶対強者は、これまたハンサムな顔をしていた。
貴族たる者優雅であれ。
それは彼らが従える従者の容姿にも当てはまる言葉であり、ゲイルもサリアも、ここにはいないクロドも容姿端麗な美男美女たちだ。
やや身体を傾けてゲイルの視線の先を追うと、確かにトルムンテ家の馬車があった。
トルムンテ家はフォルダン家と同じ勢力に属している、友好関係にある貴族家だ。
トルムンテ家のこの年齢帯の少年となると……あの少年は三男のイオ・トルムンテだろう。
直接あったことはないが、なるほど噂に聞いた通りの問題児だ。
彼は明日行われる入学試験に参加しに来たのだろう。
初めて領地を出て、両親の目の届かない場所に来てタガが外れ、好き放題をしていると見た。
「彼の兄とは顔見知りだ。
挨拶でもしていこう」
最初に私達に気づいたのはイオの背後にいたレベル30台の護衛だった。
彼は私の左胸につけている家紋が彫られたバッジを見ると、すぐにハッとしてイオに耳打ちをした。
平民の娘を罵ることに夢中で興奮状態にあったイオは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに我に返って私の方を振り向いた。
「これは、お見苦しいところをお見せしました。
お初にお目にかかります。
私はイオ・トルムンテ、トルムンテ家の三男です」
イオはそう言って拙い貴族礼をした。
私はその礼を見て、ただでさえマイナスな彼の印象点から更に何点か引いた。
帝国貴族の爵位は長子相続が基本だが、それは絶対ではない。
十分に能力があれば三男でも相続のチャンスをつかめるはずだ。
なので貴族の世界では嫡子ではないからと言って相手を軽く見ることはない。
しかし貴族礼すら綺麗に出来ないということは、彼の両親が彼を後継者として教育していないということを示している。
彼の兄が2人とも命を落とさない限り、彼がトルムンテ家を継ぐことはないだろう。
「私はイルク・フォルダンだ。
はじめまして、イオ」
私は作り笑いを浮かべ、彼に向かってうなずいた。
貴族礼は下位者が上位者にするものだ。
私が彼にする必要はない。
「君も学院に行くんだろ?
ここであったのもなにかの縁だ。
よかったら私の馬車に乗っていかないか?
ちょうど長旅で退屈してて、話し相手が欲しかったんだ」
はっきり言ってイオと同席するのは苦痛だ。
しかし平民を救うために友好関係にある貴族家の子息と対立するなんていう選択肢はない。
男兄弟のいない私はフォルダン家の次期当主であることが確定している。
つまり一挙一動がフォルダン家の意向を表しているということだ。
平民などという貴族からすれば取るに足らない存在のためにイオと敵対なんかしてしまっては、確実にフォルダン家がトルムンテ家に不満を持っていると深読みされるだろう。
見ず知らずの平民の娘のために、フォルダン家の利益を損なうマネをするわけにはいかない。
イオをこの場から連れ出す。
道中は苦痛かもしれないが、これが一番円満な解決法だ。
私のこの誘いをイオは断れない。
トルムンテ家はフォルダン家の格下である男爵家。
その三男とフォルダン家の嫡子である私の地位はまさに天と地ほどある。
彼にとって私と同行できるのは名誉であり、チャンスでもある。
私に気に入られれば、家督争いに大きな助力を得られるだろう。
一方で断って私の気分を害してしまえば、それはトルムンテ男爵の耳に入り、彼の評価を下げることになる。
イオは私の予想通り快諾した。
これで一件落着か、と思ったその時、正義感のあふれる叱咤が飛んできた。
「何をしている!
その人達を離せ!」
振り返ると、そこには一人の少年剣士がいた。
トゲトゲな髪、精悍な顔立ち、意思の強そうな目、そして腰の剣とは別に背中に布で厳重に巻かれた剣。
原作小説の描写そのままだ。
主人公だ。
「貴様、どこの田舎者だ!
ここにいるのはイルク・フォルダン様だぞ!
無礼な態度は許さん!」
いきなりの主人公登場に思考がフリーズしていた私は、イオの怒鳴り声で我に返った。
しかしなぜだ、なぜ主人公は首謀者のイオではなく私を睨んでいるのだ。
現状を整理してみよう。
この場にいるのは、押さえつけられている農夫、涙を流す娘、護衛が数名に貴族が2人。
そして貴族のうちの1人は私にいいところを見せようとする三下感満載のイオときた。
確実に私が首謀者だと勘違いされていた。
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