6話 つがい蝉
馬車の中。
私は椅子に深く腰掛けていた。
私の前にはエリスが立っていた。
エリスは保護欲をくすぐる可憐な少女に戻っていた。
「お願いします。
ひどいことしないでください」
エリスの声には無限の誘惑が込められていた。
彼女は美しい。
赤みがかった瞳も、ダークグレーの肌も、ぷるんとした唇も、全てだ。
彼女はまるで天使だ。
彼女は私に一歩近づいた。
「あなたのために何でもします。
……二人きりになりましょ?」
私が思わずうなずきかけたその時。
ゲイルがエリスの頭をぶん殴った。
「言動を慎め、ダークエルフ。
次魅惑魔法を使ったらその首を捻じり取ってやる」
鈍い音とともにエリスは姿勢を崩し、テーブルの角に頭をぶつけ、倒れた。
「やめないかゲイル。
彼女に死なれては困る」
私は手を上げてゲイルをなだめた。
それにしてもさすがは意志の硬さレベルMAXな主人公すらも手玉に取った魅惑魔法。
私のような凡人には抗えない強さだ。
「彼女の魅惑魔法は目を通して作用する。
それをくり抜くだけでいい」
うずくまって痛がるエリスの顔が蒼白になった。
ただの冗談だったのだが、伝わらなかったようだ。
彼女は大事な大事な原作キャラ。
傷つけるようなことなどするはずがない。
「あなた達は何者?
侍なんて組織、聞いたこともないわ」
魅惑魔法が通用しないとわかるとエリスは偽装をやめた。
柔らかい可憐な少女の雰囲気は消え、代わりに刺々しい毒蛇のような雰囲気を発した。
私は彼女のその誠実な態度が気に入り、彼女に笑いかけたが、直後に自分が面具をしていることを思い出し、一人気恥ずかしい思いをした。
「それはそうさ、侍は最近設立したばかりでね」
「そんな組織がなぜ私の本名を?」
「それは教えられない」
原作知識などと言っても信じないだろうし。
「言わなくてもわかるわ。
大方ティオ当たりが漏らしたんでしょうね」
エリスは全く見当外れな推測で勝手に納得してくれた。
意外と扱いやすい娘なのかもしれない。
娘と言っても彼女は年齢3桁のおばあちゃんなのだが。
ロリババアというやつだ。
因みにティオというのは彼女と同じダークエルフの一員だ。
原作通り二人の仲はよろしくないらしいようだ。
「それで、私をどうするつもり?
私はエグマスコフの者よ。
殺せば兄があなた達を許さない。
バレないなんて思わないほうがいい。
あなた達がイルレオを助けたことは隠せないわ」
「それは確かにまずそうだな。
……私達が仮面を外すまではな」
私の返答に彼女は言葉に詰まった。
「安心しろ。
お前を殺すつもりはない」
「じゃあ何を求めてるの?」
「私に忠誠を誓え。
兄を裏切り、私に仕えるのだ」
「……私がわかったと言って、あなたは信じるの?」
「もちろんだとも」
「じゃあ、わかった」
私はうなずいて、両手を広げて歓迎の意を示した。
「ようこそ、侍へ」
「ええ、じゃあ仲間にもなったことだし、そろそろ私を解放したらどうなの?」
「合理的な要求だ。
断る理由はないな。
だがその前に加入祝いを渡したい」
私は左手人差し指にある指輪に魔力を流した。
これは空間魔法がかけられた魔法具、スペースリングだ。
中には小さなクローゼットほどの貯蔵空間があり、生き物は流石に無理だが、大抵の物が出し入れ出来る優れものだ。
空間魔法はレベル40以上の、それも適正を持つ者しか触れることの出来ない神秘の力。
その中でも魔法具職人を兼ね、スペースリングを製作できるほどのスキルの持ち主となると、各国でも数人いるかいないかだ。
製作にも非常に時間がかかるため、スペースリングは非常に高価なものであり、この程度の貯蔵空間しか持たない小型のスペースリングでも、小さな城が建つほど値段が張る。
私はスペースリングから手のひらサイズの蝉を二匹取り出した。
それは蝉と言っても生き物ではない。
蝉の形をした、クリスタルのような、青い半透明の淡い光を放つ物質だ。
「これをプレゼントしよう」
これを見た瞬間、エリスは顔色を変え、魔力を全開にして逃走を試みた。
彼女の身体から発せられた魔力波は馬車を揺らし、インテリアをいくつも倒した。
ずっと黙ったまま私の傍に控えていたサリアは一歩前に進み、衝撃波から私をかばった。
もちろんこの程度の衝撃波でどうにかなる私ではないが、彼女は少々過保護なのだ。
エリスの抵抗はすぐに収まった。
サリアが一歩下がり、私の背後に戻ると、視線には顔を腫らし、ゲイルに髪を掴まれた彼女がいた。
今度は顔を殴られたのだろう。
さすがはゲイルだ、こんな美少女にも容赦がない。
私だったら腹にするね。
「やめて……おねがい……」
エリスは恐怖に震えていた。
「これを知っているのか」
「おねがい……何でも言う通りにするから……」
「やめてくれよ、これじゃあまるで私が悪人のようじゃないか」
そうは言ったものの、客観的に見れば私は紛れもない悪人だ。
しかしエリスも決して善人ではない。
ダークエルフの勢力を伸ばすために彼女が今まで行った悪事は数知れない。
今回の密猟もそうだ。
可愛い見た目に騙されてはならない。
「一応念の為に説明しておこう」
私は片方の蝉を嫌がるエリスの前に掲げた。
「これはつがい蝉のメス」
そして蝉をエリスの心臓部に当てた。
……柔らかい。
「これをこうして……」
続けてスペースリングから儀式用ナイフを取り出した。
エリスは激しく身体をよじり、抵抗したが、ゲイルの拘束を振り解けるはずもない。
「こうするとっ!」
私は儀式用ナイフを振りかざし、蝉ごとエリスの心臓を貫いた。
「うああ、があぁ!!」
声にならない絶叫。
エリスは激しい苦痛に襲われているようだ。
「お前の魂はつがい蝉のメスと同化する」
エリスの身体に傷はなかった。
それどころか、蝉もナイフも消えていた。
変化は彼女の肉体に起きたのではない。
魂だ。
ゲイルが手を離すと、エリスは激しい苦痛に床でのたうち回った。
そんな彼女に私は説明を続けた。
「つがい蝉は2つで1つ。
オスが破壊されればお前は死ぬし、お前が裏切ろうとすれば警鐘を鳴らす」
私はつがい蝉のオスを手にとった。
つがい蝉は心なしか、使用前よりも強い光を放っていた。
きれいな見た目をしているが、つがい蝉は紛れもない邪法具だ。
邪法具とは魂を弄ぶ死霊魔法が絡む魔法具全般を指す言葉。
神の特権とも言える魂の領域に立ち入る死霊魔法は大陸全土で禁忌とされており、見つけ次第排除するよう神々が合同で封殺令を出していた。
その甲斐もあって、死霊使いは絶滅し、死霊魔法の知識も途絶えた。
……あくまでも表面上はそうなっている。
知欲を満たすためなら手段をいとわない一部の学者たちが影で死霊魔法の研究を行うことを止めることは、神々にだって不可能だ。
しかしそうはいうものの、つがい蝉のような神域級の邪法具の製作方法はほぼ失われたといっていい。
今世界に残っている神域級邪法具のほとんどは聖教会や神々の手の届かない隠れた勢力の手中に収められており、手に入れるのは不可能だ。
このつがい蝉は私が原作知識を利用し、死霊使いの子孫から手に入れたものだ。
自身の先祖が死霊使いだということも、邪法具についての知識もない彼らは、なんとこれをインテリアだと勘違いしてリビングに飾っていた。
それを私がはした金で買ったというわけだ。
エリスは原作の主要キャラではないが、彼女の身分は大いに役に立つだろう。
つがい蝉という貴重な邪法具を使用するに値するほどに。
彼女を手中に収めた時点で、今回の私の作戦は円満に成功したと言っていい。
床で気絶しているエリスを見ながら、私は今後の予定に思いを馳せた。
目前まで迫ってきた原作ストーリーも大事だが、そればかりにかまってもいられない。
フォルダン家の嫡子である私には貴族としての責務もある。
それに戦士としての日々の鍛錬も欠かせない。
これからは忙しくなりそうだ。
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