第10話 渦巻く黒の虚像であり、実体。
コンクリートの踊り場で、僅かにある壁に身を隠しながらその実体に視線を固定する。
最低限の落ち着きは取り戻したものの、未だこの世のものでない何かに取り憑かれたような恐怖は引かず、脳裏に冷たく張り付いている。
それはその黒い「何か」を、恐怖と興味の狭間で見続けているのも原因か。
とにかく、この駅から街に繰り出すことはしばらくそれがある限りは不可能だ。
「にしても…あれ本当に何なんだ…」
脳内に浮かぶ疑問が、直ぐに立ち消えそうな音量で口をついて出る。
黒く、僅かに移動しながら動く黒い靄。靄…であるかも怪しい。
少なくとも日本にいて、この姿に類似した存在はゲーム内でも見ることが無いだろう。
到底人間が想像できる化け物のそれを遥かに超えた存在。
靄というよりかは小さな嵐のように表面を駆け回る黒いうねりは、それの距離の把握を阻害する。距離が分からなければ、サイズを掴むのも困難と言える。
近くにあると思われる建物から人より僅かに大きい程度だと想定が付くが、それも確実とは言えない。
現時点で、断言できる、してよい存在ではない。
そう判断して、静かに階段を戻る。
そうしなければ、精神がやられる。本当にその次元で恐ろしさを感じるのだ。
今までとは印象の違う、黒く湿ったコンクリートの染みをなるべく見ぬように駅ホームまで戻る。
脚から伝わる感触も、目から入る光も何も変わらぬ筈なのに。
何もかもがあれに関係していそうと、頭が考える。
「………」
音が止まる。
雨の音では無く、何物でもない私の足音だ。
視点は斜め上のホームへ出る階段の先を見続けているのに、なにかが後ろ髪を引く。
本当にこの街は不気味だ。
忘れていたが、この街は本来このように闊歩していい場所では無い。
始めに死にかけ、それ以降は目立った脅威がなかったから慣れ切っていた。
それは、諦めに等しきものではあったかもしれない。
…慣れだけで、此処まで移動してくるだろうか。
答えは分かり切っている。
自身の好奇心を少し恐ろしく感じるよ。
足先の方向を変えて、再び街の方向へ下る。
鉄道で移動するというのも十分あり得る手段ではあったが、それをしたところで、現状が改善するかは不明であった。
一時的に無視できても、これからこの街を探索する時に間違いなく障害になる。
であれば、特性だけでも探っておく方が良いからね。
…最も恐ろしいものは、人間の好奇心か。
そんな事を考えながら、地面とそれは段々と近くなる。
改札の構造は、前にいた駅と大差なかった。
あの高さのホームから階段オンリーという異質さから、この世界にはエレベーターとか無いんだ…という疑問も湧くが、そもそもこの世界で先進的な装備はあまり見かけていない。
鉄道が最も進んだ利器であり、それ以外で機能している機械はラジオ放送機くらいしか見かけていないのだ。
あとは、背中に入っている訳の分からない光るやつ。
…これはもう私の知る限りの科学的法則に完全に抗っているような代物である気もするのだけど…
「うわぁ…まだいるじゃん…」
変わらないのは改札の先も同じだ。若干くすんだ硝子の開き戸が外と内側を仕切っている。
…唯一違うのは、その奥に見える黒い靄の存在か。
上から見た時にですら距離感が掴みにくいのが、ここに来れば尚更の話だ。
まるで視界に張り付いたように蠢いているのが、何とも気味が悪い。
少なくともこの世のものとは思えない。形容するならナマコの化け物。
……一気にグレードが落ちたが、外側だけ言うならそうとしか表現できないのだ。
改札越しに硝子の奥を眺めながら、顔を引きつらせる。
空間として仕切られているのにも関わらず、冷たい圧力と視界が狭まるような恐怖を感じていた。意識せず3歩ほど後退した奥まった位置からそれを観察し続ける。
少なくとも、こちら側から何か行動をしなければあちらも寄ってくることは無いだろう…と思いたい。
しかし街の探索の為には…
そもそも此処に降りてきたのが間違いだったか。戻って鉄道で逃げるべきだったの
か。
何処から湧いてきているのか分からない好奇心と、恐怖心と理性による危険信号の対立をしながら、徐に背負ってきた鞄を漁りながら改札奥に引きこもっていた。
『お…?アイツを見てそこに留まるとは、中々肝座ってんな』
「んえ?!」
そんな時だった。響くような男性の声が聞こえたのは。
鞄から取り出したものを思わず投げ出し、周囲を見渡すが、人影はない。
だとすれば此処に来た時のように携帯電話のラジオ機能が起動したのか、と疑うものだが、開いた携帯にラジオ機能の画面は表示されていなかった。
そして、駅の中にスピーカーらしきものも見当たらない…
完全にこちらの認知外からの問いかけであった。
駅構内をくまなく見回す中、その声は続けて話しかけてくる。
『あ~…探しても何も無いぞ。これは君に直接干渉してるから』
「…どういうこと?」
『ん~まぁ、”管理者同士の同調”って言えばいいか?つまり、そういう事だ』
緊張感のない声でヘラヘラと語る謎の声は、どうにも頼りになりそうな感じはしなかった。
…だが、そもそもこの世界に来て自分以外の人間を見たことがないし、聞いたことが無い。頼れるものは頼るべきか、疑うべきか…その最中で思考が揺れていた。
まず『管理者』って何…?
同調ということは、私と男は同じ『管理者』とやらであるという事…?
まったくと言って心当たりのない可能性に頭をさらに悩ませる。
「管理者…ってどういう事?」
『この街に元々居た5系統のトップみたいなもんだ。最も、廃されて久しい”システム”だがな』
「5系統…?」
こうも掘れば掘るほど意味の分からない文言や設定が出てくるのは小説の中だけにしてくれ、と頭の中で嘆く。
今迄探索してきた街が如何に意味不明で、理解できない物なのかという事実を改めて突き付けられた気がする…
管理者?5系統?システム?
頭の中で繋がりもしない単語が並び、飛んでいる。
目の前の黒い靄など最早端に追いやられた頭で、いきなり認知した存在と知識をなんとか理解しようとするが、そう簡単な事ではない。
腕を組み改札の奥の地面に座り、視点をぐりぐりと巡らせながら頭の中を整理する。
…それを見かねたのか、或いはそもそも説明をここでするつもりでは無かったのか。謎の声は軽く笑った後に、こう告げた。
『まぁ細かいことはこの際抜きだ。悪いことは言わん。今すぐ電車へ戻れ。君の”それ”を使えば分からないが、ノコリモノは態々面と向かって対峙していいような相手じゃあ無いぞ』
「…ノコリ……モノ…?」
告げる声に冗談を言っているような先程の空気は無く、冷たく、重い。
僅かに暗くなった気がする空が、建物の間からガラス越しに私を覗いていた。
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