第8話 吹き返す動力。
運転室に繋がるドアは、小さな隙間を開けてひっそりとそこにあった。
中には灰色の運転台と思われる台に釣り竿の巻き取りのようなハンドル。点滅する電装類や、壁際にぶらんと釣り下がった無線機のような黒い機械などが見える。
まぁ…日本の鉄道と特に差異は無いのだろうか。
ペタペタと金属の冷ややかな感触を感じながら、机の周囲を探索する。
椅子は無い。基本的に鉄道の操縦は立って行うイメージがあるが、その影響だろうか。
動ける範囲は詰め込んで人間が4人立てるかどうかという狭さのため、元々大人数で乗ることは想定されていないのだろう。
三つに区切られた正面の硝子窓から線路の先を見ながら、そう分析を進めていく。
両側の壁には小さな窓と押し下げるタイプのハンドルがついている。
恐らく直接運転室から駅のホーム上にアクセスするためのドアだろう。こちらは鍵がかかっているようで、ハンドルが動かないように金属製のストッパがかかっていた。
「にしても、点滅しているってことは…」
点滅を繰り返す小さな黄色の電灯を近くで見て、なにか操作できる場所はないかと探索する。
点滅している。つまるところ、動力は来ているのだろう。
故障で動かないなどのリスクは勿論あるわけだが、何かしら…ヒントはないのか。
若干反射のある灰色の台の周辺をくまなく調べる。
丸い速度計測器、止まっている時計、無線の周波数を決めるアナログメータと調節つまみ、はめ込まれた淡い青色の硝子板。
特に怪しいものは無い…これは中々に難しい謎解きだ。
「…ちょっと待って。硝子?」
一時は無視した箇所に再び視点を向ける。
灰色の台の右端、奥まった位置にある20㎝四方の硝子板。
淡い青色の着色がされているようだ。
特に覗き込んでも下に何かメーターがあるというわけでは無く、不透明。
爪を立ててつついて硝子と認識できるレベルだ。
何が「中々に難しい謎解き」だったのか…明らかに怪しい。
指で押し込んでも、スライドさせようとしても、特に何も変化しない。
手のひら大サイズの硝子のボタンなどまず聞いたこともないし、スライド式の収納にしては場所が不自然なので、何となくわかっていたが。
だとすれば…これは一体何なんだろう……
腕を組んで天井を仰ぐ。
こんなに大きい装飾をこの中に付ける必要もないもんなぁ…と、右の手のひらをペタリ、と硝子に付ける。
硝子特有のひんやりとした感触がじわっと手に広がった。
その時だった。
硝子板が淡く光ったと思えば、少々の振動を伴い計器類が一斉に針を動かし始めた。
それに驚く間もなく直上で電灯が光りだし、空気を圧縮するコンプレッサが忙しなく動く音が聞こえ始める。
驚き見開いた目の奥に移るのは、今までただの箱であったその塊が動力としてよみがえろうとする瞬間であった。
「…っこれって!!」
一連の計器の動作に驚いた後、後ろを振り向くと、そこには明るく照らされた列車の車内が存在していた。
「…もしかして、あの板がスイッチだったってこと?」
再び硝子に目を向ける。
先程の光は消え、また静かにそこに佇む青色の硝子板。
いやそれにしては、指では反応が無かった。
一体何なんだ…この硝子…
と、明るく照らされた運転室で静かに呟き立ち尽くす。
とはいえ、動力が蘇った列車内は、灰色に包まれた文字通り「しけた」世界の中でも最も快適な場所となった。
暖房冷房も装備されているようで、雨風は当然防ぐことが可能。
タカタカという軽快な雨音が響く中、列車の貫通扉をくぐりながら後ろの車両まで歩みを進めた。
最後尾の車両からは、緩やかなカーブを右に描きながらコンクリートの壁に消えていく、黒錆に覆われた鉄路が見える。
線路の寸前までコンクリートの壁が迫っている様相は、現実的において存在する問題が「そもそも存在しない」から成り立つものだろうか。
それとも…。
「これで…よしっと」
恐らく荷物置き用の金棚に、中途半端に水気を含む衣類を掛ける。
かなりしっかり絞ったつもりだったが、ポツポツという水滴の落ちる音が車内に響いていた。
インドア派の女子高生の力程度では不十分らしい。
なぜこんなことをしているのかと言うと、今までずっと、何の不快感も感じることなく雨の中を歩いてきたからだ。
結果的に、全身漏れなくびしゃびしゃだった。肌に全ての衣類がピタッと張り付いて、何とも言えない重さを持っていた。
此処に季節の概念があるのかは知らないけど、日本では夏の時期。
そこまで厚着では無かったのが救いだと思える。
下着は流石に倫理観が邪魔をするので、いくら雨に濡れているとはいえ脱ぐのがはばかられた。
…まだ誰も来ないと決まったわけでは無いのだけどね。
ただ、いままでそこそこの距離、時間を歩いてきた中で人に会うことは無かった。
鉄道駅も、長らく使用者がいないと思われる。
「来ないなら…いいよね?」
誰が許可を出すわけでもないけど、誰か来たら間違いなくお縄だ。
周囲を過度なほどに確認しながら、ロングシートに寝っ転がり一息をつく。
「私…大事なモノ失っていってる気がするなぁ…」
この世界においては正しい事なのかもしれないが。
文明人の威厳と言うか何というか。何かを今失った気がする。
…これを適応と言うか、慣れというか。
人間と言うものは案外逞しいものだな、なんて他人事のように考える。
平たくつぶれて見える窓は、細かく歪んでいた。
くすぶる蛍光灯に照らされた地下空間。
液晶パネルに囲まれたその前で、興味深く、されどどこか自らを疑いながら画面に見入る存在がいた。
「手形持ち…か……ふっ…ふはははは!!」
静かに告げた後、大きく笑う。
「そうかぁ…そうかぁ……」
手元の小型電灯を右手でつかみ、リクライニング機能のある椅子から静かに立ち上がる。
何年ぶりだろうか。ここまで愉快な気分になったのは。
このクソッタレな灰色の世界で、まさか二度と笑うことなどないと思っていたものだが。
なにも全てを信じたわけでは無いが。
と、その存在は考える。用心深いのは昔から変わらないものであった。
この街が嫌いで、嫌いで。
嫌いだから、此処に残った。残らざるを得なかった。
存在は、そんな此処に残ったことを後悔もしていなかった。
ただ、崩壊していく世界を見続けた。それ以上などなかった。
しかしもしかすれば、今はそれ以上が起きているのかもしれない。
灰色のコートのポケットに手を突っ込みながら、地下通路を歩きながら。
ひんやりとしたコンクリートの壁に僅かに反響する、革靴の音に混ざって口を開く。
「…ようこそ。いや…違うか…」
呟き掛けて訂正する。
「……
にやりと笑いながら放ったその言葉は、冷えた空気に共鳴した。
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