第7話 鉄路は多くを語らず。


目の前にはくすんだ電車。

日本でそこら中に走っている電車…とは少し違うようにも見える。

窓は小さめ、塗装は無し。そのシンプル過ぎるデザインは、ある意味不気味さを際立たせている。

駅のホームにもホームドアなど設置されておらず、一昔前の都市の駅のようだ。

端の方には天に伸びる白い棒が立っていた。

一応今立っている駅のホーム奥は何とも言えないくすんだ色のトタン屋根に覆われており、床のコンクリートもひたひたとした湿気はあるものの濡れてはいない。


「周囲がビルにある程度囲まれてる…けど、ビル風も無いのかな」


ここまで高い場所にありながら屋根の下はきっかり濡れていないということは、風がほぼ吹かないのだろうか。




足元の黄色い視覚障がい者用のボコボコした板の上に立ち、列車の全容を眺める。

スリードアの五両編成。

波板の外板にかまぼこのような天井構造。昭和のころの車両のような古さを感じるが、水垢も少なく新車のような見た目をしている。

線路の上には当然屋根などないのだけど…


ひとつ違和感があるとすれば、パンタグラフが無い。

これが電車である場合、パンタグラフが車体天板に出ているものが多い。

車体下から電力供給を受けるものもあるらしいが、私は鉄道が特別好きなわけでは無いので詳しいことは分からない。


とにかく、少し不自然なくらいに線路の上には列車以外の何もないのだ。

ここから移動する手段としては、これに乗るか、線路を歩くか。

…そもそも動くのだろうかという一抹の不安が頭をよぎる。

逆にこれが動くとするならば、何かしらの動力源が未だに供給されているということになる。

それを確かめるには、まだこの場所の情報が無さ過ぎる。

線路の錆びたような鉄の香りを流しながら、思考を巡らせる。


「突然ここにワープしてきたけど、これ下に戻れるのかな…」


後ろを振り向き、トタン屋根に覆われた駅の奥へ進む。

階段はすぐに見つかった。

相変わらず蛍光灯などは付いておらず薄暗く湿った階段だが、今までの建物と違うとすれば、階段の段の前縁部分には白いタイルが埋め込まれている。

また、幅も若干広い。

手すりは…ついていないが。


暫く薄暗い階段を降りると、外壁や天井が無くなり吹きっさらしの階段になった。

そういえば、この駅のホームは高い位置にあるのだ。

最初に入ってきた瞬間上に飛ばされたので忘れていたけど。


ただひたすら降りて、入口のある高さまでつくと最初にガラス越しに見えた場所に辿り着いた。

濃緑色のボコボコとした掲示板には古びた画鋲が数本刺さりっぱなしになっている。

改札も自動ではない。鈍い銀色の枠が各場所に配置されていて、おそらくここに駅員が入って切符を切っていたのだろう。


「…切符はさみだ」


カラン、と蹴飛ばした黒い金属の塊を拾い上げそう呟く。

ここで使われていたのだろうか。

手で持ち手を握り、パチパチと金属の小突きあう軽い音を鳴らす。

少しひんやりとしたはさみの感触と音が、この空間のさみしさをより強く感じさせるようだった。


もうここに利用者はいないのだ。



駅員室のドアは空きっぱなしになっていた。

アルミ製であろう軽いドアノブを引っ張り、中を覗く。

雨の影響か、線路の下にあるからか。

相変わらず薄暗く、じめっとした空間だが、残されたものは多いようだ。


探していたものも、見つかった。


「…これかな。ラジオの放送装置」


薄暗い部屋の奥で、唯一黄色い電灯をつける緑色のペンキで塗られた箱。

側面には『自動ラジオ放送装置』の文字が刻まれた白銀色のプレートがねじ止めされていた。

先程上のホームでふと見かけた細く高い棒、もしかしてと思っていたがやっぱりこれのアンテナだったようだ。


『…アメノハラコウキョウホウソウ……』


確認の為に、手元の携帯を開きラジオ機能をオンにする。

聞こえてきた音は間違いなく日本語であり、この世界に飛ばされた時に聞こえたラジオ音声と同一で間違いないものだった。


漢字に充てるなら、『雨の原公共放送』と言ったところか。

改めて思うが、雨が永遠と降り続いているこの世界によく合った名前だ。


「…ここまで探索して、ラジオの元は分かったけど…あとは上か」


駅に着いた。

ここまでは途中で拾ったノートの情報通りだ。

しかし『駅はある』以上の情報は今の所入手できていない。あの電車…というかは列車と言う呼び方の方が良いだろうか、あれがどこに行くかは全くと言って不明なのだ。


湿った階段を登りなおしながら、手元のノートを見返しそれを確認する。

そもそも、このノートの主…木村さんは駅を直接確認したわけでは無い。

道中のビルで拾った地図から記録したと書いてあっただけであり、その後どこに向かって、何をするつもりかは一切載っていないことからも駅についての記録はこれが限界なのだろう。


「ってことは、私がここで乗るしかないってことか」


波板の車体に触れて、そう呟く。

金属に吸い付いて落ちる雨水が、手のひらを包む。冷たい車体は何も言わないが、現時点で唯一情報を得ることができるのは恐らくこの列車のみだ。

そもそもホームにも、下の改札にも「時刻表」が無い。

なのにそのまま列車だけここにあるというのは中々に不思議なのだ。


「扉は…空いてない」


乗るにしても扉空いてないんだけどね。

そもそもこれは動かないパターンではないか、という一番最初に疑ったであろう可能性が再び頭の中をよぎる。

ラジオの機械が生きていたとはいえ、鉄道の消費エネルギーはその域を遥かに凌いでいるはずだ。

それが電力か、何か別の力かは不明だが。とにかく動く保証はない。


「…もうそんな事っ…言ってられるかい!!」


二枚扉の間に手をかけ、思いっきり力をかける。

ここまで来てラジオしか収穫が無いのはこの先の行動の選択において非常に困る…

というかもういっそのことこの世界の全てを調べて見たくなってきた。

と、色々考察しすぎて疲れた脳が弾き出した最終手段を迷いなく実行する。


当然開く訳が無い。

そりゃ、私力ないですし。無理だよね~……


「…開いちゃったよ」


鈍い金属同士の擦りあう音を立てながら、扉は開いた。

…開いちゃった。

特に強い抵抗も無しにあっさりと隙間を見せた金属製の扉を見ながら、暫く困惑する。

余りに予想と正反対の結果で、拍子抜けしてしまった。

…暫く、雨が降り続くホームで扉を見ながらフリーズする私という、何ともシュールな光景がそこには広がっていただろう。




「おじゃましまーす…」


片手で扉に触れ、少し押し開けながら車内に踏み込む。

周囲の雨の音がすっと外の音に変わり、くぐもったような、掠れたようなものに変化する。

足元の若干ざらついた合成樹脂製の床の軽い音を少し懐かしく感じた。

コンクリートばかりだった今までとは違う感触だ。


座席は所謂ロングシート…というのかな。

車体の内壁に沿って長い座席が据えられており、三人ほどの区切りで鈍い銀色のパイプが座席の手前を通っている。

電灯は点灯していない。

薄暗く、外と違い少し乾燥した車両内の空気はまた独特の雰囲気を放っている。

ポタポタと自分の服から滴る雨水の音を聞きながら、車内を眺めた。


「取り敢えず先頭車両…見に行った方が良いよね」


動くか動かないかはそこで判断できるはず。

運転手席扉が開いているかは不明だが、もし空いていれば動かすことができるかもしれない。

希望は薄いが…試してみる価値はあるだろう。


そもそもレールが無事かも分からない状態ではあるが、この鉄道の周辺建造物の劣化が他の建造物よりも遥かにマシであることから可能性は十分にある。

車体の連結部を歩いて通り過ぎながら、先頭車両を目指す。



静かに点滅する計器類は、何も言わずにそこに佇んでいた。


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