第2話 ようこそ、雨ノ原。


……何も、見えない。


ここは、どこ…?


あの後…どうなった…?


全身がマラソン後のように疲れているようで、動かない。

ただ感覚はある。何か冷たい、固いものの上に寝そべっているようだ。

そして…耳には優しい雨と風の音が響いている。

ということは…生きてる?


「……ここ…は?」


ゆっくりと目を開けて、首を回して軽く周辺を見渡す。

近くにはひびが入ったコンクリートの破片や所々塗装が剥げた鉄骨が転がっていて、その下の地面は…アスファルト?のようだ。

ってことは流されてきた濁流の爪痕かな。

…流石にコンクリートや鉄骨を押し流す程では無かった気もするのだけど……


視界を真っすぐにすると、空が見えた。

色は相変わらずの灰色だが、さっきよりは幾分か明るい色合いだ。

額にあたる雨も、あの時のような黒い雨では無い。

優しい、撫でるような雨が降っている。

少し薄暗くはあったが、夜ではなくまだ昼のような明るさだ。


…しかし、此処は何処なんだろう。

痛む場所がないかと気を使いながら上半身を起こし、周辺を見渡す。


「……都市?」


視界に広がるのはボロボロになったコンクリートビルや電柱、傾いた標識にさび付いた街灯だった。

ただどれも現在は使われている様子には見えない。

整備も何もされずに放置されているようだった。

都市、というか滅びた都市みたいな……。



上を見ても下を見ても一面鉛色の景色に、私はしばらく呆然としていた。

余りにも非現実的なその風景は、まるで何かの小説の世界に飲み込まれたような、そんな感覚を抱く。

雨と朽ちた都市。

それ以外には何もない。

ただ、私が一人いるだけ。


本来は絶望すべきことなんだろうけど、何故かこの風景は嫌いじゃないかな。


優しい雨にあたりながら、そんな事を思う。

何か、悩みが洗い流されるような…そんな気がしたのだ。

優しい雨音と穏やかな風、その対比のような朽ち果てた都市の風景が織りなす空間は、濁流に流されてきた事すら忘れてしまうほどの不思議な魅力を含んでいた。


「取り敢えず、誰かに連絡がつくか試してみよう…ってあれ?」


風景を眺めて少し状況整理をできたので、ずっとこうしてる訳にもいかない…と携帯を取り出す。

しかし…


「……圏外」


開いた画面の右端には、その二文字が刻まれていた。

こうなってしまうと携帯と言うのは役に立たない。

まだ電池は十分あるし、軽いカメラ代わりになるだけマシなのかもしれないが、連絡のつかない辺境にいるというのはかなり厳しい状況かもしれない。


にしても、ここまで整備された…いや、整備されていた都市が何故ここまで荒れ果てた状態になったんだろう。

と言う疑問が改めて周囲を見て浮かんでくる。

本当に日本なのだろうか……


……いや、多分日本じゃないんだろうね。

圏外になったのも多分そのせいだ。

自分を納得させるように、瓦礫の上で軽くうなづきながらそう結論付ける。


「はぁ…雨に飲み込まれたと思ったら次は朽ちた都市って…」


一体どうなってるんだ…という困惑の意味が込められた、ため息交じりの呟きをした時だった。


…なにか、雨以外の音が聞こえる。

キシッ…という音が耳に入ってくる。

……この音は…!!


「…っ!?」


後ろに急いで振り返ると、そこにはボロボロとコンクリートの欠片を落としながら崩れてこようとする建物があった。

しかも、


一瞬にして頭がフリーズする。

濁流から生き残ったと思えば、早速次の命の危機が迫ってきているのだ。

本当に勘弁してほしい…

そんな事を思ってる間にも、灰色の塊はガラガラと先ほどよりも大きい音を鳴らしながらこちらに向かってくる。


…私は、その場から逃げ出した。

脚に残った体力を振り絞って力をいれ、死にたくないの一心で走る。

後ろを見ている余裕なんてない。

携帯を右手に握りながら、『もうなんなのこれぇ…!』と、半泣きの状態で全力疾走でその場から離れたのだ。






「はぁ…はぁ…はぁ……」


何も考えずその場から走って逃げたその数秒後、ドオォォン!!という巨大な音と衝撃波を残し、建物は瓦礫の山となった。

私が最初にいたところは瓦礫に埋もれ、もうどこにあったのかも分からない。

…あの時逃げるのが遅かったら死んでいた。

先ほどいた車線の反対側にある歩道、そこに立っている錆びついた街灯に手をついて、肩で息をしながら私は生を噛みしめていた。


「…いや怖かった…本当に怖かった……死ぬかと思った…」


先ほどの倒壊で少し埃っぽくなった空間の中、ここまで身近に死の恐怖を感じたのは初めてだ…

と、少し雨で光沢がある黒いアスファルトを見るように俯きながら、そう頭の中で呟く。

雨でぐしょぐしょな上に変な汗をかいていた。


そして、今回の出来事で一つ確信したことがある。


「ここは…絶対に日本じゃない…!」


そう強く、だが小さい声で言葉にする。

…何がどうなってかは分からないが、間違いなく私は日本ではないどこかに迷い込んでしまっているみたいだ。

携帯の圏外とかそういう理由ではなく、勝手に倒壊するような建物が放置されているのは基本日本ではありえない。

かといって世界のどこかなのか…と言うとそれも無いだろうけど…

周囲を海に囲まれている日本と言う国の特性上、雨の濁流で流されてもせいぜい太平洋か日本海の海上だろうし、いきなりどこかの廃都市の中心に流れ着くようなことはないはず…


相変わらず降り続ける雨に打たれながら、街灯にもたれ掛かり、此処は何処なのかを頭の中で推理していく。

電波は飛んでない、日本では無い、此処に来る前の状況的に海外と言うのもあり得ない……


そしてなにより、あの雨の濁流が問題だ。

あんなのはどう考えてもおかしい。

全ての光を吸い込むような…影のようなその濁流こそがここに私を連れ去った原因で間違いないのだが、あんなものは現実世界で起きるというのはどうにも腑に落ちなかったのだ。

しばし首をひねりつつ、雨に打たれていることを最早気にしないくらいには深く分析していく。


「………違う世界?」


…それしかなくない?

ふと呟いた答えは、もう何でもありな今の状況を説明する上である意味諦めのような選択肢だった。



でも異世界と言ったらもっと明るくて自然豊かで魔法とかがある夢のあるのが普通じゃない?

などとラノベから得た知識でその答えを否定しようと奮戦する。

…けど…できない。

と言うかそれ以外が考えられないのだ。

ずっと降り続く雨、朽ちた都市、そしてここに来るまでの記憶。

それらを全て満たす答えは、異世界であるという事実だった。

と言うことは帰る手段も……


「………」


…優しい雨の中、そこには街灯に手を付けて真っ青な顔でうなだれる一人の少女がいた。

今の私は、そんな感じでストーリーが始まりそうな状態だろう。

耳には先ほどと変わらない雨音と風の音が響いていて、風景も変わっていないのに、なぜか今は世界が少し暗く見える……



そんな風に軽く絶望しながら錆びついた電灯にもたれ掛かっていた時だった。


「…ん?」


ふと、耳にノイズのような何とも言えない音が聞こえてきた。

さっきのような音ではなく、ノイズ。

テレビの砂嵐の音をずっと小さく弱くしたような音だ。

聞こえてくる方向は…下…?


「……あっ…これか…」


その音の元はすぐに分かった。

自分のポケットに雑に入れ込んだ携帯電話だ。

見てみると、ラジオ機能がオンになっていた。どうやらノイズの原因はこれのようだ。

特に決まった周波数を流しているのではなく、どうやら受信できる場所があるか探しているようで、少し鳴っては消え、鳴っては消えを音は繰り返していた。

雑に入れた時に弾みで起動したのかな…


『…ザザ…ア…ハラ…シコウキ…』


「…?」


その時、急に画面の表示が止まり、周波数が一定の場所から動かなくなった。

さっきまでは何故か止まらなかった位置でぴったりと針が止まり、スピーカーからは未だ多くのノイズが雨のような音を立てている。

…だけでは無かった。

所々に合成音声のような言葉の断片が混じっている?


『…ザ…メノ……ト…ウキョ…』


なんとかして言葉を拾おうと頭の中で文字の断片をかき集めていく。

どうやら放送内容は繰り返しのようで、同じようなノイズの波が繰り返され、ぶつ切りにされたような音がランダムに聞こえている。


静かな雨と風の音が吹く中、ノイズに耳を傾け、言葉を組み立てていく。





…暫く経った時だった。


携帯の位置を変え、場所を変え、言葉を拾い集めた結果、私の迷い込んだ都市の名前がラジオには流れている、と言うことが分かった。



雨と、コンクリートと、灰色の空。



それらが構成する寂れ、朽ちた世界。



私が迷い込んだこの場所の名前は…








{アメノハラ}




そう呼ばれているらしい。








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