2.糸と心
これは、私がまだ6,7歳の頃の、夏の暑い日、ちょうど今日みたいに空が澄んでいた日の話だったと思う。
あの日私は、家族と従妹の家族たちとで、家からかなり離れている遠くの川に遊びに来ていた。遠いと言っても車で1時間くらいだったかな。この辺の川はちょっと流れが速くて危ないし、せっかく夏休みだから遠くの方にでも行こうってことになった。
「おとーさん、いつつくの?まだ?」
「あと少しかなー。」
最初は市街地な感じだった。でも、山の方に近づいていくと神社とかお寺が見えたりけっこう信心深い土地だったのかもしれない。神社に少しだけ寄ってお参りもした。
山の深い緑の中に、真っ赤な、夕焼けのように鮮やかな鳥居。こっちの神社とは比べものにならないくらい手入れが行き届いてて、有名な神社みたいだったから絃ちゃんは知ってるかもしれない。
「おかーさん。ここはなんのじんじゃなの?」
「何の神社だろうね。どこかに書いてたりしないかな?」
目的地だった川はすごく、きれいな場所だった。水が澄んでいるのはこっちと変わらない。でも浅くて流れがゆっくりだったから小さい魚の鱗とか、ビーチグラスって言うのか、波で削られた丸いガラスがきらきら光ってて宝石みたいだった。初めて遊びに来た川だったから、それで嬉しくなっていた分もあるのかもしれない。
お父さんとかはバーベキューとかテントを張るのに忙しかったから従妹のお姉さんたちと一緒に川で遊んでた。
「おねーちゃん、あっちであそぼう。」
「いいよー。そこ、石があるから気を付けてね。」
私は最初はお姉さんと川で水を掛け合ったり、水切りをして遊んでた。でも途中でガラスとか綺麗な石を探そうってなって、家族が準備しているところから少し離れた場所で石をひっくり返したり、川の中の砂を弄っていたんだ。
「なかなかきれいなのみつからないね。」
「うん。もうちょっとあっち行ったら見つかるかな…。」
「うーん。もっとふかいところ…」
深いところを探せばもっと見つかる…なんて思ってちょっと深いところに足を踏み入れたんだ。後ろで従妹のお姉さんが深いところ危ないよって言ってるのが聞こえたんだけど大丈夫だと思ってた。そしたら、
「あ、」
当然といえば当然なんだけど足元の砂が崩れて川の流れに足を持っていかれたんだ。いくら流れが緩やかとか、浅いとか言っても深いところは深い。それに、まだ身長も110センチあるか、無いかの時で、溺れた時の対処法なんて聞かされてなかったから必死だった。全力でもがいた。
_____くるしい。くるしい。たすけて、おねえちゃん。
水が喉の奥まで入ってくる。顔が水中と空気の中を行き来して気持ちが悪い。視界が歪んでいる。水の泡が顔の周りを覆っている。
____________________はやくして。
ここからは特に鮮明に覚えている。
目の前にすごい量の泡が出てきて、泡の向こうから手が伸びてきた。私と同じくらいの小さい手。私はその手にしがみ付いた。小さな2本の腕が私を抱えてそのまま陸に引き上げてくれた。
陸に上がって、その助けてくれた子を見た。その子は、私と同じくらいの背丈で、多分同い年の子供だった。
でも、髪が長くて真っ黒で、ピアノの鍵盤みたいにつやつやしていた。顔も凛としていて、何歳も年上の大人みたいだった。見た目だけじゃなくて、助け方も賢かった。腰にはロープみたいなものを巻いていて、その先を近くの木に巻き付けて固定してた。私を助けるときに、自分が流されないようにするための策だったんだと思う。従妹のお姉さんは私たちを引き上げるためにそのロープを持って呆然としてたけどはっと気づいて駆け寄ってきてくれた。
お姉さんと私は、助けてくれた子に御礼をしようとしたけど、ロープを回収してすぐにどこかに行っちゃった。すごく探したけど全然見つからなかったよ。
「今その子に会えたなら、御礼を言いたいし、あの子が何を考えていたのかも気になるね。」
私はすっと、現実に引き戻される。ふんふん、と回想の中から成長した彼女は嬉しそうに頷いている。私は内心
「そんな綺麗なお話は、それぐらい幼い時までが限界だよ。」
と言ってやりたかった。そんなのは、幼いころだったから実現したものであって、人は成長するたびに汚くなっていく。汚い人間の割合は多くなっていく。どんなに外面を繕っていても私の前では内側をごまかせない。
心音は目を見開いて、私を見ていた。
「そう、かな。絃ちゃんは、誰かに助けてもらったりしたこと、ある?」
私はここで気づいた。さっき思ったことをうっかり口に出してしまっていた。澄んだ心を持ちながら、親のように、優しく語り掛ける。心音の心の声は心配するものが多くなり、風船のように膨らんでいる。
耳障り。
「…。あるよ。でもやっぱり、大人になってくるとさ利益とか、そういうものが絡んできたりして純粋に人を助けたいとか、そういう人ってなかなかいないと思うんだよね。」
私は、この話をさっさと丸めて捨ててしまいたかった。こんなきれいな理想は聞きなれていない。綺麗な心も純粋な気持ちも、いつかどこかで汚されてしまう。無条件の優しさは成長すればするほど得られなくなる。私はそれを知っている。
鳥肌が立つ。
「心音も、少し、人を疑ったほうがいいよ。危ない目に合うかもしれない。」
窓の外、遠くには入道雲が見えた。私は澄み切った水色の空から離れて、席に戻る。心音の小さな声が聞こえる。何を言っているのか、何を思っているのかはよく聞こえない。
未だ白紙の画用紙に向かい合う。入道雲はまだ遠くにあった。
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