晩夏の葬列 「リボン」「曇り」「最後の流れ」 作・匿名
気がつくと、私はなぜか田んぼのあぜ道に座り込んでいた。
うだるような暑さの夏。いっそ憎らしいほどの快晴の下で、私はついさっきまで、いつものように外回りの営業をしていたはずだ。ジャケットを汗でぐっしょりと濡らし、蒸れてむず痒いヒールをツカツカとならしながら、嫌に背の高いビル群の間を走り回っていたのはほんの数分前だ。アスファルトから立ち上がる熱気のゆらめきに当てられて、一瞬、目がくらんだと思えば次の瞬間にはこれだ。私はどこか知らない田舎の町の、知らない田んぼのあぜ道の真ん中に座り込んでいる。
都心では聞こえない蝉の絶叫が耳をつんざく。
周りを見回すが、人の気配はまるでない。脇の田んぼには、少し色づいた稲がざわめいている。眼前の道はやや行ったところで大きく曲がりながら、どこまでも、どこまでも続いている。その先は森に繋がっていて、終着は見えなかった。アスファルトではない、むき出しの地面からは変わらず痛いほどの暑さが伝わってきたが、そのどこか異様な風景に背中には冷や汗が一筋伝った。
そして大きな入道雲が、一瞬、太陽を覆い隠した。
日が陰り、あたりが曇った刹那。視線を向けていた道の先の森に、何かが揺らめいたのが見えた。初めは目をこらしても見えなかったそれは、次第にこちらに向かってきているようだった。私には、初め、それらは黒い塊に見えた。しかしだんだんと近づいてくるに連れて、それらは黒い服を着た人間達だということがわかった。ざっと見て十数人。男も、女も、一様に黒い服を着て、そして一様に顔を伏せてゆっくりとこちらに歩いていていた。葬列だ。私は本能的にそう悟った。先頭の男性が持っているのは確かに遺影だ。物言わぬ葬列が、ゆっくりと、しかし確実にこちらに歩んできていた。私は恐怖でビタリとそこに縫い付けられてしまい、立ち上がることさえできなかった。ザリザリと革靴が砂利を踏む音、そしてかすかに聞こえ始めたしゃんしゃんという鈴の音。私は動かない体を叱咤して、なんとか顔だけでも後ろを振り向いた。
振り向いた先。ほんの数メートル先で、また別の黒い塊が動いていた。だが彼らは私に背を向け、ただひたすらに静かに道の先へ列を乱さず行進していた。訳の分からなさに、歯がガチガチと鳴り出すのを止められなかった。背中越しに、ざりざり、しゃんしゃんと音は近づいてくる。蝉はうるさい。だけど静かだ。人の気配は相変わらず無い。不規則な靴の音。土が踏まれる音。小石がこすれ合う音。鈴の音。掠れた鈴の音。もうだめだ、と思って私は目をつぶった。
目をつぶった、瞬間、一陣の風が、ざあと私の体を通り抜けていった。ぞっとするほど冷たいその風に、私は反射的に目を開けた。すると、先ほど後ろにいたと思われる葬列が、今度はこちらに背を向けて私の前を歩いて行っていた。音が、だんだんと遠ざかっていく。
一番後ろにいたのは女性のようだった。長い髪を上で一つにまとめて、顔を伏せながら、彼女も手には遺影を持っていた。すると、私はふと手に違和感を覚えて視線を下に落とした。見ると、右手の薬指に黒いリボンが巻き付いているのがわかった。それは手から伸びて、伸びて、その女性の持っている遺影に繋がっていた。
あ、そうか。そうよね。早く行かなくちゃ。私もあそこに加わらなくちゃ。ここで流れを邪魔するなんて失礼よね。早く行かなきゃ。あの、最後尾に、流れの最後に、私も、早く。
「本日のニュースをお伝えします。本日の都内の気温は観測史上最高を記録しました。各所では熱中症で運ばれる人が続出しています。また、都内某所では二十代女性が熱中症と思われる症状で亡くなっているのが確認されるなど、死亡例も報告されています。気象台によりますと、猛暑日は今後もしばらく続く見込みです。くれぐれも、暑さ対策を忘れないようにしましょう」
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