Day 3-4 外様と半端もの


 その後、彼女――フィーネは黙ってお茶を入れてくれた。素顔も耳も晒しているのが恥ずかしいのか、少し俯きがちだ。しかし、少し前まであった拒絶するかのような雰囲気はすっかり和らいでいた。恐らく、こちらが、あるいは丘で見せてくれたのが彼女本来の姿なのだろう。

 彼女とエルファたちの間に何かしらの確執が有るに違いない、なんて確信していた。デリケートな問題かもしれないが、機会を見つけてエルファに確認してみよう。しかし、この村の雰囲気を少しだけ見てみても、彼女や村の人達がフィーネを悪いように扱っているとは思えない。思い込みかもしれないが、そうあって欲しいと思うのは俺のエゴだろうか。

「エニシ……」

 フィーネがポツリと呟く。

「どうかしたのか?」

「いや、どういう意味なのかと思って、さ」

 確かに、異世界の人からすれば意味が分からないのも当然だ。

「えーと、まあ、人との繋がりとかを意味する言葉かな」

「そうなんだ! じゃあ、名字……ソセチュの方は?」

「素雪ね。真っ白な雪のことらしい。白い雪の降る厳しくて寒い季節、中々洒落た名字でしょ?」

 顔も知らない両親はどういう気持ちでこんな名前を贈ってくれたのか分からない。それでも最初で最後の誕生日プレゼントなのだ。大切にしていないと言えば嘘になる。もっとも、両親の願いに沿った生き方ができているとはまるで思えないが。

「うん、素敵な名前! まるで御伽噺に出てきそうで……冬は私の季節だしね」

 彼女は興奮したように、少し上気した頬でそんなことを言う。

「君も冬の生まれなの?」

「そうだし、それだけじゃないよ。冬は森が死に、春に再生する。だから死神で、死を司る冬は私の季節なの」

 彼女はとても嬉しそうだ。新たな同居人たる俺との共通点を見つけたことを純粋に喜んでくれているように見える。

 そしてもう一つ気づいたこと。少なくとも彼女自身はあまり「死神」という呼称を気にしていないようだ。

「そうだね。季節は巡って死と再生を繰り返すものだ。俺の暮らしていたところでも伝統的にはそうやって考えているよ」

 今、そんなことを意識している人は少ないのかもしれない。しかし、山に行くことがある俺としては実感することでもある。

「じゃあフィーネはどういう意味なの?」

「フィーネは……ただのフィーネ。意味なんて特にないよ」

 彼女は薄く微笑む。こちらについては引っかかるところがあるのか、あまり触れて欲しくないような気がする。

「そうか……でも、良い響きの名前だと思うよ」

「そう言ってくれるなら名乗ったかいがあるね……よっと」

 彼女は話題を打ち切るように、お茶を飲み干すとすっくと立ち上がる。

「さて、色々準備しないとね。エニシが使うもの、必要なもの……準備することはいっぱい」

 俺もそれに合わせ、お茶を飲み干して立ち上がる。

「とりあえずは……何が必要だ?」

「うーん、間違いなく必要なのはベッドじゃない?」

 確かに。最悪床でも良いんだけど、あるのであれば絶対に使いたいものだ。

「じゃあ、エルファのところで聞いてこよう」

「うん。じゃあ私は食器とかを確認するかな……何だか楽しくて、夢みたい」

 そう言う彼女は本当に嬉しそうで、その一助になれていることが誇らしかった。


 ◇◇◇

「ベッドか。ならば客室のを持って行こう。私も手伝うよ」

 即断即決即行動。エルファは実直な性格なようで、俺が相談するとすぐにそう言ってくれた。

「ありがとう、助かるよ。流石に一人じゃ運べないしね」

「む、そうなのか? 私は一人で運べるから私がやろう」

 彼女は長袖のシャツの袖をまくり、力こぶを作るように腕を曲げる。しかし、そこには滑らかな陶磁器のような肌があるだけで、筋肉なんてものは全然付いていないように見える。

「そういえば、どうせあの子の家には予備の食器とかもないだろう。倉庫から余っているものをもってこよう」

 いそいそとリビングに置かれていた木製のタンスから大きめの布をいくつか取り出す。これで包んで持っていこうというのだろう。

「じゃあ、そこまで言うなら食器類は俺が持つから……」

「いや、食器類もまとめて私が運ぼう」

「……どういうこと?」

「なにやら誤解があるようだな。まあ、見てみれば分かるさ」


 倉庫と称していたが、実際はこの家の一室をそう呼んでいるようだ。そこにあった木箱から一緒に色々見繕う。木皿、箸、フォーク、スプーン、カップなどなど。これだけあれば生活をしていて困ることはないと思う。それらを片っ端から包んでいき、結果四袋ほどになる。精一杯手を広げればなんとか俺の両腕で持つことができるが、結構きつい。

 そんな様子を彼女はくすくすと笑いながら見ている。そんなに奇妙だろうか?

「では、ご覧あれ」

 昨晩泊まった客室のベッドの前で、エルファは恭しくそう告げる。彼女はベッドに向き合いながら、奇妙な模様を描くようにリズム良く右腕を振る。一風変わった指揮者のように見えたが、一体どういう意味があるのだろうか。

 彼女がその動きを止めて右腕を軽く上に持ち上げる。見えない何かをつまむようにしているその手に釣られるように、ベッドがふわりと浮き上がった。

「はあ!?」

 全く意味が分からない。意味がわからないが……何をしているのかは分かった。

 

 創作物の中にしか存在しないはずの現象に違いない。しかし、俺の口から反射的に漏れてしまった素っ頓狂な叫びほど、内心では驚いていなかった。『異世界でエルフなんだから、魔法くらい使うよな』、そんな形で奇妙に納得してしまっていたのだ。

「ふふふ、私達耳長族は森の魔法を使えるのだよ」

 彼女は実に得意気だ。俺の驚く声で楽しくなってしまったのだろう。

「……うん、すごい。これは皆使えるの?」

「他の種族のことはあまり分からないが、少なくとも私達はみんな使えるぞ……っと失礼」

 エルファは、ドアを通せるようにベッドを縦向きにしながら、廊下へと歩いていく。

「ほら、行こう」

 ニヤッと笑いながらエルファは俺に言う。美人は得なもので、そんな悪戯心たっぷりの表情でも実に絵になっていた。


 これ、俺いらないな。

 いつの間にかひとつ増えての袋はすべてベッドの上にまとめて載せられ、俺とエルファの前を浮きながら先導している。道中村の人たちがあれこれとくれて 気づけば袋一つ分になったという訳だ。

「しかし、魔法かあ」

「君の世界にはないみたいだね」

「ああ、初めて見た。俺にも使えるのかな?」

 正直使えるのなら使いたい。誰だってそう思うだろう。しかし、エルファは首を振る。

「少なくとも私達の使う体系のは無理だろうな。これは森の加護を受けているから使えるものだからな」

 残念だが、仕方ない。しかし、ちょっと気になることがあった。

「……じゃあ、フィーネは使えないのか?」

 彼女は『森の加護を失った森の民』と言っていた。エルファの弁によるのなら、彼女も魔法は使えないことになる。

「……私と同じような魔法は使えない、とだけ言っておこう。後は彼女から聞いてくれ」

「そう、か。……エルファはあまり彼女のことを話したがらないね」

「そういうわけじゃない。ただ、フィーネはああ見えて、本来はおしゃべりなんだ。あまり話題を奪うのも忍びなくてね」

 彼女は寂しそうに笑う。なんとなく、その言葉には嘘がないように思えた。

「じゃあ、彼女から聞くのを楽しみにしておくよ」

「是非、そうしてくれ。勝手で悪いが……君には期待しているのさ」

 なんとも意味深なことを言われる。しかし、俺は俺にできることを頑張るしかないのである。まずは……フィーネと仲良くなることから始めようと思う。


「ベッド、本当にここじゃなきゃ駄目か?」

 俺は最後の抵抗を試みる。もう何度か同じやり取りをしているが、仕方ない。流石にこの場所はちょっと……。

「駄目。というか他に場所はないもの」

「そうみたいだけどさあ……」

 エルファからフィーネはベッドを受け取り、そのまま魔法を使った様子もなくずんずんと素手で運んでしまった。あの可憐な見た目とは違い、随分力持ちのようだ。ちなみにエルファを迎え入れるときはしっかり例の仮面を装着して、フードを被っていたので、彼女にも事情があるのだろう。今はそれも外して、可愛らしい耳がちゃんと見えている。

 俺が抵抗しているのはベッドを置く場所である。部屋の中の一番奥に彼女のベッドスペースがあるのだが、そのベッドスペースの一画――具体的には彼女のベッドのすぐ横に俺のベッドを設置するという形だ。フィーネがいくつなのか知らないが、見た目は麗しい美少女なのだ。男子高校生たる俺としては、その……恥ずかしい。

 しかし、家主がそこしかないと判断している異常、お世話になる俺としては抵抗の余地はない。

「……じゃあ、ここでお願いします」

「はーい」

 フィーネは発泡スチロールでも持っているかのように軽々とベッドを設置する。

「本当に力持ちなんだな」

「そう?」

「うん」

「……変?」

 彼女は悲しそうに眉を下げる。俺は慌てて言葉を紡ぐ。

「変じゃない変じゃない。むしろこの世界で変なのは俺のほうだ。あまり気にしなくていい」

「うーん、それなら気にしないようにするよ」

 カバーは成功したようだ。それに常識から外れているのは俺というのは間違いない。エルフ……耳長の彼女達にとってあれぐらい普通なのかもしれない。


 今朝の料理もかなり美味しかったのだが、今、夕食として目の前にあるのはたっぷりの肉と野菜に豆が入ったスープだ。これに黒いパンを合わせて食べると、スープの辛さと相まって非常に美味しい。かなり冷えている外の空気を忘れるほど身体は温まり、薄っすらと額には汗をかいてしまう。

「いやあ、凄く美味しいよ」

「今日は素材がいいだけだよ」

 彼女はそう言いながらも少し嬉しそうだ。

「そうなの?」

「うん。多分村の皆が色々くれたんだと思う。明らかに誰かの秘蔵っぽいお肉とかあったしね」

「そっか。今度お礼を言わないとな」

 本当にありがたい話だ。食材にも村の皆にも感謝してしっかり食べることに決める。

「そういえばエニシ、明日からどうするの?」

「うーん、とりあえずフィーネのお手伝いをしたいと思っている」

 働かざるもの食うべからず。その格言に従うことにしよう。それに、エルファも「働いてもらうことになる」みたいなこと言っていたし、お客さん気分でいるのもあまり良くないだろうしな。

「え、いいの!?」

 彼女はがたりと立ち上がり、ものすごくきらきらした目で俺を見てくる。

「ああ、どれくらい力になれるかは分からないけどよろしくお願いするよ」

「いやったあ!」

 フィーネは小さくジャンプしながら全身でその喜びを示す。そこまで嬉しいのだろうか。……もしかしたら、彼女一人でやるには相当大変な仕事をしているのかもしれない。そうだとすると、彼女の仕事を手伝うなんて宣言したのは早計だったかもしれないが――いや、逆に恩を返すチャンスなのだ。

 喜びで小躍りまで始めた彼女を少しだけ引きつった笑みを返しつつ、俺はパンを口に運んだ。


 新しい部屋、新しい空間、新しい環境。そして隣にはフィーネ。こんな環境で果たして眠ることができるのか――なんて杞憂だった。俺はベッドに入った瞬間に意識が遠のいていくのを感じた。ここまで寝付きがよかっただろうか……そんなことを思ったか思っていないか、俺は眠っていた。

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