Day 2-4 仮面の彼女と耳長の村

 彼女が持ってきてくれたのは若干濁った緑色の飲み物だった。もうここまで来たら毒であっても構わない、そんな気持ちで湯気が立つその飲み物をぐいと飲む。洗練された味ではなく、少々雑味が多いものの疲れ切った身体には丁度よい渋みのある飲み物だ。お茶に近いが、それとは異なる風味。思うに、何かしらの草を煮詰めたものなのかもしれない。

「口には合うかな?」

 彼女は気遣うようにそう聞いてくる。

「はい、美味しいです」

 その飲み物のおかげか多少なりとも落ち着いてきた。自分の置かれた状況はさっぱり分からないが。

「まず……ここはオーフォの村だ。村と言っても全員で20人しかいないから、集落といってもいいがな」

 オーフォの村。20人。確かに非常に小規模だ。どうやって生活が成り立っているのかやや気になる。

「それで、私達は『耳長族』。森の民と呼ばれることもあるが、あー、要するに森の中で自然とともに生活する種族だ」

 エルフじゃないのか。でも、耳長族と言われればそのとおり、まさに見た目のままであるので納得せざるを得ない。

「そうなんですね」

 馬鹿みたいだがそうとしか返せない。そもそも俺が知りたい情報はまだ一切顔を見せていないのだ。

「……もう察しているだろうが、ここは君の住んでいた世界ではない。迷い子というのは、何かの要因で他の世界から私達の世界にやって来た者を指す古語だ」

 突然、そんな爆弾を落とされる。もちろんここまでで十分に察しているところであったものの、そうやって断言されると息を飲んでしまう。

「……ですよね」

「あまり驚かないな」

 彼女は少々意外そうにそう言う。

「いえ、流石にあまりに俺のいたところと違うので、ちょっと察していましたし……それに全然実感がわかなくて……」

 いわば、異世界というものを口の中で咀嚼している状態だ。とてもじゃないが消化なんてできていないし、そもそも飲み込むことさえしていない。よくわからないまま口中でもごもごしているだけである。

 ただ――それを踏まえたとしても、『帰りたい!』というような願望がまるで心に沸き立っていない自分に、少しだけ嫌な気持ちにはなった。それが何故か、なんて考えたくもない。十分に自覚している自分の不出来な部分を、劣った部分を覗き込んでもいいことなんてないと思う。

「そうか。しかし、隠すこともできないしな……突然こんなことになってしまい、すまない」

 俺の表情からなにか勘違いしたのか、彼女はそう言って頭を下げる。俺は慌てて返答する。

「いえ、謝らないで下さい! あなたが悪いわけじゃ……あ!」

――そもそも帰郷したいなんて、あまり思っていない。端的にはあまり関心が持てていない。そんな心中を彼女に伝えることはできないが、ただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「まあそうだがな……いや、話を進めよう。申し遅れたが、私は、エラルドとエリステルの子、エルファと言う。この村の村長代行をしている」

 村長代行。見た目は若いが、そんなに偉い人だったのか。俺も若干居住まいを正して名乗る。

「俺は……素雪そせつえにしと言います。17歳です」

 高校生、と言っても伝わらないだろうし、名前と年齢だけを言う。

 彼女のように、誰々の子なんてのも俺には分からな――駄目だ。疲労のせいか、健全ではない方向にばかり思考が進んでしまう。

「17! 若いなぁ! まあ、私達は見た目よりもずっと年を食っているけど、あまり気を使わず、自然体で接してくれ」

 彼女は呵呵と笑いながら朗らかに言ってくれる。

「そうでした……いや、そうか。分かった。普通に、同年代の人と話すような感じにするよ」

「うん、ありがとう。……それでだ、当然だけど、君はこれから行くところはないだろう」

 正直、一番気になっていたところだ。俺はこれからどうすればいいんだ? ここがどこであれ、生きていかなければならない。こんな俺でも死にたいわけではないのだ。

「それで、この村で生活してもらっていい。何かしら働いて貰うことになるだろうがね」

 彼女は美しい新緑の瞳を片方だけ閉じて、そう言ってくれた。

「……ご厚意に甘えていいのかな?」

 俺としてはそうするしかないんだが、流石に念を押して確認する。

「もちろん。我々『耳長』の伝統という奴だ。まあ、私達の村で実際に適用するのは初めてなのだが……曰く『迷い人に対して無辜の助けをせよ』ということさ。恐らく、遥か昔に何かあったのだろう。それに、行く場所もない、そのアクセサリーが無ければ言葉も通じないような人間を放り出すようなことは『森の教え』に反する」

 なんだか良く分からない用語みたいなものはぽこぽこ出てくるが……疲れているし、とりあえず良いだろう。ご厚意に甘えさせて頂く。

「分かった。お世話になります」

 座ったまま、可能な限り頭を下げる。

「よしっ。じゃあ、とりあえず今日の部屋を案内しよう。一応客間なんだが……なにぶん何十年と使っていないから、ちょっと汚れているが我慢してくれ」

「皮肉や冗談じゃなく、雨風さえしのげればどこでも大丈夫だよ」

 昨日みたいなテントも何もない野宿は勘弁して欲しいが、それ以外ならどこでも眠れる自信があった。


 案内されたのは五畳程度はありそうな一室だ。大きめの窓の側に、何でできているかはわからないが、柔らかそうなベッドがあった。壁のところには簡素な椅子とテーブルがあり、本当にきちんとした部屋だった。

「じゃあ、しばらく休んでいてくれ。帰ってきたら晩ごはんにしよう」

「どこかにいくの?」

 この状況で一人にされるのは正直心細いのだが……。

「ああ、エニシが来たことを皆に知らせてくる。一応決まりでな。全員での議決を取ることにだろう」

「そういうことか……あ、そういえば彼女は?あの変なお面を付けた……」

 何気なく聞いたことだったが、僕の言葉を聞いて、彼女――エルファは難しそうな、悲しそうな顔をする。

「あいつは……いや、込み入った話になる。今日は止めておこう」

 エルファはそれだけ言って部屋から出て行ってしまった。

 込み入った話。

 あの銀髪の彼女に一体どのような事情があるのだろうか。しかし、エルファの口ぶりから、俺に説明するつもりはありそうだった。それならばそれを待てばいい。

 俺はマウンテンパーカーを脱いで椅子に掛け、その座面部分にバックパックを置いた。そしてそっとベッドに横になる。ベッドからは木々の清涼な香りがしており、恐らく何かしらの草木を加工してこのようにしているのだろう。しかし、身体が適度に沈み込む弾力があり、自宅で使っていたベッドよりも快適なくらいだった。

 昨夜の暗闇での恐怖、仮面の彼女との出会い、オーフォの村、エルファ、迷い人――そして、異世界。訳が分からないことばかりだし、情報量も多すぎる。

 今日はこれ以上考えたくない。とにかくリセットだ――。

 そんなことを考えている間に、俺は眠気に襲われる。昨日の野宿は思っていた以上に疲労が溜まっていたのだろう。その上であの行軍である。

 その眠気に抗うことはできず、自然とまぶたが落ちるとともに、意識は吸い込まれていった。

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