Day 2-2 仮面の彼女と耳長の村

 俺が思っていた以上に森は深く、足元も必ずしも良くない。同年代――つまり17歳の高校生にしては健脚な方だとは思うものの、彼女に比べれば全然だ。俺が多量の荷物を背負っていることを差し引いても、彼女は軽々と進んでいき、付いていくのがやっとである。そして彼女の足取りには迷いがない。まるでこの森は彼女の庭のようだ。

 時折、彼女はちらりとこちらを振り返るが、俺はだらだらと汗をかきながらも何とか平気そうな顔を返す。それを確認すると、彼女は頷き、またすいすいと進んでいく。ちょっと休憩しようと言いたいのだが、言葉が通じないことが壁となって俺は言い出せず、気づけば数時間は歩きっぱなしだったと思う。森が深くてきちんとは確認できないが、すでに日は中空にあるようだ。

 さらに進む内に、流石に疲労を隠せなくなってきて、鞄から取り出した水を飲みながらぜえぜえと息を切らしつつ脚を前に進める。ここまで来るとただ無心でいるだけだ。

 幾ばくかの休憩を挟みつつ、さらに二時間程度はたっただろうか。日はまだ落ちていないものの、中空は通り過ぎ……とそこで、彼女はピタリと脚を止めた。

 もしかして、目的地か。

 そんな期待を抱いてしまった俺は、脚の重さを自覚してしまう。もし、ここからさらに歩くということになればかなり辛いものになってしまう。

 やや虚ろになっているであろう目であたりをキョロキョロと見るが、相変わらず森が広がるばかりで、何もありはしない。

 もしかして騙されたのか、と軽く絶望していると、彼女はそこにあった何の変哲もない木に手を当て何事か呟く。

「◇◇◇」

 もちろん意味は分からないし、何か変化があったようにも見えない。相変わらず鬱蒼とした森が広がるばかりだ。

「◇◇◇」

 しかし、彼女はこちらを振り返り、俺の右前腕を掴み引っ張る。疲労困憊の俺と全然疲れが見えない彼女。当然それに抗うこともできず、ふらふらと一緒に前に進む。

 彼女が手を当てていた木を通り過ぎた瞬間、目の前が一瞬歪んだように感じた。何だ――そう思っていたのも束の間、目の前には木製の門があった。

 門。

 そのように感じたが、正確ではないだろう。そこに扉があるわけでもなく、2メートルほどの裸の丸太が二本立っており、その横に形ばかりの衝立のようなものが数メートルのみあるだけだ。

 誰かを拒むための設備としての役割はなく、内と外を区別するための境界線という印象を受ける。そして、その向こうには何軒かの家が見える。コンクリートや土などではなく、すべて丁寧に整えられた木や板でできており、現代的な建築からは遥かに距離を置く代物と言えよう。

 ここで、ようやく俺は確信した。

 間違いなく、ここは日本じゃない。彼女の話す言葉が日本語じゃない時点で薄々と感じており、努めて考えないようにしていたのだが、このような物量で理解させられたら飲み込む他はない。

 すでに内心察していたこともあり、さほど驚きはなかった。もっとも、落胆していない、と言えば嘘になってしまうだろう。

 すがるように彼女を見ると、いつの間にか例の怪しげな仮面を被っておりぎょっとしてしまう。さらに、しっかりと顔を隠すように、被りっぱなしだったフードをしっかり整え、目深にしている。

 正直、それを訝しむ気持ちはあるものの、言葉が通じない以上どうしようもない。

 彼女はそのまま門を通り越して、家々の中でも一番立派なものの前に行く。きょろきょろと辺りを見渡してみても、他の人は見当たらない。もしかしたらこの時間帯は外に出ているのかもしれない。例えば畑とか、というのは希望的観測だろうか。

 扉には金属製のノッカーが付けられており、彼女は躊躇なくそれを鳴らし、無機質な声をかける。

「◇◇◇」

「✕✕✕?」

 中から女性の声が聞こえる。ノッカーの音も彼女の声も小さいように感じたが、しっかり中に届いていたようだ。

「◇◇◇。◇◇◇」

「✕✕✕!✕✕✕!?」

「◇◇◇。◇◇◇」

 彼女が何事か告げると、中の女性からは驚愕するような声が聞こえる。しかし、彼女はそれを意にも介さず、二言ほど告げるとくるりと俺の方を見る。彼女は一瞬仮面を上げて、俺の眼をしっかり見て、笑いかける。その柔らかな表情に少々動揺してしまったが、彼女は仮面を元に戻してから、俺の肩をぽんぽんと叩くとそのまま行ってしまった。

 彼女が行ってしまったことに俺が呆然としていると、玄関扉が勢いよく開けられる。

「✕✕✕!」

 そこから出てきたのは黄金の髪を持つ女性だった。腰ほどまである豊な髪をセンターパートにしており、どこか知的な印象を受ける。仮面の彼女と同様に、非常に美しいのだが……決定的に違う点がある。のだ。精巧に、美しさという概念をそのまま切り出してきた有機物。俺は彼女の顔を直視できず、反射的に目を逸らしてしまった。

 金髪の彼女が俺に気づき、はっとした顔になるのを視界の端で捉える。そして、気を取り直すようにこほんと咳払いをする。そのような仕草を見て、ようやく彼女が普通に生きている人間なのだと実感し、少しだけ落ち着いてきた。

「✕✕✕?」

 彼女は俺の瞳を覗き込むようにしながら、謎の言語で声をかけてくる。

「ごめんなさい、わからないです」

 しかし、直視できず、半目になりながら、意味もなく敬語になってしまう。

「✕✕✕……✕✕✕」

 彼女は俺の様子を気にした風もなく、一つ頷いてから部屋の中に入るように促す。俺は――どうしようもないので――促されるまま中へと入れさせてもらった。


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