降臨した少女

「それでは、行って参ります」


 メリアンがそう言うと、全員が神妙な顔になり頷いた。




 亜空間にしまう書類は全て準備が整い、すでに録音、録画された魔石と共にジャックの手の中にあった。


「<解錠オープン>」


 と短い一言で宙に闇が浮かび上がり、その中に書類を入れる。


 巻き戻った後すぐに放送される魔石は、ジャックの魔力でスピーカーに繋げられ、巻き戻ったジャックが起動させる事で発表される手筈になっている。もちろん初めての試みなのでうまくいくとは限らないが。


「これがうまくいったら画期的発明だなあ」

「遠隔ですものね。スピーカーさえ取り付けられれば、僻地でも王都のニュースがすぐに伝えられるんだもの。情報伝達が格段に速くなるわ」

「理論ではうまくいくはずだが、なにせ巻き戻ると言うのがな。しかもその後で俺たちは覚えていないと言うから何か腑に落ちない」


 ライオットとジャクリーンがなんともいえない顔でぶつぶつ言っているのを、横目で聞きながらメリアンはジャックに向かって大きく頷いた。


「もしこの件が成功して、戻って来たらわたくし魔導士の試験を受けますわ」

「ああ。是非一緒に画期的な発明をしよう。神なんていなくても世界が回っていくように」

「楽しみですわ」


 ふふっと笑ったメリアンは、きゅっと顔を引き締め、いざティアレアの待つ黒部屋へと向かった。





 扉を開けると、魔導士のマントにくるまったティアレアが部屋の隅にうずくまっていた。


 ゴクリ、と喉を上下させメリアンはするりと部屋の中に入り込む。ずしりと圧迫感を感じたが、これは黒部屋の環境がそうさせるのだろう。さりげなく魔力を練ろうとしたがうまくいかなかった。この中でも、きっとティアレアは神聖魔法を使うことができるのだろうが、メリアンは丸腰だ。心もとない気持ちを振り払い、一歩前へ進み入れると、ティアレアがの頭がゆっくりと上がりこちらを見据えた。


 大きな金色の瞳には涙が溢れ、ずっと泣いていたのか頬が紅潮している。儚げで、今すぐにも抱きしめたくなるようなティアレアの風貌にメリアンはヘニョリと眉を下げた。


 ――これは……。確かに抗い難いわね。


 どちらが声を発するでもなく、立ちすくんでいると、最初に沈黙を破ったのはティアレアだった。


「わからないの」


 嗚咽を我慢しながら、ひくっひくっと肩が上がる。


「あんなこと、したいわけじゃなかったの」

「……あんなこと?」

「神々の雷……、あんなの知らなかったの」

「そう、ね。あなたは<慈愛の雨ベルシング・レ・ライン>を使いたかったのよね?」

「そう、なのに。なんであんな、ひどい……っ」


 前回とは違って、今回のティアレアは落ち着いていた。これなら、いけるかも知れない。話し合いに持ち込んで、時間を巻き戻らなくては。メリアンはゆっくりとティレアに近づいてその隣にしゃがみ込んだ。


「ねえ、ティアレア。わたくしあなたの力になりたいの。覚えていることを教えてくれないかしら」

「お、覚えてること?」

「そう、どうやってこの世界に落ちて来たのか、覚えてるかしら?」

「どう、やって…?」


 ティアレアはメリアンの言葉を理解しようと首を傾げた。


 ――この子は、まるで何も知らないんだわ。幼子のように無垢で、なんでも素直に聞き入れる。


「わからないの。でも、突然空に投げ出されて、肉体を持ったわ。それが窮屈で、重たくてどんどん沈み込むような感じで。気がついたらにいたの。そしたら、いっぱい人に囲まれて、怖かった」

「そう、そうよね。怖かったのよね……。こんな知らないところに投げ込まれて、いきなり大勢に囲まれたんだもの」

「でもね、キラキラした人は優しかった。守ってくれるって言った。だから、守ってもらったの。なのに、みんな怖い顔をして、あたし……やっぱり、怖くてっ」


 ポロポロと涙をこぼすティアレアに、メリアンはそっと寄り添いその背をゆっくり撫でた。


「それで、みんな怖い顔、するからっ、優しい気持ちになるようにって思って」


 ――慈愛の雨ベルシング・レ・ラインを使ったの。


「その後は?」

「……真っ白になって…。気がついたらまた空に浮かんでて、元いた場所に戻りたかったのにっ、帰れなくて」


 ――つまり神々の雷グーデルシンの後は何も残らなかった、と言うことかしら。おそらくティアレア自身も消えてしまった、と考えられる。そして時間が戻って。


「わたくしね、女神様から正しい道を選ぶようにって時間を巻き戻されたの」

「女神様…?」

「ええ。たぶん。ただ、わたくし、神とか悪魔とか信じてなくて。だからそれが女神だったのか、悪魔だったのかはわからないの。でもね、こうやって貴方と話し合う前に、何度もやり直しをしたわ。本当にうんざりするほどね」

「あ、あたしもそれはわかったわ。何度も何度も、空から落ちてくるの。無限に続くんじゃないかって、すごく怖かったの!それに毎回ここに着くと違うことが起こるから、あたしどうなっちゃうのかなって。優しかったキラキラした人が現れなくて、代わりに黒い服を着て、顔も見えない人ばかりに囲まれて、どうしてって」


 魔導士達だ。殿下は顔を出すなと伝えて、騎士も聖騎士も現れず、黒マントを羽織った人たちが顔も見せずに取り囲んで。


「それは、悪かったわ。……ごめんなさいね」


 威圧感で怖気付いて、ひどい目にあったって思われても仕方がない。


「……貴女のことは覚えてた。とても綺麗な銀の髪で、私の知っている誰かに似ていて。懐かしいと思ったの。でも貴女はものすごく怒ってて、持ってる力がひどく禍々しくて。だから消えてしまえって思ったの。それが、いけなかったのかも知れない」

「ま、禍々しい……?わたくしの、魔力が?」


 ティアレアはじっとメリアンをみると、ふるふると頭を横に振った。


「今も、肩から頭の辺りに黒い魔力が渦巻いてる。でも、それって貴女の魔力じゃないみたい」

「……!」


 ――それは。


「ティアレアには、それがわかるのね?」

「うん。貴女が本来持ってる魔力は暖かくて優しい。強くて眩しい力。あたしの知ってるチカラ……」


 ティアレアの知っている力。魔力。それは聖魔力の事だろうか。黒い魔力というのは、メリアンの記憶を隠している何か、邪悪なチカラ?もしかして、ティアレアならば。


「この黒い魔力、消すことはできる?」

「えっ…」

「わたくしね、子供の頃の記憶がないの。神殿で何かあったのだと思うのだけど」

「神殿……」

「7歳より前の記憶を思い出そうとすると頭痛がして思い出せないのよ。それがもし、その黒い魔力に覆われているから、なのだとしたら。その黒い魔力を消して仕舞えば、記憶が戻るかも知れないと思うの」

「……わ、わかんない。だって、もし失敗したらまた、」

「ふふ。そうしたら、また時間が戻るだけよ。貴女には悪いけど、また天から降りてくるところから始まるんだわ」

「……いやよ」

「ティアレア」

「だって!あたしはここにいるの!貴女と話もできた!貴女のそばにいたら、きっとあたし、ここで生きていける!そうでしょ!?怖い人のいないところで、一緒に生きて!ね!?できるよね?」


 ティアレアから漏れる魔力が部屋を揺らした。メリアンは圧力を感じてぐっと腹に力を入れる。魔法が使えないから、自力で踏ん張るしかないが、それを淑女に求めるのは間違っているだろう。メリアンの体は部屋の端まで吹き飛び壁に激突した。


「ごふっ」


 血を吐き出して床に落ちる。骨が折れたか、内臓破裂か。これで死んだらまた戻るだけだけど、痛い。


「くぅ……っ」

「あっ!……っああっ!また、あたし…!」


 ティアレアは慌ててメリアンに駆け寄り、上半身を無理やり抱き上げた。


「グゥッ……ま、まって」


 肋骨が折れているのか体を動かすと激痛が走る。この様子はきっとジャック達はどこかの部屋で見ているはずだ。どうか殴り込んでこないで、とメリアンは頭のどこかで冷静にそう願う。


「ティアレア、ち、治癒魔法使えるかしら?」

「知らない、わかんない!どうすればいいの?」

「わたくしが、いう通り、……魔法陣を、描いてみて?」

「うん、わかった」


 メリアンが震える手で、治癒の魔法陣を宙に描く。本来なら、魔法陣を使わず聖魔力で治すのだが、ティアレアの魔力は未知だ。魂まで浄化されそうで怖い。だから簡素魔法陣を伝える。子供でも使える魔法陣。擦り傷や捻挫を治す程度の魔法だ。これならたぶん、大丈夫。


 そしてティアレアがその魔法陣をなぞる。その指から金の魔力が溢れ、キラキラとメリアンに降り注ぐ。


 ――黒部屋にいながら魔法が使えるんだもの、ほんと規格外だわ。


「ふぅ……」


 呼吸が楽になり痛みが消えた。簡易治癒どころか、完全治癒。やはりこの子は、女神が遣わした聖女なのかも知れない。


「ありがとう…ティアレア」

「よ、よかった…出来た」

「素晴らしい力だったわ…。子供騙しの魔法陣だったのに、完璧ね…」


 吐いた血の跡だけが、起こったことを如実にしているが、メリアンはにこりと微笑んだ。


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