この手に残る感触は(ジョセフ視点)

「素っ裸の女が天から降ってくるだと?夢でもみてんのか?」


 その頃、朝方まで下町の女と乱痴気騒ぎを起こしていたジョセフは、緊急時に光る魔石のカフスに気がついて慌てて下女の家を飛び出した。そして空を見上げて開いた口がしばらく閉じなかったのだ。


「チッ、飲みすぎたな……。今日に限って呼び出されるなんてついてない」


 神殿に向かう前に格好だけでもなんとかしなければ、と考えながら路地から飛び出したところで、小さな少女にぶつかった。


「あっお兄さん、ごめーん!」


 ぶつかった少女が謝りながら駆け去るところを見て、ふと違和感を覚えた。メリアンがここにいたような気がしたのだ。


「メリ、アン…?」


 ぎくりとして立ち止まったものの、メリアンらしき姿はどこにもない。当然だ。この時間メリアンは学園に向かっているはずでこんなところにいるわけがない。思わず拳を握って撫でる。この拳で、彼女の華奢な体を傷つけ、その甘やかな血を舐めた。そんな記憶がふとよぎる。


 なぜかゾクゾクとするほど手に彼女の体の感触がある。路地の壁を見て、地面を見る。ここで押し倒した覚えがある。顔を叩いて、悪魔を追い出そうとした。そうしたら。



 ……そうしたら?


 反撃された?


 魔法を使えないはずのメリアンが、俺を切り刻んで。それで、俺は、俺はどうした?


 身体強固の魔法を拳にかけて聖魔法の力を込めて力一杯殴り倒して、そして殺した。嘘だ。違う。でも。


 殺した?


 本当に?


 これは、願望か、夢か、現実か。




 渇望してやまない俺の人形のような婚約者。


 婚姻をするまでは汚してはならない相手で、迂闊に欲情すれば悪魔の思い通りに使われる恐れがあるから手は出せない。そんな彼女は氷のような視線の中に閃光のような熱情を潜ませている。欲しても決して触れることの出来ない俺の婚約者。その美しさで悪魔までも虜にした可哀想な少女。


 最近はますます女の匂いを振り撒き、周囲の男という男を、俺を虜にしようとする。その度に抗い、それでも目で追ってしまう。俺の中の聖者の力は、悪魔に負けてしまうのかと焦る時もある。冷めた目を向けられる度、視線で犯すのが癖になってしまった。あの澄ました顔を舐めて乱れさせてみたい。淑女らしく隠されたドレスや制服の中身を想像して性欲が抑えられなくて娼婦を相手にしたものの、男に慣れた女では満足がいかなかった。


 そこでメリアンと同じ年頃の女を見るたび口説き落として体を味わう。これがメリアンだったらどう善がるのか、メリアンならどう喘ぐのか、陶器のような肌が赤みを帯びて、汗の匂いは薔薇のように芳しいのか、唇は蜂蜜のように甘いのか。敏感になった突起はどう形を変えるのか。揉みしだいたら、揺さぶったら、叩いたら。ああ、一体どんな反応を示すのか。想像すればキリがない。


 あの体のどこかに魔石を埋め込んだのだ。教皇が彼女の裸を見たのか、それとも聖女の誰かか。神官か医師か。今すぐにも体を暴いてその魔石を見てみたい。


 いつしか一人称が僕から俺に変わり、私と使い分けるようになって自分の腕力がメリアンを屈服させられると気がついた。壁に押し付け、髪を掴み上げる時の激情を隠した瞳を想像するだけでイってしまいそうだった。




 ああ、神よ。いつになったらあの女は俺の元に落ちてくるのか。




 

 ジョセフが初めてメリアンに紹介されたのは、ジョセフが15歳、メリアンが12歳の時だった。


「これが婚約者になるメリアン・ドリュモア・ガーランド。侯爵令嬢だが、少し問題がある」


 教皇に腕を掴まれ、嫌そうに顔を顰めていた少女は侯爵令嬢というには見窄らしい出立だった。ジョセフを見る瞳には嫌悪感が滲み出ていて、どう見ても乗り気な様子ではない。自分がまだ聖騎士ではないから嫌なのだろうか、とも思ったがその視線が教皇を見る時に憎しみに溢れているのを見て、ああそうか、と理解した。


 この子は神を信じていないのだと。


 名ばかりは有名な冴えない伯爵家の次男坊として生まれたジョセフは、幸い魔力には恵まれていて、聖騎士の道を進められた。見習いで騎士団に入り、準聖騎士として認められたばかりだったジョセフにとって、侯爵家に婿入りを薦められたのは重畳だった。ガリガリに痩せて見窄らしいせいでお相手が見つからないのだろうと思い、ならば自分が可愛がってあげれば、爵位も嫁も手に入り自分の人生は順風満帆だとメリアンに笑顔を向けた。


 だが、メリアンは生意気にも足の先から頭まで視線を送り、フンと鼻を鳴らしたのだ。途端に教皇に強く腕を握られ顔を顰め、渋々挨拶を交わした。


 ジョセフから見たメリアンの第一印象は最悪だった。


 なぜ初めて出会った女の子にこんな態度をとられるのだろうと思ったが、神を信じていないのなら聖騎士は胡散臭く見えるのだろうと思い至り、これから先の関係にため息をつきたくなった。


 だが教皇がジョセフに耳打ちをした。


「メリアンがおかしな真似をしようとしたら、痛めつけてでも軌道修正をしなさい」

「痛めつける?侯爵令嬢を?」


 彼女は5年前の貧民街の爆撃の主犯で処刑されるところでだったのだ、と教皇は言った。


 教皇が情けをかけ、国王に願い出たのだと言う。まだ幼い子供だから、修正が効くはずだと。


「この子は悪魔付きだから、おかしな行動をとった時は悪魔が付き纏っているせいなのだよ。だから聖騎士を目指すお前の良い訓練にもなるし、この少女のためにもなる。この子の社交界デビューまでに調教できればお前の人生は薔薇色で、もしできなければ、この子の命はお前に預けられ、お前にも地獄が待っている。神に見捨てられたくなければ、しっかり見張るんだよ。わかるね?」

「見張る、ですか」

「ああ、メリアン嬢をしっかり見張り、魔法を使わないようにしなければならない。なぜなら彼女の魔力の中に悪魔が付き纏っているからだ。君の聖魔力は彼女の悪魔に対し良い抑制力になるはずだから。手を上げることは良くないが、躾のためには仕方がないんだよ。悪魔を叩き出すには聖魔力が必要だというのはわかるね?この重要な役割をお前に頼めるかな?」


 なるほど悪魔付きだから、あんなにも見窄らしく教皇に対して嫌な顔をするんだな、と子供心にも思ったのだ。


「けれど、周りの人間に悪魔付きだとバレてはいけないよ。それに死ぬほど殴るのも、見えるところに傷を作るのもダメだ。貴族社会のルールはお前も良く知っているだろう?何しろ侯爵家の一人娘だ。醜聞に塗れて侯爵家を潰すわけにはいかないからね。彼女の魔力路には、ある魔石を閉じ込めてある。それは悪魔を抑制するための魔石で誰にも知られてはいけないのだ。知られてしまえば狡猾な悪魔はそれを取り除こうとするだろう。それではまた彼女がこの世界の厄災になってしまう。そうなれば今度の被害は貧民街ではなく王都かもしれない。最悪はそれだけで済まなくなるかも知れないだろう」

「ぼ、僕の力が必要なのですね。わかりました。メリアン嬢が道を逸れないようしっかりと見張ります」

「ああ。やはり君しかいない。ジョセフ・リー・セガール君、しっかりやり給え。神はその働きをちゃんと見ていらっしゃる」


 目を三日月のかたちにして教皇は微笑んだ。





 悪魔が、解放されてしまった。


 俺の聖魔力が悪魔に負けた。俺が、彼女を欲したから。欲情したから。それとも殺したからか。


 だから、だから彼女が欲しくて、暴きたくて仕方がない。魔石を見つけろ。全身をくまなく探せと、悪魔が叫ぶのだ。


の暴走を止めなければ。教皇様に知らせて、それから」


 神の許しを得て、あいつを暴いて、メチャクチャにして、いや、違う。悪魔を調教しなければ。


 あいつは何かを企んでいる。何かがおかしい。俺の中に悪魔が入り込んで、あいつの血を欲しがっているんだ。あの女の中にある力が俺を狂わせている。



 欲しい。


 暴け。


 助けてくれ。


 ああ、何度殺しても、殺したりない。


 もう一度。もう一度。二度と蘇らないように。


 あいつを俺のものに。


 誰にも、渡さない。


 俺の婚約者。


 俺だけの。





「教皇様……っ、どうかお力を、許しを、俺に…っ」




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