第48話 マチルダの付き添い(メリュジーヌ視点)

――次の日の早朝。


 まだ暗い中で服を着替え、こっそりとセイラ様の別邸を抜け出そうとしたら、見つかってしまった。


「どこに行かれるのですか?」


 なんで今日は起きているのだろう。外を見て、まだ夜が明けきっていないのを確かめながら、自分に声をかけてきたマチルダの顔をしげしげとみる。

 マチルダはまだ制服を着ていない。こうしてみると、メイド服を着ていなければ彼女も普通の女の子に見える。


「お出かけになるというのなら、私も一緒に行きます」

「人と会うだけよ?」

「それでもです。私はいないものと思ってください」


 私が今日も出かけるというのを見越していたのだろうか。マチルダのその意思の固そうな表情を見て、うなずいた。別に一人で行くことにこだわっているわけではない。自分のことで他人を煩わせたくなかっただけなのだ。

 本来だったら、貴族の娘なら一人で出歩くことなどしないだろう。護衛を連れたり、最低でも侍女くらいは一緒についていく。

 しかし貴族としての最低限の調度品すら渡されていない自分は、そういう貴族らしい特権のようなものを、このように与えられると、どこか違和感を感じてしまい、身構えてしまう。

 自分はそこまでされるような人間ではないのに。

 そんな卑屈なことを口に出すと、リリアンヌには否定されるだけだろうから言わないけれど、どこか体の奥で、そんな思いにとらわれている気がする。


 しかし昨日早朝の一人きりの散歩と違い、道連れがいるのは嬉しい。

 なんとなく軽いおしゃべりをしながら、昨日の洞窟にたどり着くと、入口から離れたあたりの岩に座り込んでいる彼を見つけた。


「エド様」


 ちゃんとエドモントはそこですでに待ってくれていた。早起きは苦手だと言っていたのに。 

 私たちを見て、エドモントは嬉しそうに照れくさそうに微笑んで頭を下げた。


「来てくださってありがとうございます」


 そんな丁寧で大げさな挙措にこちらも笑ってしまう。


「ここだって指定したの私ですのに」

「朝起きたら眠かったからとすっぽかされる可能性も考えていましたよ」


 そういって笑っている。確かに寒さでベッドから出たくなかった。しかし、すっぽかすということは考えていなかった。

マチルダは少し離れたところで、私たちのやり取りを無表情で見守っている。


「お名前を教えていただけないというのなら、こちらでつけますよ」

「あだ名? どんな?」

「そうですね……光の精霊様とか?」


 真顔でそんなロマンチックなことを言うものだから、思わず笑ってしまった。

 

「私には過分なあだ名ですね」

「光る小石を道しるべに私を助けてくれたではないですか。そう見えたんですよ」

「でも、恥ずかしいですよ、そんなあだ名は」

「それもこれも貴方がお名前を教えて下さらないからですよ?」


 そういって、ふざけたように肩を竦めるエドモントに思わず吹き出してしまった。まったくそれは責めている言い方ではなくて、でもどことなく拗ねたように思えるのは気のせいだろうか。


「名前……それなら、メルとおよびください」


 あだ名とかそういうもので呼ばれたことは今までになかった。

 だから名前の一部をとったものを彼に伝える。これなら大丈夫だろう。


「わかりました。メル様、ですね」


 私の話を聞いているのか、ちらっとみたマチルダは、心得たように目でうなずいてくれた。これで彼女は彼の前で自分をメリュジーヌと本名で呼ぶことはしないだろう。


「それではメル様にお礼をしたいので、お願い事を言っていただけますか?」

「それはもう十分ですよ。お気持ちだけで……」


 遠慮するのに、エドモントはそれでも、となおもしつこく食い下がる。

 そこまで言うというのなら、と、頭に思い浮かべたものを口にした。


「私にダンスを教えてもらえませんか?」

「ダンス?」


 相手のことを貴族だと思っていたから、ついそんなことを言ってしまった。

 大丈夫だっただろうか、と思ってちらっとみたが、エドモントは別にそれくらい構わない、と平気そうだ。

 平民だったなら、これがたとえ商人の息子だとしても少しは戸惑いを持つだろう。しかし、十二分に教育を受けている上、ダンスを実際にした経験がある人のような落ち着きがあるとその態度から見えた。


「エド様は踊れますか?」

「……ええ、多少は」

「基本的なものを、困らない程度に教えてほしいのです」


 私が真剣に言うと、聞いてもよろしいでしょうか、と言われた。


「どうしてダンス、なのでしょうか」


 これは自分に対して探りを入れられているのだろうか。

 自分がさりげなくエドモントのことを、探っているかのように。

 そうとわかると、うかつなことを言ってぼろを出さないようにしないと。


「私は、ちょっと事情がありまして、あまりものを知らないのです。今、一生懸命必要なものを覚えているところなのですが、ダンスもその1つで覚えたいのです」

 

 普通の貴族なら知っておくべきことを、私は誰からも教わらずに生きてきた。いや、貴族ではなく、一人の人間として、楽しいはずの食事ですら一人で飲むようにして食べなければならなくて。そんな食事は味ではなく、おいしくなかった。


「メル様はどうしてそんなに学んでいるんですか?」

「……私のためだそうです」


 私のため。なぜだろう。すんなりとその言葉が出てきて驚いてしまった。

 すうっと息を吸い、あの日、自分に言われたことを思い出す。


「私がいつか外の世界に出るために、準備をしておいてほしいと、大事な人に言われたのがきっかけでした。最初はなぜそんなことを言われるのだろう、と思っておりました。学んでも仕方がないことだと思っていて……」


 あの時のリリアンヌを思い出す。

 知識と教養は自分を守るために必要なものだと。作法は人間関係を円滑にするために覚えるべきことだ。

 水仕事で荒れた手をそっと撫でる。

 貴族の娘として生まれついてはいても、使用人と同じ待遇で自分で何かを決めることも学ぶこともできなかったこれまで。

 最初は戸惑っていたが、学ぶという選択肢を与えられたことは喜びでしかなかった。


「今は学ぶのが楽しくて仕方がないのです。私が知らないだけで、世界はこんなに広いのだということを知れて楽しくて。大人になったらあれをしよう、これをしようと思えるようになれました。この土地から離れることもあるかもしれませんし、その時にきっと私が覚えたことは役に立つかもしれないですから」


 貴族の娘として、いつか誰かのパーティーに呼ばれるかもしれない。

 婚約者を失った自分は、エスコートをしてくれ、外に連れ出してくれる手を失った。

 だから、そんな日は当分こないのはわかっていても、いつ、何があるかわからないのだ。その時を夢見て自分を高めておくのは悪いことではないはずだ。

 

「貴方はいつか、ここからいなくなる予定があるのですか?」

「そんなことはあり得ませんけどね。ここは、母の思い出の場所ですから」


 私の思い出のあふれるリャルドの中でも北側に位置するこの領地。 

 彼が旅行者かなにかだとしたら、どうしてこの公爵領を選んだのだろうか。

 正直いって、そこまで観光するのに魅力的なものは存在しないのだが。

 ここに住むものとして、そう思ってしまうのは悲しいことでもあるのだけれど。


「どうしてエド様はこちらにいらしていたのですか? この領地ゆかりの方ではないですよね?」

「ああ、ここには用事でついでにきただけです。すぐに家に帰らなければならないのですけれど」


 そういう彼はどこかおどけて私の前に手を差し出した。

 まるで物語で見た王子様の仕草ようで、一瞬、胸がどきっとした。

 いつのまに朝日が地平線を追い越していたのか、届いた一筋の光が、彼の金色の髪を眩しいくらいに朱金色に染め上げる。


「この命を救ってくださったお嬢様のお願いを聞き届ける前に、私がおめおめと家に帰るわけにいかなくなってしまいましたよ。基本的なステップくらいをメル様がマスターするまでは帰りません。どうぞ、お手を」


 練習しましょう、とエドモントは引き込むような笑みを浮かべて私の手を優しく握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

婚約破棄された公爵令嬢のお嬢様がいい人すぎて悪女になれないようなので異世界から来た私が代わりにざまぁしていいですか? すだもみぢ @sudamomizi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ