第36話 着替え
「昨日の夜、空飛ぶおばけを見たの!」
「……へえ」
私は豆とキャベツのサラダをもぐもぐ食べながら気のない返事を返していた。
これを言うのがコリンヌでなければ、もう少し信じたのになぁ、と思ってしまう信頼性の差よ。
いや、コリンヌが嘘つきというわけではなく、単にスピーカーなだけなのだけれど。
しかし、今回は噂を広めようというより、自分の感じた恐怖心を少しでもわかってほしいというかのように、コリンヌがパニックを起こしているようなのが面白くてついつい眺めて楽しんでしまった。
……この世界にも未確認飛行物体ってあるんだ。
そんな感想を持つ時点で、私がどの程度彼女の話を信じているかお分かりであろうか。まるっきり信じてない。
「大きな黒い物体が、ゆーっくりと空を動いてて、消えたのよ!!」
「なにそれ?」
「雲と見間違えたんでしょ?」
「そんなんじゃないもの!」
信じてよっ! と、むきーっとなっているコリンヌをマイナがまぁまぁとなだめている。
「でも、最近、よくそういう噂が流れているのよね。なんなのかしら」
「噂?」
「うちの近所でも、夜、雲間に星ではない、何か光るものを見たって噂があったのよ。鳥かなにかの見間違いじゃない? と言われておしまいになったのだけれど」
通いのメイドのマイナは市井の噂もよく拾ってきてくれるから、噂があったこと自体は事実だろう。
しかし、なんだろう。アドバルーンでもあげてるのかなとも思うけれど、夜中にそんなものを上げる必要もないし、係留していた気球が飛んで行ったという話も聞かないし。
やはり、なにかの間違いだろうとしか、理系頭では思えない。
「……で、リリアンヌは何をしているの?」
「製品テスト」
昼食の時間の最中も、水に浸した布切れの観察と、その結果をガリガリレポートにしていたら変な目で見られてしまった。
「知り合いが開発したアドバルーンの布を、他にも使えないかなって」
リベラルタスが開発した布の強度や水濡れに対して品質の変化などを調べている。
アドバルーンの皮に用いられているだけあって、しなやかで布目が細かい。
これに撥水効果をつけられたら、レインコートかなんかにできないだろうか。せめて防水布くらいにはしたいかな。それならテントにも使えるだろう。
幸い、縫う技術を持っている人たちが身近に何人もいるのだから、試作品づくりにも困らないだろうし。
この世界、傘はあるけど、いい品質の雨合羽がないんだよね。いいのができれば、外の仕事をしている人達も喜ぶに違いない。
そしたら、リベラルタスにも使用料を払うが、製品に対する複製権は私がとって、がっぽりもうけてやるつもりだ。
ちゃんと複製権の申請の仕方は、セイラ先生の授業で習ったし。
頭の中では新製品の開発でいっぱいながらも、体はシシリーのドレスの手入れをしていたら、セイラ先生が部屋に到着した。今日はシシリーの授業の日だ。
「セイラ先生、いらっしゃいませ」
部屋にいた皆で頭を下げたら、セイラ先生の後ろにはリベラルタスの姿も見えた。
リベラルタスの存在が気になるのか、他のシシリー専属メイドたちもちらちらと彼を見ている。
「本日は私の付き添いとして助手もつれてきました。リベラルタスです」
セイラ先生の紹介に、リベラルタスが丁寧に礼をする。男? ということで一瞬色めきたつ部屋ではあったが、彼の身分が平民と知れるとさっと沈静化をしたのは現金である。
シシリーの専属メイドはみな、一応貴族の娘であるので、貴族の男性以外に興味は持たないのだ。
「そうですか、ではこちらの方でお待ちになってください」
奥の部屋で授業を、と動き始めるメイドたちを横目で見ながらさりげなくリベラルタスの近くに寄ると、小声で囁く。
「今日も図書室に御用で?」
「いえ、さすがに本を読む時間はないですから」
確かに忍び込むのはなかなか難しい。
リベラルタスから教本を受けとり、彼に指示を出すふりをしながら、セイラ先生が私の耳元で囁いた。
「リベラルタスをメリュジーヌお嬢様に会わせることはできませんか?」
……なるほど。
セイラ先生は授業をするという目的がある以上、この家を自由に歩きまわれない。
しかしリベラルタスなら、先生が授業をしている間は、お嬢様に接触することができるかもしれない。
お客様という立場である以上、もちろんリベラルタスだってこの屋敷の中を自由に歩き回ることはできない。
なによりも、私以外のメイドの目をくらましてこの部屋から出るのは難しいだろう。
それならば……と、私はセイラ先生のために用意していたお茶を、わざとリベラルタスの胸元をめがけてぶちまけた。
「ぅあっっつーーー!!!」
リベラルタスのウソではない悲鳴が部屋に響き渡る。授業前準備をしていた全員の目がこちらにくぎ付けになった。
「申し訳ありません!」
「お客様、大丈夫ですか?」
私の失態に、周囲のメイドも慌ててリベラルタスに駆け寄ってくる。
「ごめんなさい、後始末をよろしくお願いします。お客様のお着換えを用意いたします。どうぞ、こちらに」
よろしくお願いいたします、と頭を下げて、リベラルタスを部屋の外に連れ出すとリベラルタスを手招きした。
「ごめんね、リベラルタス、こっちよ」
「リリアンヌさん……ひどいです」
「熱かったでしょ。やけどはしてない?」
「それは大丈夫みたいですけれど……」
勤め先が勤め先だけあって、リベラルタスの服は仕立てが悪くない。そんな服をダメにしてしまって申し訳ない気はするが、仕方がないだろう。
まずは彼の服を調達するのが先だ。
お客様に対する衣類の準備があるとしても、これは執事の管轄だ。
しかし、そんなことをしたら、メリュジーヌお嬢様の部屋に行けなくなる。
目指すのはあの使っていた小屋だ。邸内ラブホテルと使われていて、今は園丁の休憩場所になっているあそこ。
園丁の荷物置きともなっているから、園丁の服を借りられれば万々歳だ。
小屋の中を覗き込むと、幸い鍵が開いていた。入り込むと、ちょうどそこでだらしなくいびきをかいている人がいた。ホセおじさんだ。
容赦なくたたき起こすと、おじさんは「ほえゃ!?」と変な声を上げて飛び起きた。
「ホセおじさん、この人に洋服を貸してください!」
もし貸してくれなかったら、お前の服を剥ぐという勢いで要求したがおじさんは目を瞬かせるだけだ。
「ええ? 俺なんかのじゃなくて、執事さんにちゃんと話して用意してもらった方がいいだろ?」
寝ぼけ眼をこすりこすり、何を言っているかわからないというような顔をしているが、園丁の服だからいいのだ。園丁が屋敷の中を用事があってうろついているという風を装いたいのだから。
しかし、紅茶でぐっしょりと濡れているシャツを着ているリベラルタスを見て、同情を寄せたのか「俺のでいいのなら」とごそごそ土汚れのシミが、ところどころ落ちてないシャツを取り出してきてくれた。
「申し訳ありません、このお礼は必ずいたします」
おじさんに対して恐縮しているようなリベラルタスに。
「ほら、リベラルタス」
早く着替えて、と傍若無人にホセおじさんのシャツをひっつかむと押し付ければ、リベラルタスは慌てて濡れたシャツを脱ぎだした。
シャツ一枚を脱いだだけで、リベラルタスの顎から喉仏のラインが見え、シャツの下に着ていたVネックのニットが体に張り付いているのがわかる。
なぜだろう。
その恰好の彼の体を見てゾクッとした。
不覚の欲情とでもいうのか、首筋の後ろがちりちりするような、ぞわぞわするような感覚がした。
別に私が男の裸を見慣れていないわけでもないし、リベラルタスが特別に男らしい体つきをしているわけではない。彼は男なのだから、男の体をしているのは当たり前だし。
だから男の色香を、私が、リベラルタスに感じるのはおかしい、と思う。
リベラルタスはどことなく気やすいところがあって、身長差が15センチくらいあったとしても、なんというか、家族のような安心するようなところがあって。男を感じるべき要素がないから、そう思うのは間違っている。
大体、彼の体を見て何かを感じるなんて、体が好みみたいで、変態みたいじゃないか。
それに、私はどちらかといえば筋肉質の男が好きで、SHOGOなんてもろにそうだったのに。
白い肌に長い指。それが衣類をつまんで、自分にまとわせてボタンをはめる様子まで、目が離せない。
「なんだい、リリアンヌの彼氏か?」
私がリベラルタスの様子をぼんやりと見ていたら、ホセおじさんに納得したように言われてしまった。
からかうようにではなく、真面目な顔をして言われたのに、カッとなって怒鳴ってしまった。
「はぁ!? 何言ってんの!? そんなわけないでしょ!」
「リリアンヌさん……そこまで否定しなくても……」
なぜか傷ついたような顔をしているリベラルタスに、「そうじゃなくて!」と慌てて首を振った。いや、本当にリベラルタスが悪いわけではないのだから。
「馬鹿なこと言ってないで、行くわよ!」
なぜ、たったこんなことなのに恥ずかしく感じてしまうのだろうか。
よくわからない羞恥心から逃げるように、私は小屋の扉を開けた。
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