第35話 お説教

 セイラ先生というより、アドバルーン関連事業の代表としての彼女の立ち合いの元、私とマルコーさんの話し合いは進み、権利の委譲の案もまとまった。

 マルコーさんが提示した金額が適正なものか、他の事例を検討してから調印するという私の提案に彼は心安くうなずいてくれた。

 もし騙すつもりならここでサインを急がせただろうに、そういうところがないなら、詐欺でもなさそうだ。

 正直なところ、もうマルコーさんに売却でいいかな、と思っているのだけれど、用心はしておかないといけないし。

 しかし、マルコーさんが帰った後、怖い顔をしたセイラ先生に詰め寄られてしまった。


「一番高く買ってくれるところに、とリリアンヌは言ってたのに」


 じとっと睨んで、早計では?と言われてしまった。


「ははは……」

「他の人の出した条件と比べてから売却を決意すればよかったのに。あの人が出した条件が一番ベストとは限らないでしょう?」


 一緒にいたのだから、彼が提示したのが不利な条件ではないにしろ、もっといい条件を出してくれるところがあったかもしれないのに、と私の代わりに怒ってくれたのかと思うと、その怒りがむしろほほえましくなってしまった。


「あの人が真っ先に打診してきたという先見性も評価してるんですけれどね。あと熱意?」

「そんなの偶然だったり、見せかけでもできるでしょう? リリアンヌはお人よしです」


 確かにお人よしかもしれないけれど、自分の利益にならないことには手を出さない性格だとも思っているのだけれど。そういう運の良さがあったのなら、マルコーを評価してあげたいなぁと思ってはいけないだろうか。


「私自身のちょっとの利益より、早くあの人のプランが実用化された方が、みんなの利益になりますよ。それにあの人を引き合わせたセイラ先生を信じているだけですよ。もともと私は商習慣について知識ないんで、あまり変だったら、セイラ先生が止めてくださるかなって」

「じゃあ、私が悪人だったらどうするの!? 人をうかつに信じちゃいけません!」


 ぷんぷん怒っているセイラ先生が、いつもと雰囲気が違ってなんだかとっても可愛く思える。いい人だなぁ、と思わずにこにこしてしまったら、目を吊り上げられてしまった。

 きっと先生はこういう取引で何度も騙されてきたのだろう、と思う。

 だから、相手を即座に信用したように見えた私を心配してしまうのだろうか。

 ビジネスでちょろい、という風に相手に侮られていいことなんてないから。特にこの世界では女性だからとなおさら嫌な思いを何度も受けたことは想像がついた。


「セイラ先生なら騙されてもいいですよ」

「え?」

「仕方ないなって諦めるだけです」


 どういうこと? と首をかしげながら私を見つめるセイラ先生を、見つめ返した。


「メリュジーヌお嬢様をあの家からお救いすると決めてはいても、どうすればいいか、私にはその指針すら立ちませんでした。法的なこともわからず、力のつけ方もわからず。目星がついたのはセイラ先生のおかげですよ」


 私にはこの世界について、リリアンヌの朧気な知識しかなかった。本で学んだような程度な記憶。実感が伴っていないあいまいなもの。

 もともと、この世界のルールなどもピンときていなくて、みずほの時の感覚でやってしまっているかもしれなくて。そんな時に、セイラ先生という社会の規範にも通じた人と知り合うことができたのは幸運以外の何物でもない。

 公爵家はお嬢様のものであり、メリュジーヌお嬢様自身がお金を稼ぐ方法も、セイラ先生を通して得られたのだから。


「私は、セイラ先生を信じようと思ったんです。だから、セイラ先生に助けてもらえなかったら、私もメリュジーヌお嬢様も、ひいては公爵家もダメになるだけですし」

「……ずるいわ。そんなことをいわれたら、逃げられないではないの!」

「先生は私を友人だと言ってくださったではないですか。身分も違う私なのに。そういう心が広い人が必要なんですよ。私たちには」


 ああ、私はずるいなぁ。

 セイラ先生の温情につけこんでいる。


 こんな私のことをお人よしなんて思う先生の方がお人よしなのにね。

 心の中で、私を気遣ってくれてありがとうと感謝をする。





 ーーしかし、私を気遣ってくれる人はもう一人いた。


 その人が見せたのは、違うことに対する気遣いであり、配慮だったけれど。



 屋根裏部屋のメリュジーヌお嬢様の部屋に行き、今日あったことをすべて報告する。今までそれは私的なことだと思ってお嬢様にアドバルーンのことを話したことはなかった。

 空を飛ぶ技術として使われることになるだろう自分の権利と、それを売却しようとしていること。 

 この先、公爵領を継ぐ立場となる彼女は知っておいたほうがいいと思い話したが、意外にもお嬢様は不快そうな表情を見せた。

 

「そんな危険な技術、大丈夫なの!?」


 やはり天然ガスは事故が起こりやすい危険なものという認識の方が強いようだ。あれだけ燃料として身近に使っているものだとしても、窒息や爆発事故などは見聞きしているのだろう。

 怖く危ないものという意識が強いのだろう。


「いくら有用だとしても反対よ。空中で爆発して死亡事故に繋がったりしたらどうするの」

「お嬢様……」

「発展より人命が大事じゃない。人は死んだらそれっきりなのに」


 お嬢様の悲しみに満ちた顔は、大事な人を失ったことがある人の顔だ。

 そして、私にはお嬢様がそう言う理由もわかっている。しかし私はお嬢様に首を振った。


「お嬢様、それは違います」

「リリ……」

「確かに、どんなものでも技術の発展の過程で危険なものはあるかもしれません。しかし、それ以上に人の生活を守ることができるようになるんです。人類が火を手に入れた結果、文明を作り出せました。しかし、火は同時に危険なものです。お嬢様はそれでも火を人類が得ない方がよかったとおっしゃいますか? 正しい知識でもって危険をできるだけ排除する。そのためにも、新しいものはちゃんと調べて正しく使わなければならないんですよ」


 もう天然ガスの力で、ものを高い位置まで持ち上げることができる可能性は知られてしまっている。

 それくらいなら、中途半端に分かったつもりで使われるより、どうすれば安全か、どのようにすればいいかを調べつくしてから利用される方が、きっと安全に使っていけるだろう。


「毒だというものでも、正しく使えば薬になるケースがあります。その薬がないと死んでしまう人間がいても、お嬢様はその毒部分だけに着目して、その薬部分に目を背けるのですか?」

「…………」

「どちらが正しいというわけではないでしょう。でも、ある意味、私にとって人類の発展というのはどうでもいいんです」

「え?」

「たとえ危険だとわかっていても空を飛んでみたい、という人はいるんですよ。そういう人たちの夢を見守るのも思いやりだと私は思うんですよ」


 私はけっして命を軽んじているわけではない。しかし、命を大事にしすぎる人にはそう聞こえてしまうかもしれない。

 彼らが自分で選んだ選択を尊重することは、危険だとすべてをやみくもに禁止することより、本当に無責任なことだろうか。

 私はそう思わない。


「だって自分の命の責任は自分が取らないといけないですから、反対ばかり押し付けてても仕方がないでしょう? それは上から押し付けるものではないですよ」


 お嬢様は気づいたようだ。思いやりのようでいて、それは相手の意思を無視しているということに。

 黙って私の話を聞いていたが、やがてお嬢様の肩からふっと力が抜けていった。


「そうね……ごめんなさい。感情的になって反射的に否定してしまって」

「いいえ、お嬢様のお立場ならそう考えられても当然だと思います」


 人の死に敏感な方なら、そのように考えられても仕方がない。

 そして私は、そんなお嬢様のそういうところが大好きだ。

 これが成功したら大金が転がり込んでくる、と喜ばず、それがまず安全なのかどうかと思考が行った優しいお嬢様。

 そして、それが自分の押し付けだと分かれば、素直に反省するところも含めて大好きだ。


「でも、わがままを言わせて。その実験にリリは関わらないでほしいわ。もう誰も失いたくないから」


 真剣な顔をして私を見つめてくるその顔に、それならば、と私は大きくうなずいた。  

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