第33話 廃業と買い取り

「ねえ、リリアンヌ、ちょっといいかな」

「はぁ……?」 


 私が露骨にいやそうな顔をしているのがわかるはずなのに、話しかけてきた男、厨房勤めの一人であるニックはどこ吹く風である。

 屋敷の中でニックは評判があまりよくない。女癖が悪いのだ。

 公爵家に仕えるのはハードルが高いが、コネがあって、それなりに家人に気に入られていれば、勤め続けられるのは難しくない。リリアンヌがメリュジーヌお嬢様のお母様の縁で雇われて、シシリーに気に入られて追い出されずにいるように。

 ニックは料理の腕は悪くないのだが、あちこちにちょくちょく手を出しては、ひどい態度で相手の女の子を振って、プレイボーイを気取っているという話は聞く。

 それと、最近は人にたかるようであるという話も流れてきていて警戒していた。


「ちょっとお金を貸してくれないか?」

「私、お金なんて持ってないわよ」

「またまた、稼いでいるんだろ?」


 私がお金を持っていることを確信しているようなのはなぜだろう。

 確かに、メイドとしての給金も、彼の給金よりは高いかもしれない。専属メイドの手当ても含まれているからだ。

 実際、それ以外にも邸内ラブホテルの売り上げや、アドバルーン関連の権利料やらで懐は潤ってきた。

 メリュジーヌお嬢様のカードや縫物の売り上げは私が管理しているが、あれはあくまでも彼女のものだ。

 今まで接触してきたことのない私に、なぜ、このタイミングで? と黙ったまま相手を見つめた。 

 

「密会場所を斡旋して、金をとってるの、君だろ?」

「なんのことですか?」


 どうやら、彼は邸内ラブホテルの客のようだ。

 あの事業はミレディが表立ってやっているから、元々私のアイディアだと、わからないはずなのに。

 どこからその話が漏れたのだろうか。

 ミレディが話したのだろうか。それとも私とミレディの鍵のやり取りを見られたのだろうか。


 どちらにしろ、あまりよくない傾向だ。


 お金を貸すのは構わない。返してくれるのなら。

 しかし、この手の手合いは『貸す』のが一度で済まないのは世の常識だ。


「貸してくれさえすれば、奥様に黙っておいてあげるから」


 ほらね。貸すのではなく恐喝だ。

 あそこの管理が奥様の専属メイドであるミレディだと思っていたけれど、本当は私が管理をしていると気づいたから、脅せると踏んだわけか。

 この家での私の微妙な位置関係から、奥様の許可を得ずにやっていることと睨んで、揺さぶりをかけてきたのだろう。

 しかし、この私を脅そうだなんて甘すぎる。

 こんな風になってしまった以上、発覚して面倒になるほうが問題だ。


「奥様にあそこで何を貴方がしているかとか知られて困るの、貴方じゃないの? 仕事時間中に、誰とどれだけあそこでしけこんでいるか、こっちは全部わかっているのに」


 ミレディはメモを取って管理をしているのだ。誰に貸しているか、記録とってるとか思わないのだろうか。

 この様子では、彼はきっと、複数人と交際していそうだ。

 それならば、噂を流されて修羅場になるのはニックの方ではないだろうか。


「貴方がうかつなことをすると、貴方の仲がいい方も迷惑するのよ?」


 もし仮にばれたとしたら、あそこの常連の名前くらいは腹いせに公開するつもりだ。

 そのための会員制秘密クラブ状態になっていると思わなかったのだろうか。

 外に情報が洩れないが仮に漏れた場合は、全員が同罪になる。

 

「それと、私はなーんにもしてないわよ?」

「だって、鍵は君がミレディに渡してただろ」


 やっぱり鍵のやり取りを見られていたか。私が元締めだと確信するのに、ずっと観察されていたかもしれない。気持ちが悪い。

 しかし、邸内ラブホはそろそろ潮時のようだ。他にも同じように疑われたら面倒なことになる。

 私はミレディを探して見つけると、端的に要件を伝えた。


「ミレディ、明日以降に入っている分、全部キャンセルにして」


 私の唐突な言葉に、さすがにミレディも驚いている。


「え、どうして?」

「あそこ、奥様に勘づかれそうだから撤去するわ」

「……大丈夫だと思うんだけどなぁ」


 せめて予約分だけでも、などとブツブツ言っていたミレディに、また違う場所で考えましょう、と言えば、彼女は小さくうなずくが。

 納得してないようなミレディの顔に、このまま放置するわけにいかないな、とも思う。

 このままだと鍵を壊されて、中に入り浸られて、そのまま風紀の乱れとなるような場所になってしまうかもしれない。早いところ、あの場所が使えないようにしなくては。証拠隠滅だ。


 私はシシリーお嬢様が授業を受けている合間に、小屋にむかい、私物を全部撤去して、中を綺麗に片付けた。

 ベッドからは布をはがし干し草だけを放置して、それからホセおじさんに鍵を返す。


「おじさんたち、ここを休憩所にしたら? お昼寝をするのに最適よ」


 そう提案すれば、その手があったか、のように驚かれた。


 もともとここは、庭の管理をする人達の物置小屋だ。

 庭師たちは休憩するのも作業中のついでで、屋根のないところでとっていた彼らにとっては、ちゃんとした休憩所を作るという考えがなかったのだろう。

 屋根があれば着替えを置くこともできるし、外から見られなくて落ち着いて過ごすこともできる。


 喜んだ園丁のおじさんたちがかわるがわる入り浸り、そこに荷物や汚れものを置いたりしていくので、やましい事情で入り込もうとしてた人間は、入ることもできなくなったようだ。



 結局、その後は、誰も来なくなったようだ。








 何もしなくても手に入っていた金がなくなってしまった。

 どうしようかと思っていたところに、新しい金の気配が舞い降りるのは、世の中はそういう流れでもあるのだろうか。


「天然ガスに関する知識と技術の権利を丸ごと売ってほしい?」


 私に直接アクセスができなかったその人は、セイラ先生を通して、権利の買い取りを申し出たようだ。セイラ先生は、あまり乗り気じゃなさそうに、いつもの授業後に声をかけてくれたが。


 そんなことを言われても、私が持っている権利は大したものではないし、この国の人ならば、経験則で知っていることばかりではないだろうか。

 天然ガスの知識なんて、アドバルーンの開発時に、それをセイラ先生に系統だてて説明しただけだ。

 効率的な採集方法と軽い性質、他の気体と比べてどれくらいの軽さの差があるかなんて、あくまでも、大学受験の化学で習って覚えたレベルで。

 天然ガスに対して注目さえすれば、すぐにそんな性質くらいは、わかるはずだ。

 それをわざわざあんな小さな権利まで集めるなんて。

 考え込んだ私をセイラ先生は様子をうかがうように見ている。


「どうするの? 断るの?」

「……いや、売ります」

「どうして!?」


 注目されて未来性がある技術なら、権利を持っている方が、長い目を見て得をする。それは誰の目から見てもそうだろう。


 しかし、ちょっとこの話はおかしい。


 小さな権利ですら集めているということは、この先、大きなプロジェクトを遂行しようとする時に、障害となるものを全部抱え込んでおきたいと思っているのではないか、と疑ってしまう。


 大きな利益を得ようと思って、その準備をしようとしている人が、必ず善人とは限らない。

 私が持つささいな権利でも、その人の目的に対して妨害となるかもしれないと思ったからこそ、その人は権利を買い集めようとしているのかもしれない。

  

 私は自分の身を守る術を持たない。


 もしこれがマフィアのような悪い存在が背景にあるのだとしたら、私がここで拒否でもしたら命すら狙われる可能性もあるだろう。

 宙に浮かせられるというこの技術が、いつか戦争に転用されるかもしれない、と思ったことがあるからこそ、警戒してしまう。

 下手に欲をかいて固執していたら、権利を狙って私が危ない目にあわされるかもしれない。

 それなら今のうちに手放してまとまった金額を手にしたほうがよさそうだ。


 それに、実際、天然ガスを使うのは危険なことだ。


 自分だけでこれ以上の技術を向上させることができないなら、誰かに権利を丸投げしたほうが、技術の発達を見込めるのではないだろうか。


 天然ガスは、この公爵領の特産である。

 もっと技術を活用できれば、将来、お嬢様が跡を継いだ時に領地が潤っていることだろう。

 冷却の技術が進んで、液体にして輸出なんてことができたら、国益にもつながるだろうし。


「権利は売りますが、できるだけ高い値段で買い取ってくれるところを探せませんか?」

「競売でもいいけれど、なぜ権利を買うのか、どのように権利を使うのか事業案を聞いてみたり、広く告知を出してみて声をかけてきてくれところからから話を聞いて、選んで売るのでもいいかもしれないわね。権利を売らないで、専属の使用権を認めるというのでもいいし」


 セイラ先生は、権利を売ることはどうしても否定的なようだ。


 私なんて面倒ごとは丸投げしたいと思うが、そういうものでもないのだろうか。

 とりあえずセイラ先生の立ち合いの元で、権利を欲しがっている人に会うことになった。

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