第32話 ラルドー伯爵領
公爵家、ご家族のご旅行の話を聞いたのは次の日の、朝の打ち合わせの時だった。
旦那様の方からそういう話があるというのが、家の統括をしている執事グループから、私たちお嬢様付きの専属メイドに話が下りてきたのだ。
専属メイドは各自の受け持ちのお嬢様の予定も把握しなくてはいけないし、他の家族に対する連携もとったり、荷物の整理をしたりもするのであらかじめ、そういう予定を耳にするのは早くなる。
公爵家に嫁いできている癖に、奥様は領内にいることが多く、社交シーズンに出歩いて顔を売るということはあまりしない。
それは、自分のあまり聞こえがよくない立場を理解して、噂におびえ、慎み深く行動しているようにも見えるが、実際のところはどうなんだろうとも思う。
その割にはお友達の貴族のところへはしょっちゅう出かけているような気もするが。
だから、この旅行はこの家に来てから、まだ数度目くらいのものだ。
リリアンヌの知識として覚えているのは上の女の子たちのデビュタントのために王都へ行ったものくらいか。
だから、旅行ときいて少なからず驚いたのだが、その内容を聞いて、これ、旅行といわないんじゃ、とも思ってしまったが。
「行くのはラルドーよ。ラルドー伯爵領」
「え、それって旦那様の所領ですよね?」
単なる帰省じゃないのよ。
「ええ、そうよ。ご結婚されてから、旦那様は何度か伯爵領にお戻りになっているけれど、ご家族はあちらに行かれていないからお披露目ね」
それは領主一家か自分の領地に一度も足を踏み入れていないというのは、領民からすれば、放置されている気がして気分がよくないだろう。
「それって、ご家族全員での旅ということ?」
「メリュジーヌお嬢様はきっとお留守番だろうね」
もしメリュジーヌお嬢様だけ置いてけぼりになったら……。
娘の一人が家族での旅行についてこないことに対して旦那様はなんとも思わないのだろうか、と思うけれど、なんとも思わなさそうな気がする。
だいたいこの家にだって旦那様はめったに帰ってこない。ほぼ王都に行きっぱなしであるのだから。
この旅行だってもしかしたら、ご自身は王都にいて、家族だけラルドーに呼び寄せて領主の体裁をつける気じゃないでしょうね、とも疑っている。
もし一緒にラルドーに行くとしても、お嬢様がいないことも、奥様がうまくごまかしてしまうだろうということは見え見えだ。
「ご旅行の間、使用人は暇をもらう組と、屋敷待機組と、同行組と分かれるわ」
お仕えする人がいなくなるのだから、自宅が近かったり、通いの人は家で過ごすことも可能らしい。
私のように屋敷に住み込みの場合は屋敷にいることになるだろうけれど。
「誰がシシリー様についていく?」
「私は留守番を希望しますが」
「え、いいの?」
即座に反応をした私に、やはり驚かれてしまった。
こういう機会でもないと、旅行なんて庶民には手が届かないものだ。一緒に行きたがる人の方が多いだろう。
私の場合は、メリュジーヌお嬢様が行かないのに、なんで私が行かなきゃいけないの? という気持ちもあるし、別に、この世界にいること自体が旅行気分というか。まだこの世界自体に慣れていないのに、知らないところにいってぼろを出したくないという気持ちも大きい。そこまで好奇心が旺盛なタイプでもないし。
「旅行はいつ頃になる予定ですか?」
「準備に時間がかかるから、すぐにというわけではないだろうね。秋をこえて、冬くらいじゃないかな」
道中の宿の手配、同行する使用人や荷物を運ぶ馬や馬車の手配もある。護衛もいる。
貴族の旅行は時間も金もかかるものだから、あらかじめ綿密な調整が必要なのだろう。
ツアーを頼んで、最悪、現地で買えばいいやとサイフとカードと身一つで飛行機に乗って出かけられる旅行と大違いだ。
そんな行き当たりばったりな若かりし頃の旅を思い出していたが、さりげなく聞いていた言葉に、ふとあることに気づいた。
……四季があるんだ、この国。
それで、物理法則から地球上と同じくらいの惑星じゃないかと推測していたけれど、今、自分が住んでいる場所の緯度的なものは大体予想がついた。
太陽の公転面に対する地軸の傾き。それが地球に四季を生むのだから。
お目付け役がいなくなったら、お嬢様を外に連れ出すことができるかもしれない。
そうなったら、セイラ先生とお嬢様を会わせることはできるだろうか。
同じ家にいるのに、誰かしらの目があるから、偶然を装ってでも、お嬢様を会わせることはなかなか難しかった。
しかし、人が少なくなるそれは絶好のチャンスだろう。
旅行に出るのに時間がまだかかるというのは、こちらにしてもいろいろと準備ができるチャンスだろう。
旅行の話を聞いて、一番喜んだのはシシリーだった。
やはり若いだけあって、あちこち出歩いてみたいと思うのは当然だろう。
さっそくどのような場所に行くのかをはしゃいで調べていたが、それだけでは興奮はやまず。
「ねえ、エドガー様もご一緒に行くことはできないのかしら」
「バカねえ、無理に決まっているでしょう」
そう提案しては、あっさりとエルヴィラにたしなめられて膨れている。
「エドガー様はここをお継ぎになるのよ。いくら家族ぐるみのお付き合いをしているとしても、関係ない伯爵領にお招きするわけにはいかないわ」
そうもっともらしい言い方をしているが、エルヴィラの言い方はどこか冷ややかだ。これは女の勘だろうか、となんとなく思ってしまう。
少しずつ大人に近づいていく妹と、婚約者の仲の良さが気になっているのじゃないかな、と他人視点で面白がってみている性格の悪い私だ。
エドガーはシシリーを可愛がっているのは、はたから見ててもわかるから。
もともと女の好みとして、きつい感じが顔立ちに残るエルヴィラより、子供らしさの残る、甘い雰囲気のシシリーの方がエドガーは好きなのではないだろうか
私の見立てではエドガーはいばりんぼだ。
御しやすく、偉ぶれるような相手が好きそうな気がする。だからこそ、いくら美人でも自分を立ててくれないメリュジーヌお嬢様は苦手だったのではないだろうか。
あと、物に弱い。自分にとって金になる相手の方が好きだ。
だからこそそれをわかっている奥様にまんまとからめとられて、エルヴィラに心が向くように導かれてしまったのではと思う。
……単純な男だ。
「一緒のご旅行なら、エルヴィラお姉さまだって嬉しいでしょう?」
そう口を尖らす妹をエルヴィラは無視している。
自分自身の喜びより、たとえ相手が妹とはいえ、不安要素の排除を優先するなんて、なかなかしっかりしているな、と思って、ふと気づいた。
ああ、そうか。この人、一度、すでに略奪愛しているんだもんね。自分の男を信頼しきるなんて無理か。
そう思えば、男に乗り換えられた女というのもしんどいんだなぁ、と思ってしまった。
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